「チャイナ・イノベーション」をどう捉えるか
ジャーナリスト、千葉大学客員教授、明治大学客員研究員 高口康太氏
JSTアジア・太平洋総合研究センター 2026年08月06日
近年、中国は科学技術力が向上し、多くの産業分野で競争力を高めている。「チャイナ・イノベーション」は多様な分野で急速に進展しており、その実態を捉えることは容易ではない。こうした状況を踏まえ、JSTアジア・太平洋総合研究センター(APRC)では、中国のイノベーションの特徴や課題を立体的に明らかにするため、専門家へのインタビューを実施した。今回は、ジャーナリスト、千葉大学客員教授、明治大学客員研究員の高口康太氏にお話を伺う機会を得た。
高口康太(たかぐち・こうた):ジャーナリスト、千葉大学客員教授、明治大学客員研究員
略歴
1976年生まれ。中国経済、中国企業、在日中国人社会などを中心に『月刊文藝春秋』『週刊東洋経済』『Wedge』『WWDJAPAN』などのメディアに寄稿。
著書
『ピークアウトする中国「殺到する経済」と「合理的バブル」の限界』(文春新書、梶谷懐氏との共著)、『中国「コロナ封じ」の虚実―デジタル監視は14億人を統制できるか』(中央公論新社)、『幸福な監視国家・中国』(NHK出版、梶谷懐氏との共著)、『プロトタイプシティ 深圳と世界的イノベーション』(KADOKAWA、高須正和氏との共編)など著作多数。
1.チャイナ・イノベーションをどう捉えるか
●「チャイナ・イノベーション」は三つに分けて考える
近年、中国は科学技術力を急速に向上させ、多くの産業分野で存在感を高めている。しかし、「チャイナ・イノベーション」という言葉だけで中国の変化を説明するのは難しく、変化を一括りにしてしまう危険もある。中国でイノベーティブな現象が数多く起きていることは事実だが、それらを単一の現象として理解すると解像度が低くなる。
私は、
①マイクロイノベーション
②プロダクトイノベーション
③ディープテック
の三つに分けて考えている。
(1)マイクロイノベーション
●小さな工夫による差別化
マイクロイノベーション(微創新)は2000年代初頭の中国を象徴する現象である。
例えば、当時の携帯電話には、太陽電池で充電できる機能やライター、さらにはひげそり機能まで搭載されたものが存在した。必ずしも画期的な発明ではないが、既存製品との差別化を図るための工夫であった。
中国企業は海外ブランドとの競争だけでなく、無数に存在する国内競合との競争にもさらされていた。そのため「少しでも違うものを作る」ことが重要な生存戦略になっていた。
●巨大サプライチェーンがイノベーションを支える
こうしたマイクロイノベーションを可能にしたのが深圳を中心とするサプライチェーンである。
深圳でEMS企業を経営する藤岡淳一氏からよく聞いた話だが、中国では技適取得、金型製作、部品調達、パッケージ製作などが高度に分業化されている。資金さえあれば、ほぼ全工程を外注して製品を作ることも可能である。
この仕組みは東京大学の丸川知雄教授が指摘する「垂直分裂」の典型例と言える。
●山寨(さんさい)携帯が示した中国型競争
垂直分裂型のエコシステムを象徴するのが山寨携帯である。
最盛期には深圳だけで3000社程度が携帯電話事業に参入していたとも言われる。その中には買い集めた部品をマンションの一室で組み立てるだけのメーカーも存在した。
携帯電話を作ること自体は難しくない。しかし同じものを作れば価格競争になる。そのため各社は小さな差別化を競い続けたのである。
●マイクロイノベーションは現在も続いている
マイクロイノベーションの世界は過去のものではない。現在も形を変えながら続いている。
「出海(海外進出)」の中小零細ブランドは代表例だ。かつて中国企業は海外ブランド向けのOEM生産を担う立場にあったが、近年は自らブランドを立ち上げ、海外市場で直接販売する企業が増えている。当初はFacebook広告を活用しながらAmazonで販売する「Amazonセラー」が代表的なモデルであったが、現在ではTikTok ShopやTemuなど中国系プラットフォームを活用した販売も拡大している。中国企業は巨大サプライチェーンを背景に、海外市場でも激しい競争を展開している。
