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野村総合研究所未来創発センター・チーフエキスパート 李智慧氏

「チャイナ・イノベーション」をどう捉えるか
野村総合研究所未来創発センター・チーフエキスパート 李智慧氏

JSTアジア・太平洋総合研究センター 2026年07月21日

 近年、中国は科学技術力が向上し、多くの産業分野で競争力を高めている。「チャイナ・イノベーション」は多様な分野で急速に進展しており、その実態を捉えることは容易ではない。こうした状況を踏まえ、JSTアジア・太平洋総合研究センター(APRC)では、中国のイノベーションの特徴や課題を立体的に明らかにするため、専門家へのインタビューを実施した。今回は、野村総合研究所未来創発センター・チーフエキスパートの李智慧氏にお話を伺う機会を得た。

李智慧

李智慧(り・ちえ):野村総合研究所 未来創発センター チーフエキスパート

略歴

中国出身。神戸大学大学院経済学研究科博士前期課程修了後、大手通信会社を経て2002年に野村総合研究所に入社。
専門はデジタルエコノミー、メガテックのビジネスモデルと戦略、AI、ロボット、ブロックチェーンやフィンテックなどの先端企業の事例研究など。近年は、中国のAI産業やヒューマノイド(人型ロボット)産業、中国企業のイノベーション戦略などについても積極的に発信している。

著書

『チャイナ・イノベーションは死なない』(日経BP、2024年)、『チャイナ・イノベーション2 中国のデジタル強国戦略』(日経BP、2021年)、『チャイナ・イノベーション データを制する者は世界を制する』(日経BP、2018年)など。

1.チャイナ・イノベーションをどう捉えるか

●チャイナ・イノベーションは「1.0」から「2.0」へ

 私は、中国のイノベーションを「チャイナ・イノベーション1.0」と「2.0」の二つのフェーズに分けて考えている。1.0のフェーズでは、アリババ(Alibaba)、テンセント(Tencent)、滴滴(DiDi)などの企業が活躍し、世界最大級のネットユーザー基盤と巨大な国内市場を背景に技術やビジネスモデルを独自に磨き上げ、中国市場に適したサービスを生み出し、新たな価値を創出した。

 このフェーズにおける中国のイノベーションは、「0から1はアメリカ、1から100は中国」と表現されることが多かった。アメリカで生まれた技術を中国が巨大な市場で実用化し、急速に普及・拡大させるという構図だった。

 一方、現在はチャイナ・イノベーション2.0のフェーズへと移行している。代表例としては、ファーウェイ(Huawei)のようなフルスタック技術体系を持つ企業、世界市場で圧倒的なシェアを持つドローン技術を開発する企業、さらには近年急速に発展している生成AI、ヒューマノイド(人型ロボット)企業などが挙げられる。2.0のフェーズでは、もはや目の前に参考となるモデルは存在しない。企業自らがゼロから新たな技術やサービスを創出しなければならない。

 また、イノベーションの対象も変化している。1.0では、ECやSNS、モバイル決済など、インターネットサービスを中心としたソフトウェア分野が主役であった。しかし2.0では、AI、自動運転、ドローン、ヒューマノイド、EV(電気自動車)など、ハードウェアや製造業に密着した先端技術へと発展している。

 こうした変化を支えているのが、中国の完備された製造業基盤とサプライチェーンである。中国では部品調達から製造までを比較的短期間で完結できるため、AIなどのソフトウェアとハードウェアを一体的に開発し、低コストで製品化できる環境が整っている。

 さらに、2.0に入ると、オープンソース・エコシステムの構築を通じ、グローバル市場での事業展開を図る中国企業が増えていることも、2.0を特徴付ける重要な変化である。

●チャイナ・イノベーションの特徴と評価のポイント

 中国は巨大な市場、膨大なデータ、豊富な人材、高度に整った産業チェーンを活かしながら、独自の技術とそのエコシステムを圧倒的なスピードで社会実装していくことが、「チャイナ・イノベーション」の本質ではないかと考えている。

 チャイナ・イノベーションを評価するうえで、私が注目しているポイントは「オープンソース・エコシステム」である。その代表例がディープシーク(DeepSeek)である。ディープシークは高性能AIモデルをオープンソース化し、世界中の企業や開発者が自由に活用できる環境を提供している。これは単なる無償公開ではなく、先端技術の利用可能性を最大化し、産業全体の底上げを図るという明確な戦略と理念の表れである。従来、最先端AIの恩恵は一部の大企業に偏ってきたが、ディープシークの取り組みは幅広い企業や研究者に高度技術へのアクセスを開き、次のイノベーションを加速させる触媒となっている。

