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第24回アジア・太平洋研究会「国家安全かグローバリゼーションか:中国のデータガバナンスの事例から」(2023年8月10日開催/講師:渡邉 真理子)

日  時: 2023年8月10日(木) 15:00~16:30 日本時間

開催方法: WEBセミナー(Zoom利用)

言  語: 日本語

講  師: 渡邉 真理子 氏
学習院大学経済学部 教授

講演資料: 「第24回アジア・太平洋研究会講演資料」(PDFファイル 3.40MB)

YouTube [JST Channel]: 「第24回アジア・太平洋研究会動画

講師:渡邉 真理子

渡邉 真理子(わたなべ まりこ)氏

学習院大学経済学部 教授

略歴

1991年アジア経済研究所入所、2013年より現職。
東京大学経済学研究科にて博士号(経済学)取得


第24回アジア・太平洋研究会リポート
「国家安全かグローバリゼーションか:中国のデータガバナンスの事例から」

日米欧諸国は近年、対中国戦略を転換し、中国を国際通商ルールの枠組でどう位置付けるかを模索している。2023年5月に広島で開催されたG7サミットでは「デカップリング」に代わり「デリスキング」が打ち出され、中国との経済関係分断を避けつつ、重要技術を含む産業では中国への依存度を抑える方針が示された。中国の法制度は、2021年9月までに順次施行されたデータ保護3法を契機として、その独自性が世界の注目を集めている。制度と政策の転換が科学技術や産業の構造、また通商関係にいかなる影響を及ぼすのか。本研究会では、中国を対象に実証産業組織論を研究する渡邉真理子氏(学習院大学経済学部教授)を講師に迎え、その現状と将来が議論された。

データガバナンスをめぐり、世界はどう動いているか

データガバナンスの確立は、単にフェアな国際交易を行うべきという規範を超え、「データは誰のものか」という所有権の観点からも世界的な関心の的となっている。データは資源であり、デジタル化とは、そのデータを一定の演算で処理するプログラムを用いて、コンピュータを動かし、IoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)を機能させる技術である。これは複製と自動化を極少コストで行えるがゆえに利便性が高い。渡邉教授は「現代の米中摩擦の下では、ガバナンスの中国的特徴を念頭に置きつつ、データを整備し運用する方法が問われます」と指摘する。

デジタル化を通じた取引は対面コストを低減し、経済的厚生をもたらす。他方、もし巨大プラットフォーム企業などがデータを占有すれば、社会全体として便益を損なう結果を生む。過去10年で、企業によるデータの占有と濫用は、しばしば消費者に応じた価格差別の横行や、過度な独占が社会的厚生を損なう事態をもたらした。

各国政府はこれに対し競争法を整備するとともに、データを集約して共有・公開し取引市場をつくる施策を講じた。先立つ諸研究も、こうしたデータ経済の陥穽を指摘すると共に、アリババをはじめ、中国IT企業の成功事例と成功要因を検証してきた。

中国的ルール形成が持つ、二つのベクトルとは何か

中国では、データをめぐる制度整備が2013年頃より開始し、2015年に国家安全法、2017年にサイバーセキュリティ法、2021年にデータ安全法、個人情報保護法が施行されたことをもって、ほぼ完了した。「そのガバナンスには、二つの異なるベクトルが拮抗していると思われます」と渡邉教授は指摘する。

まず、濃厚な産業政策的視点である。世界銀行は当初、データは経験財1であるため、商取引には馴染まないという評価を下していた。第14次5カ年計画(一四五)にはこのデータ取引を妥当化しビッグデータ市場を確立しようという目論見がある。プライバシー権と個人情報保護(民法典第1032・1034条)はEUの一般的データ保護規則(GDPR, General Data Protection Rule)を意識した内容で、中国でも法的にルール化された。

一方で、データガバナンスを支える根底には、非常に保守的な思想がある。すなわち、データガバナンスを規定する法律は、2018年憲法第54条(中国公民は、祖国の安全、栄誉および利益を維持し、守る義務がある)に基づき、情報に関しては国家が個人に優先することを明確にしている。また、外国とのデータ取引には様々な制約が設けられ、越境移動に対しては防衛的な志向がみられる。特に中国におけるデータの国家主権に対して、アメリカ合衆国は強い反発姿勢を見せている。こうした対外姿勢の背景には「ビックデータ市場が巨大化するなか、国家が創出した市場を守るために、政府が率先してオープンガバメントを進めている面があります」と渡邉教授は見る。

中国のデータガバナンスは、国際共同研究にどう影響するか

質疑では、世界的に進むオープンサイエンス2が中国的データガバナンスの下で進まなくなるのではないか、諸外国は中国と共同で生み出した新技術の軍事転用を警戒すべきではないか、との懸念が多く上がった。特に中国知網(CNKI)は論文・実験データを独占的に集約しているが、現在、データ安全法の下で審査中との理由から中国政府との関係で情報提供活動の一部を停止している。渡邉教授は「学術知識の相互共有を閉ざすことは中国にとっても不利益であり、諸外国は懸念を明確に表明し、妥協点を交渉していく必要があるでしょう」と応答した。

更には、オープンサイエンスの潮流に反し、政府の恣意的な判断の下に、海外への実験データ越境移動が不可能となれば、海外トップ学術誌への投稿は困難とならないか、ひいては共同研究に困難が生じるばかりか、科学知識の発展も阻害するのではないか、との疑問も聞かれた。

「学術論文発表では、分野ごとに裁量的なやり取りが生じるでしょう」と渡邉教授は推測する。中国大学のメリトクラシー(業績主義)は論文発表数とインパクト/ファクターに強く依存しているためだ。トップ学術誌に載るような論文は、関係分野の研究者が政府に規制の判断基準の透明性確保や過度な規制の排除について働きかけることで個別に承認されていくだろう、但しデータセキュリティを正面から扱うなどの直截なテーマの論文には制限が掛かることになろう、と述べた。

最後に、中国のデータの越境流通に対する過度な規制は、多国籍企業活動にとっても公平な商取引を阻害している、諸外国が最低限求めた「インターネット接続の内外無差別」も守られず、国際的なルールづくりを講じるべきではないかとの問いが提起された。この問いに渡邉教授は「中国の姿勢はWTOの加盟原則に反しますが、個別論では対応できない。データに関してはまさにルール整備が急務です」と応答した。中国は2021年CPTPP加盟申請後、シンガポールらが参加するデジタル経済パートナーシップ協定(Digital Economy Agreement)にも加入申請し3、将来におけるルール形成の場としての活用を見越していると推測される。一方、日本は日米デジタル協定が踏み込んだ規定を設けており、これを基にインド太平洋経済枠組み(IPEF)などの国際枠組みに載せる、EUのGDPRと共同してルール形成をはかる、などの対応が想定できる、とした。

中国のデータガバナンスは、国境を超え、世界のアカデミアや企業に広汎な影響を及ぼすが、時として中国自身にも不利益を及ぼす状況を生みかねないことが分かる。今後も中国における法の運用がどう展開するか追うと共に、諸外国の反応を受けた動きも注視したい。

(文: JSTアジア・太平洋総合研究センターフェロー 斎藤至)


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