私も消費者として体感した。以前に中国製豆乳メーカーを購入する際、Amazonにはほぼ外観が同じの、別商品が無数に並んでいた。デザインの大部分を占める外装のプラスチックカバーも、複数の企業が自由に調達できる。そのため外観で区別がつかないのも不思議な話ではない。見た目は同じでも、中身の部品は異なっている可能性があるほか、きちんと検品されているかなどで品質に違いが出る。高価格だから高品質とも言い切れず、どうやって良い商品を選べばいいのかわからず途方にくれた。
同質化の一方で、巨大なサプライチェーンが参入障壁を引き下げ、多数の事業者が次々に商品を投入できるという中国特有の産業構造によって安い製品が作られるという特長もある。山寨携帯の時代に見られた「小さな差別化を積み重ねながら無数の企業が競争する世界」は、現在の出海企業や越境ECの時代にも受け継がれている。
その結果として、中国企業は極めて高い市場適応力を獲得する一方で、激しい価格競争にもさらされる。現在、中国で問題となっている「内巻(過当競争)」も、このマイクロイノベーションを支える産業構造と無関係ではない。
●「技術は後からついてくる」
中国企業の発展パターンを見てきた経験から、「技術は後からついてくる」という考え方が当てはまるように思う。
その典型例がシャオミである。現在のシャオミは独自の半導体や自動化工場を持つ世界的企業として知られているが、創業当初は違った。
創業者の雷軍はソフトウェア企業キングソフトの出身であり、当初のシャオミもハードウェア企業というより、ソフトウェアやインターネットサービスに強みを持つ企業であった。独自にカスタマイズしたAndroid OSを開発し、そのユーザーコミュニティを形成することによって差別化を図っていた。
当時のシャオミが前面に押し出していたのは、自社技術ではなく「世界一流メーカーの部品を使っていること」であった。ディスプレーにはシャープ製、SoCにはクアルコム製といったように、世界トップクラスの部品を採用しながらも低価格であることをアピールしていた。組立も外部に委託しており、ハードウェアそのものは徹底的に外部資源を活用していた。
シャオミは当初から「ハードウェアでは利益を取らない」という考え方を打ち出していた。ハードウェア事業全体の純利益率は5%を超えず、スマートフォン本体ではほとんど利益を得ない構造を採用していた。その代わり、ゲームアプリ、広告、オンラインサービスなど粗利率の高いソフトウェアによって収益を確保するモデルを構築した。
特にローエンド機種については、中国のODM企業に設計段階から委託していた。現在Nexperia買収問題などで知られる聞泰科技(Wingtech)も、当時はスマートフォンの設計・製造受託企業として重要な役割を担っていた。シャオミ自身はOSの開発や販売戦略、ユーザーコミュニティの形成といった部分に経営資源を集中していた。
しかし、市場で成功し、資金やブランド力を獲得すると状況は変わった。シャオミは独自SoCなど自社半導体の開発を進めるほか、人手をほとんど必要としない無人工場「ダークファクトリー」を建設するまでになった。現在では中国でも最も先進的な工場の一つとされる。
垂直分裂型エコシステムを活用し、同質化した商品を作っていた企業が、市場を獲得した後に、本格的な研究開発へ進む例は多い。マイクロイノベーションの世界から出発した企業が、やがて先端技術企業へと変貌していく。その「技術は後からついてくる」プロセスこそが、中国型イノベーションの重要な特徴の一つと言える。
(2)プロダクトイノベーション
●中国が生み出した新しい産業群
二つ目の層がプロダクトイノベーションである。
EV、ドローン、再生可能エネルギー設備、人型ロボットなどは、一般にイメージされるイノベーションに近い。
必ずしもゼロから独自技術を生み出したわけではないが、中国独自の発展を遂げている。
●「風口」に人と資金が殺到する
中国のプロダクトイノベーションを理解する上で重要なのが「風口(フォンコウ)」である。
投資家が注目するホットトレンドを意味する言葉であり、共産党や中央政府が未来産業や戦略的新興産業を打ち出すと、人材と資金が一気に流れ込む。
EV産業は典型例である。