 2025年には、ディープシークに加え、アリババのQwen、Z.aiのGLMといった中国発のオープンソース基盤モデルが、開発者コミュニティにおける「派生モデル数」と「ダウンロード数」で世界首位を獲得した。中国勢が商用利用も可能な寛容なライセンスのもと、高性能モデルを低コストで提供している点も評価に値する。これにより、各国は自前のインフラ上で独自のAIシステムを構築しやすくなり、データをメガテック企業に提供することなく、産業界全体における実装の迅速化とコスト効率の最適化が可能となっている。

2.AI時代のイノベーション創出

●中国の基礎研究力

 中国のイノベーションについて議論する際、「応用研究には強いが、基礎研究はまだ欧米に及ばない」という評価を耳にすることが多い。確かに中国はこれまで技術応用により注力していたと言える。しかし、近年、中国では米国による先端技術の輸出規制などを背景に、「自ら基礎技術を確立しなければならない」という危機感の下、自主開発に注力し始めている。

 ファーウェイやディープシークのような、短期的な利益だけを追求するのではなく、技術そのものの発展を重視する企業も増えている。その結果、近年では中国と米国における基礎技術の格差が急速に縮小している。一例として、米国のスタンフォード大学人間中心AI研究所(HAI)のレポート「AI Index 2026」では、米中のトップAI基盤モデル間の性能差はわずか2.7%にまで縮まったと報告されている。こうした海外機関の分析結果からも、中国の基礎技術が欧米の水準に着実に追いつきつつあることが示されている。

●イノベーション創出メカニズム

 AI時代は、データがイノベーションを促進する重要な要素となっている。特にヒューマノイドの分野においては、Web上のテキストや画像だけで学習できるLLM(大規模言語モデル)とは異なり、物理世界で動くための物理法則の学習が不可欠だ。中国では、AIを実社会へ導入して得られる「実データ」が多いため、AIモデルの改善サイクルを短期間で素早く回すことができる。一度このサイクルが回り始めると、自己強化的に成長が加速していく。このように、データがモデルの進化を促し、それが次の進化を生む「フライホイール効果(※注)」が、AI時代の中国のイノベーションを加速させている。

3.チャイナ・イノベーションをめぐる論点

●政府支援だけでは先端企業は育たない

 中国先端企業の競争力について、政府の推進政策は一定の役割を果たしているものの、それだけで企業の競争力を形成することはできない。ファーウェイ、アリババなど中国イノベーション企業を見ると、企業自身による長期にわたる研究開発への投資、失敗の許容、優秀な人材の獲得など、多様な要素が競争力の源泉となっている。

 中国国内だけで世界トップレベルのAI人材を育成できる環境が整っていることも重要な要因の一つだ。例えば、ディープシーク創業者の梁文鋒氏は中国国内の大学出身であり、留学や海外勤務の経験を持たない。また、ディープシークが発表した主要論文の著者を分析すると、大半は中国国内の大学出身、もしくは、中国の研究機関・企業のみの経験者である。

4.チャイナ・イノベーションから日本が学ぶべきこと

 中国のイノベーションは、巨大な国内市場や豊富な人材、そして完備されたサプライチェーンなど、日本とは異なる前提条件の上に成り立っている。そのため、中国の制度や政策をそのまま日本へ適用することは現実的ではない。しかし、中国がイノベーションを生み出すメカニズムには、日本が参考にできる要素も少なくない。私がとりわけ着目しているのは、社会の受容度を高めて新技術を試行できる土壌を形成し、社会実装のスピードを上げる点である。

 日本では、安全性や品質を十分に担保してから実社会へ導入する傾向が強い。導入がPoC(概念実証)の段階で止まり、ビジネスモデルの根本的な変革や社会実装に至らないケースが多くみられる。しかし、ヒューマノイドのような新技術の黎明期においては、「社会実装→改良→再実装」の高速なサイクルによって技術革新を加速させることが不可欠である。当然ながら安全性の確保は最優先事項であり、安易な妥協は許されない。だが同時に、事前の完璧さを過度に追求するのではなく、現場での実践と改善を繰り返す過程でリスクを低減していく柔軟な発想も求められる。また、オープンソースの積極的な活用によって開発コストを抑え、AI・ロボットの社会実装を加速させる中国のアプローチは参考になる。

 イノベーション創出に向けて日本に求められるのは、中国イノベーションの実態を客観的に捉え、外部から採り入れるべきものと国内で競争力を築く領域を戦略的に設計することである。


注:「フライホイール効果」の詳細については、以下のレポートを参照ください。
https://www.nri.com/jp/knowledge/report/2026forum410.html

(インタビュー記事にある意見や見解は研究者個人のものであり、所属機関の見解を示すものではない。)

【聞き手・構成】
JSTアジア・太平洋総合研究センター
松田侑奈(フェロー)、渡辺浩司(フェロー)

 

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