2015年以後、「造車新勢力」と呼ばれる、新興EVメーカーが次々と誕生した。最大で約500社に達したとされるが、大半が1台も量産せずに市場から消えた。
●まず1台作ることに意味があった
当時の中国EV業界では、「まず1台試作車を作ること」が極めて重要だったという。
試作車さえあれば投資家に見せることができる。中国では企業も多ければ投資家も多い。有力ベンチャーは投資家間で奪い合いになる。試作車さえあれば、投資家は詳細なデューデリジェンス(投資対象となる企業や不動産などの価値、収益性、潜在的リスクを事前に綿密に調査すること)を行う前に資金を投入したのだ。
重要なのは技術や売上、完全な事業計画ではなく、「次の成長産業に乗っていること」を示すことである。
●人型ロボットに見る中国流の発想
現在の人型ロボットブームは、中国のプロダクトイノベーションを象徴する事例と言える。
もっとも、現時点で人型ロボットの用途が明確になっているわけではない。中国メディアでは工場への導入事例が盛んに報じられているが、多くは実証実験段階にある。
人型ロボットの最終用途のうち、実際に工場や生産現場で利用されているのは数%程度にとどまるとみられる。約2割は企業や研究機関によるAIやソフトウェア開発のための研究用途であり、残る7~8割は展示やイベントなどのパフォーマンス用途が占めている。
パフォーマンス用途も人型ロボットとしての意味があるユースケースは少ない。百貨店の集客イベントや観光地での案内役として利用され「未来感」を演出しているものの、その多くはタブレット端末やデジタルサイネージでも代替可能である。つまり、現段階で人型ロボットならではの用途が確立しているとは言い難い。
それにもかかわらず、中国企業は積極的な投資を続けている。その背景には、「ニーズ(用途)は後から見つけるものだ」という発想がある。用途が明確になってから参入するのではなく、まず市場を形成し、技術、人材、サプライチェーンを蓄積する。ニーズが分かった時にはすでに勝負がついている可能性が高いためである。走りながら考え、必要に応じて方向修正することが前提となっている。長期戦略に基づき、着実な研究開発を続けるファーウェイのような企業は、ごくごく少数だ。
●中国スピードと帳尻合わせ
見切り発車での創業、研究開発、投資は多大な浪費を生む。だが、失敗しても全てが無駄になるわけではない。
人型ロボットが期待された規模まで普及しなかったとしても、その過程で開発された小型アクチュエーターや精密制御技術、関連部品は他の製品や産業へ転用できる可能性は高い。また、人型ロボット向けに育成された技術者や研究者も別分野で活躍することができる。
半導体分野も同様である。中国の半導体投資は長年にわたり効率性への疑問が指摘されてきたが、その過程で大量の半導体技術者が育成された。現在のAIブームやレガシー半導体需要の拡大の中で、こうした人材が活躍する場面が増えている。
また、人型ロボットでは日本やドイツが依然として産業用ロボットで強みを持つ一方、中国では人型ロボット向け部品の国産化率が7~8割に達しているとも言われる。仮に人型ロボット市場そのものが伸び悩んだとしても、そのために開発された部品技術は他産業に吸収される可能性がある。
中国の特徴は、「殺到」と「帳尻合わせ」がセットになっている点にある。将来有望とみられる分野に人材と資金が一気に集中し、その後、市場の変化に応じて技術、人材、設備を再配置する。走りながら修正し、結果的に次の産業へつなげていくことが、中国のイノベーションを支える一つのメカニズムとなっている。
(3)ディープテック
●研究力の向上が新たな基盤になっている
マイクロイノベーションやプロダクトイノベーションと異なり、ディープテックは基礎研究の蓄積を前提としている。商業化には時間がかかるが、中国の研究力そのものは既にかなり高い水準に達している。
かつては海外との共同研究や海外技術への依存が大きかったが、現在では中国国内だけでも研究開発が一定程度自走できる段階に入りつつある。研究成果の商業化も進んでおり、政府も近年は「硬科技(ハードテック)」への支援を強化している。
これはマイクロイノベーションやプロダクトイノベーションに続く、新しい中国が形成されつつある過程と見ることができる。
●DeepSeekやUnitreeが示す新しいタイプの起業家
近年注目を集めるDeepSeekやUnitreeには共通点がある。
創業者が1980年代以降生まれの世代であり、高学歴で研究志向が強いことである。この世代は、これまで中国を代表してきた起業家とはやや雰囲気が異なる。
ジャック・マーに代表されるような企業家は、人を惹きつける力や強い発信力を持っていた。良い意味で「ほら吹き型」とくくれそうだ。一方で、最近のディープテック企業の創業者はメディア露出を好まず、研究開発そのものに没頭する「沈思黙考型」が多い。中国のイノベーションを担う経営者像そのものが変化しつつあると言える。
ディープテックは、今後中国のイノベーションを語る上で最も重要な領域の一つになるだろう。
マイクロイノベーション、プロダクトイノベーション、そしてディープテックと、時代を追うごとに新たなイノベーションの形が登場してきた。ただ、新しい形が登場しても古い形が消えるわけではなく、併存している。むしろ樹木の年輪のように、古い中国の上に新しい中国が重なっていく形で発展していると考えた方が実態に近い。「過去の中国はああだったが、今の中国はこう変わった」と安易に対比すると、現実から乖離する。
この新しい中国と古い中国の共存は、以下で見る事例にも共通している。
2.大学・研究開発システムをどう見るか
(1)産学連携の実態
●「大衆創業・万衆創新」の熱狂
中国では第13次五カ年計画の頃、「大衆創業・万衆創新」が盛んに唱えられた。
当時は、できるだけ多くの人が起業し、イノベーションを起こすことが期待されていた。コワーキングスペースの整備も進み、科技統計年鑑にはコワーキングスペースの数や面積まで統計指標として掲載されるようになった。
しかし、その熱狂にはどこか無理もあった。ベンチャー企業の数よりコワーキングスペースの数の方が多いのではないかと言われていたほどだ。
実際にコワーキングスペースを訪問してみると、ハイテク企業として利用料を免除されていたベンチャー企業が、実際には韓国語の個人教師だったこともあった。極端な例ではあるが、施設整備そのものが目的化していた側面も否定できない。
●大学・研究機関主導への転換
その後、中国のイノベーション政策は大きく変化した。
現在の第15次五カ年計画では、大学、研究機関、大企業を技術の供給源と位置付け、そこで生み出された技術を中小企業へ波及させる方向が強く打ち出されている。
かつての「誰もが起業家になる」という発想から、「技術力を持つ主体がエコシステムの中心になる」という考え方へと重点が移りつつある。
ディープテック時代になり、高度な研究開発能力の重要性が高まったことも背景にある。
●人のつながりが大きな役割を果たす
もっとも、実際の中国では制度よりも人的ネットワークが重要な役割を果たしている。
人型ロボット分野では大学教員が創業者となっているケースが珍しくない。中国企業関係者の中には、「ロボットやAIを研究している一流大学の先生はみな起業家でもある」と語る人もいる。
AI分野では、清華大学姚班(ヤオハン)出身者のネットワークなども有名である。
また、上海AI実験室のように、大学研究者と企業研究者を同じ組織に集める試みも進んでいる。2020年代に入り、大学の知を産業化する取り組みは一段と活発になっている。
●地方政府がイノベーションを支える
中国のスタートアップ・エコシステムを理解する上で重要なのが地方政府の存在である。
大学のインキュベーション施設では、税務相談や経営支援よりも、「どの地方政府がどのような基金や補助金を持っているか」を紹介することが重要な役割になっている。
実際に清華大学のインキュベーション施設を訪問した際にも、入居企業への支援として重視されていたのは、地方政府ファンドや各種補助金の獲得支援であった。どの地域に進出すればどのような支援を受けられるのか、どの政府系ファンドが対象となるのか、といった情報提供が重要な業務になっていた。
日本ではスタートアップ支援というと民間投資家とのマッチングや経営支援をイメージすることが多い。しかし中国では地方政府ファンドがスタートアップ育成の中核を担う場合も少なくない。
そのため研究者や学生にとって起業は身近な選択肢となりやすく、起業経験者も周囲に数多く存在する。こうした環境も、中国でディープテック系スタートアップが次々に生まれる背景の一つになっている。
(2)中国大学の二重構造
●新しい大学と古い大学は別世界である
中国の大学について語る際には注意が必要である。
海外の研究者が参加する新設大学や新設学部を見ると、非常に先進的な研究環境が整っている。国際標準に近いPI制度が導入され、研究者の流動性も高い。
しかし、それだけを見て中国全体を判断することはできない。
伝統的な大学や学部では、依然として強い上下関係や学内政治が存在する。教授権限が強く、講座内の権力構造も色濃く残っている。
中国の大学は一つではなく、「新しい大学」と「古い大学」が並存している。
●研究型教員と教育型教員
中国の大学教員制度も一様ではない。
新設大学や新設学部と伝統的な大学とでは制度も文化も大きく異なる。教員制度についても大学ごとの差が大きい。教員を研究型と教育型に分けているケースも見られる。
教育型教員は教育を主たる業務とする職種であり、待遇は必ずしも高くない。しかし比較的安定した雇用が保障されている。
一方で、研究型教員は全く異なる論理で評価される。研究費や論文実績に応じた高い待遇を受けることができる反面、その地位は常に競争にさらされている。
実際、中国の大学に所属する研究者からは、「テニュアを取得したはずなのに、数年後に再びテニュア審査を受けることになった」という話を聞いた。さらにその審査を通過しても、また数年後に継続審査が行われたという。本人からすれば、「テニュアとは何だったのか」と感じても不思議ではない。
その研究者によれば、研究型教員として大学に残り続けられるかどうかは、論文を書き続けられるか、競争的資金を獲得し続けられるかにかかっているという。教育型教員としてであれば定年まで勤務できるが、研究型教員としての地位を維持できるかどうかは研究成果次第となる。
もっとも、こうした国際競争型の研究環境が中国全体に広がっているわけではない。新設大学や新設学部、一部のトップ研究機関では先進的な運営が行われている一方、伝統的な大学には依然として旧来型の組織文化が残っている。中国の大学は、異なる世界が同時に存在する「二重構造」として理解する必要がある。
●海外経験者が直面する課題
こうした大学の二重構造は、海外経験を持つ研究者にも大きな影響を与えている。
近年、中国では海外で学位を取得した研究者や海外の大学・研究機関で経験を積んだ人材の帰国が進んでいる。しかし、帰国後の評価は一様ではない。
中国の研究環境について話を聞くと、同じ中国を見ているはずなのに全く異なる評価を耳にすることがある。ある研究者は「国際水準の研究環境が整っている」と語る一方、別の研究者は組織運営や人事制度への不満を口にする。
中国研究はしばしば「群盲象を撫でる」に例えられる。巨大な象の一部だけを触れば、それぞれ全く違う姿が見えるからである。大学についても同様で、新設大学や新設研究機関で経験した中国と、伝統的な大学で経験した中国とでは印象が大きく異なる。
特に海外から帰国した研究者の中には、研究能力そのものよりも人間関係や組織文化への適応に苦労する例も見られる。中国では近年、研究評価の制度化が進んでいるとはいえ、依然として「関係(グアンシー)」が影響する場面も残っている。優れた研究成果だけで全てが決まるわけではなく、既存組織の中でどのようなネットワークを持っているかが問われることもある。
もちろん、こうした特徴は全ての大学に当てはまるわけではない。むしろ中国の大学を理解する上で重要なのは、それぞれが全く異なる制度や文化を持っているという点である。中国の研究環境を一言で評価することが難しいのも、そのためである。
ただし、そのような違いがあるとしても、中国全体の研究レベルが大きく向上していること自体は疑いない。研究型教員に求められる水準も年々上昇しており、中国の研究コミュニティ全体が高い競争圧力の下に置かれていることは間違いない。
3.中国研究力の将来
(1)文革の「欠如」が生んだ発展
●文革世代の空白がもたらしたもの
中国の研究力や企業の成長を考える上で、文化大革命から改革開放にわたる混乱の影響が大きいとの仮説を立てている。
文化大革命期には大学入試が停止され、高等教育そのものが大きな打撃を受けた。その結果、中国社会には一世代分の人材の空白が生じた。
もちろん文革は中国社会に深刻な損失をもたらした出来事である。しかし、その後の改革開放期以降の発展を考えると、この「欠如」が思わぬ形で作用した面もある。
改革開放後に大学へ進学し、企業や研究機関でキャリアを形成した世代は、上の世代との競争が比較的少ない環境に置かれていた。大学でも企業でも、上位層に存在するはずの世代が薄かったためである。
現在の中国を代表する起業家や研究者の多くは、そのような環境の中で成長してきた。
●拡大を続ける中国が若い世代を押し上げた
こうした世代構造に加え、中国は1980年代以降、一貫して拡大局面にあった。
改革開放以降、中国経済は長期間にわたって成長を続けた。大学は増設され、高等教育進学率は上昇し、研究機関も拡大した。民間企業も次々に誕生し、それまで存在しなかったポストや組織が次々に生まれていた。
その結果、若い世代にも活躍の機会が多く与えられた。大学で研究を続けるにしても、企業でキャリアを築くにしても、新たなポストが増え続けていたためである。
中国の企業経営者を見ても、現在なお創業世代が経営の中心を担っている企業が少なくない。大学や研究機関でも、比較的若い年齢で研究室や組織を率いる人材が現れてきた。
振り返ってみると、中国の急速な発展は、文化大革命によって生じた世代的空白と、1980年代以降の長期的な拡大局面が重なったことで実現した側面があると言える。
●「欠如ボーナス」は終わりつつある
現在の中国では、企業も大学も成熟し、人材の蓄積が進んでいる。かつては上の世代が薄かったため比較的早く責任ある立場に就くことができたが、現在は上層部にも中堅層にも人材が蓄積されている。ポストが増えているのに人材が不足しているという状況は変わりつつある。
必然的に中国の組織も人事のあり方を変える必要があるが、現在ではむしろ中高年の整理解雇などを通じて若さを維持し、既存の手法を踏襲し続けようという動きが目立つ。
研究者の世界でも状況は似ている。前述したように、研究型教員として大学に残り続けられるかどうかは、論文を書き続けられるか、競争的資金を獲得し続けられるかにかかっている。かつてのような人材不足の時代とは異なり、中国でも人材競争が前面に出る時代になりつつある。
現在の中国では大学進学率の上昇によって学生数が支えられているが、この状況が永続するとは限らない。少子化の進行は非常に速く、今後10年程度のスパンで見れば、大学進学者数そのものが減少に転じる可能性がある。
その影響は大学や研究機関にも及ぶだろう。実際、中国の大学教員からは、自分の学生にアカデミックポストを積極的には勧めていないという話を聞いたことがある。大学進学者数が減少すれば、将来的には大学定員の見直しや大学教員ポストの縮小につながる可能性があるためである。
少子化がそのまま研究力の低下を意味するわけではない。韓国は中国よりも早く少子化に直面しているが、研究開発分野では依然として高い競争力を維持している。
ただ、中国の大学や研究機関がこれまで経験してきた環境とは異なる局面に入りつつあることは確かである。
(2)研究力は今後も伸びるのか
●それでも研究力は簡単には衰えない
少子化や高齢化は中国社会全体にとって重要な課題である。しかし、それが短期的に中国の研究力へ直接反映されるとは限らない。
研究力には大きな蓄積効果がある。現在、ノーベル賞に代表される日本の研究成果の多くは、数十年前に形成された研究基盤や人材育成の上に成り立っている。
同様に、中国も過去数十年間にわたり大規模な研究開発投資と人材育成を続けてきた。その成果は今後長期間にわたって現れてくると考えられる。
いずれ中国も人口減少や高齢化の影響を受けることになるだろう。しかし、中国は人口規模が大きく、理工系分野を志望する人材の裾野も厚い。研究力の推移を考える上では、こうした規模の効果も考慮する必要がある。
●「殺到する中国」は研究開発にも現れる
中国の研究開発を考える上では、「殺到する中国」という視点も重要である。
半導体分野は典型例の一つと言える。国家的な重点分野として位置付けられると、多くの学生や研究者がその分野へ集まる。学生も将来性や報酬水準を見ながら研究分野を選択するようになっており、有望と考えられる分野には人材が集まりやすい。
どの研究テーマに人材が集まるかを考える上では、政府が重視する重点分野であるかどうかに加え、研究成果が事業化や起業につながる可能性も重要である。
中国では大学教員や学生による起業事例が数多く存在している。周囲に成功例を目にする機会も多く、「自分も挑戦してみよう」と考える人は少なくない。
研究者、起業家、投資家、地方政府ファンドの距離が比較的近く、研究から起業までの距離が短いことも中国の特徴の一つである。こうした環境のもとで、人材や資金が有望分野へ一気に流れ込み、新たな研究テーマや産業が形成されていく。研究開発の分野においても、「殺到する中国」という現象は色濃く表れている。
4.権威主義体制とイノベーション
●権威主義体制だからイノベーションが起きないのか
権威主義体制とイノベーションの関係については、長年さまざまな議論が行われてきた。
10年ほど前であれば、権威主義体制が民間活力やイノベーションを制約するという説明には、社会の同意を得られていたように思う。しかし、現在の中国はその強力な反証となっている。
おそらく、権威主義とイノベーションの問題は分解して考える必要があるのではないか。
例えば、中国では私有財産権そのものは広く認められている。スタートアップ企業の創業者や初期メンバーが株式を保有し、その結果として大きな資産を形成する事例も珍しくない。政府による財産没収等の介入リスクは存在するものの、多くの企業関係者にとって日常的に強く意識されるリスクとは必ずしもなっていない。
●中国社会に残る「緩さ」
権威主義とイノベーションをめぐる、もう一つのポイントが思想の自由である。中国の法令や政策文書だけを見ると、社会全体が厳しく統制されているように見える。
例えば大学では「西側の普遍的価値」を教えてはならないといった話を聞くと、非常に統制的な社会に見える。しかし実際の中国社会を見ると、必ずしも国家が社会の隅々まで管理できているわけではない。これをどう理解するべきか。元々歴史学を学んでいたこともあり、90年代に流行った帝国論を思い出すことがある。オスマン帝国やロシア帝国、中国の歴代王朝のような帝国は広大な領域を統治しており、地域社会や住民生活の細部までは管理できない。税金さえ納めれば後は良きに計らえという、「小さな政府」であった。現在の中国についても、どこか似た面があるように思う。
新中国成立後には強力な社会統制を志向し「大きな政府」が構築されたが、改革開放後に新たに生まれた民間経済については管理が行き届いていない。
現場レベルでは依然として「網の目の粗さ」が残っているように見える。思想を取り締まる制度はあるが、機能していない。これが思想の自由の代替になっていたのではないか。習近平政権誕生以後、中国の社会統制、思想統制は強化へと向かっている。AIによる社会統治効率の向上も「網の目」を細やかにするであろう。この変化を考えると、思想統制がイノベーションに与える影響については、これから真に問われることになるのではないか。
●「怒られてもやる」という行動様式
こうした中国社会の「緩さ」を利用する企業側の行動様式も、中国のイノベーションを考える上で興味深い。
かつてある中国企業幹部と話をした際に印象的だった言葉がある。その幹部は、「ヨーロッパ人は怒られるまでやる。日本人は怒られるならやらない。中国人は怒られてもやる」と語っていた。
もちろん多少の誇張はあるだろう。しかし、中国企業が制度や規制の隙間を見つけながら事業機会を探し、仮に規制がかかったとしても別の方法を考えながら事業を継続していく姿勢をよく表している。
モバイル決済の普及過程もその一例である。AlipayやWeChat Payが店頭決済サービスを始めた際には規制当局による規制命令も出されていた。しかし事業者はサービスの拡大を続け、結果として社会インフラとして定着していった。
新しいビジネスが生まれるたびに、制度の隙間を見つけ、事業化し、後から制度との整合を図る。このような企業行動は、中国のデジタルサービス産業の発展を支えてきた一つの要因と言える。
●「先放後管」が生んだイノベーション
こうした企業活動を受け止める社会や制度の側にも特徴がある。
中国ではしばしば「先放後管(まずやらせて、後から管理する)」という考え方が語られてきた。まず事業を走らせ、社会的な需要があることが分かれば後から制度を整備するという発想である。
もちろん、全てが成功したわけではない。P2P金融(個人間の金融取引)のように最終的に厳しく規制され、ほぼ姿を消した分野もある。
一方で、配車アプリは異なる経路をたどった。中国はもともと日本以上にタクシー規制が厳しく、タクシー免許は高額で取引される許認可ビジネスであった。配車アプリはタクシー業界の権益を破壊するものであったが、「配車サービスではなく、レンタカーと運転代行を同時に提供しているだけだ」といったとんちのような説明を含め、濃い目のグレーゾーンの中でサービスが拡大。後に法律が施行されて合法化された。
配車アプリなどの事例は、中国の大胆な実験精神の象徴として「中国版サンドボックス」と語られてきた。ただ、それを政府が意図的に社会実験を許容したとみていいのかは疑問だ。新しいサービスが登場した時点では管轄官庁が決まっておらず、結果として誰も手を出せなかったなど、偶発的な側面が強かったのではないか。
●AI時代にも「緩さ」は残るのか
こうした「緩さ」が今後も続くのかどうかは、中国のイノベーションを考える上で非常に興味深い論点である。
これまで中国では、管理が追い付いていなかったり、管轄が明確でなかったり、あるいは単純に見つかっていなかったりすることで生まれる余白が存在していた。その余白の中から、新しいサービスやビジネスモデルも生まれてきた。
だからこそ気になっているのは、AIやデジタル技術によって社会の隅々まで目が届くようになったとき、その余白がどうなるのかという点である。
これまで見逃されていた人の移動やビジネス活動が全て把握できるようになったとき、それを許容するのか、あるいは管理を優先するのか。この点に強い関心を持っている。
AIによる統治能力の向上と、中国社会に残る「緩さ」。この二つをどう両立させるのかは、今後の中国を考える上で重要な論点になるだろう。
5.中国はなぜイノベーションを生み出せたのか
●「勝ち将棋鬼のごとし」で中国を見る
将棋には「勝ち将棋鬼のごとし」という言葉がある。序盤で指した疑問手や有効に働いていなかった遊び駒が、終盤の決め手になることを意味する。棋士が意図的に遊び駒を作ったわけではなく、うまく帳尻をあわせたり、あるいはたんなる幸運がもたらしたものである。私の経験では、中国のイノベーションにぴったり当てはまる言葉と感じる。
今日の中国を見ていると、EVやAI、再生可能エネルギー、人型ロボットといった分野の成功が注目される。しかし、それらは突然生まれたものではない。文化大革命によって生じた世代の欠如、深圳を中心とするモジュール型サプライチェーンの発達、再エネへの注力、そして社会に残されていた「緩さ」など、過去のさまざまな条件が積み重なった結果として現在の中国が存在している。
将棋で言えば、何十手も前に指した疑問手が終盤になって効いてきたのだ。
●うまく回っていた歯車が変わり始めている
足元の不足をうまく活用した帳尻合わせの妙なのか、それとも幸運なのかはわからないが、2020年代に入って、その「勝ち将棋鬼のごとし」にケチがつき始めている。
不動産市場の低迷から始まったが、強すぎる製造力が生産過剰やデフレを生んだ。本稿で述べた欠如のボーナスも消えつつあり、少子高齢化と社会の成熟によって社会や企業の拡大トレンドも止まりつつある。中国社会が転換を迫られていることは誰もが同意するところだろうが、転換後も今までどおりの成功を続けられる保証はない。
中国がどのような社会であるか、なぜイノベーション大国となったのかという過去の要因を理解する作業を進めつつも、新たな変化を見逃さないことを、私自身、肝に銘じたい。
(インタビュー記事にある意見や見解は研究者個人のものであり、所属機関の見解を示すものではない。)
【聞き手・構成】
JSTアジア・太平洋総合研究センター
白尾隆行(特任アドバイザー)、横山聡(副調査役)、堀内信彦(Science Portal China編集長)
