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第28回アジア・太平洋研究会「アジア・太平洋地域での研究開発の競争と協調 ―電動車、電池、材料に関する事例―」(2024年1月26日開催/講師:射場 英紀)

日  時: 2024年1月26日(金) 15:00~16:30 日本時間

開催方法: WEBセミナー(Zoom利用)

言  語: 日本語

講  師: 射場 英紀 氏
トヨタ自動車株式会社 先端材料技術部 CPE(チーフプロフェッショナルエンジニア)

講演資料: 「第28回アジア・太平洋研究会講演資料」(PDFファイル 2.29MB)

射場 英紀(いば ひでき)氏

トヨタ自動車株式会社 先端材料技術部 CPE(チーフプロフェッショナルエンジニア)

略歴

1987年トヨタ自動車(株)材料技術部に入社し、マグネシウム部品の開発を担当の後、1993年から3年間、物質工学研究所(現産総研)へ派遣。1997年東北大学大学院工学研究科工学博士取得。
燃料電池の水素タンク用として当時世界最高性能の水素吸蔵合金を発明。
帰任後、2000年から同社技術統括部において、先端研究や産学連携のマネジメントを担当。2008年電池研究部の発足と同時に部長を務める。
2019年から、材料、電池、国家プロジェクトや社外連携を専門領域とするCPE(チーフプロフェッショナルエンジニア)に就任。
その間、総合科学技術会議、文部科学省、経済産業省、JST、NEDO、学術振興会などで、数多くの委員を担当。
また、2021年度より、NIMS・客員研究員、信州大学・特任教授、名古屋大学・客員教授など担当。


第28回アジア・太平洋研究会リポート
「アジア・太平洋地域での研究開発の競争と協調 -電動車、電池、材料に関する事例-」

はじめに

射場英紀先生は、トヨタ自動車株式会社(以下、トヨタ)に入社後、水素吸蔵合金・材料・電池の開発に従事され、国立研究所・大学との先端研究や産学連携のマネジメントを担当し、現在は材料・電池・国家プロジェクトや社外連携を専門領域とするCPE(チーフプロフェッショナルエンジニア)を務められている。本研究会では「アジア・太平洋地域での研究開発の競争と協調-電動車、電池、材料に関する事例-」と題してご講演いただいた。その概要を紹介する。

1. 社会と技術

トヨタは、人々の暮らしを支えるあらゆるモノやサービスがつながる実証都市「コネクティッド・シティ」プロジェクトを2020年に発表、デンマークの著名な建築家であるビャルケ・インゲルス氏が街の設計を担当し、2021年に着工した。東富士工場(静岡県裾野市)の跡地を利用するこのプロジェクトでは、人々が生活を送るリアルな環境のもと、実証都市を新たに作り、自動運転、MaaS(Mobility as a Service)、パーソナルモビリティ、ロボット、スマートホーム技術、人工知能(AI)技術などを導入・検証する。

トヨタは、網の目のように様々な道が織り込まれ合う街の姿から、この街を「ウーブン・シティ(Woven City)」と名付けた。このプロジェクトの狙いは、人々の暮らしを支えるあらゆるモノ・サービスが情報でつながっていく時代を見据え、「ゼロから街を作り上げることを通じて、バーチャルとリアルの両方でAIなどの将来技術を実証し、何をやっていくべきか見つけ」、そして「トヨタはクルマを売る会社から、モビリティのサービスを売る会社に変化」(豊田章男現会長)することである。

では、MaaSのキーデバイスは何か?一つ目の例として、e-Paletteは、電動化・コネクティッド・自動運転技術を活用したMaaS専用次世代EVである。移動や物流、物販など様々なサービスに対応し、人々の暮らしを支える「新たなモビリティ」を提供したいと考えている。また、二つ目の例として、Japan Taxiは日本の伝統色「深藍(こいあい)」を身にまとったボディを持ち、その名はアプリでも使用された。LPG燃料のハイブリッド車仕様は、国内では最も燃費が安い。

燃料水素の貯蔵手段について、1997年に発明した水素吸蔵合金が、今や高圧水素タンクに置き換わっている。2021年の東京オリンピックの聖火台では、水素を燃やしていたが、その火を運ぶ聖火トーチでは、グリップに水素吸蔵合金が採用された。水素の脱離プロセス(吸熱反応)で冷却されるため、燃焼熱がグリップに伝わり難い構造となっている。また、水素を燃料とする次世代車には、燃料電池で発電しモーターを駆動させる燃料電池車(FCEV)に加え、水素を直接水素エンジンで燃焼させる内燃駆動による水素エンジン車がある。トヨタは既に、水素エンジン車で耐久レースに参戦している。水素エンジン車は燃料電池車よりもエネルギー変換効率が悪いが、多様な水素利用促進の観点からその開発に一定の意義があるのではないか。

このように、技術の変遷はよくあることで、自分が担当している技術に先が無くなったら、技術者は経営幹部にしっかり説明し、転進することも必要である。

2. 電気自動車と市場

トヨタがフリーモント・ヌーミ工場(40年前のGMとの合弁拠点)をテスラに売却したことをきっかけとして、テスラとトヨタは技術提携を図った。テスラのモデルYは、2023年世界で最も売れた車種であり、年間120万台の販売を記録した。蓄電池による電気自動車(BEV)市場全体は年間700~800万台の規模であるが、BYDは複数車種を合わせて200万台を販売している。しかし、現在の世界の自動車市場1億台(年間販売台数)の主流は、まだまだBEVではなく、ハイブリッド車(HEV)を含めた従来型のガソリン車、ディーゼル車である。

日本を含めて国際的にSDGsが浸透し、環境意識が高まって来ている。トヨタは早くから二酸化炭素削減に取り組み、環境と安全という2本柱で研究開発を進めてきた。では、どうやってトヨタはBEVシフトの立ち遅れを挽回するのか?トヨタは2021年12月、BEVシフトの立ち後れを挽回すべく、2030年にBEV年間350万台の世界販売を目指すとの新戦略を発表した。この350万台との数字は、世界市場1億台の内トヨタは10%のシェア1000万台を占め、この約3割強をBEV化するとの目標を意味する。

FCEVについて、BEVと比較して長距離適性があり、トヨタグループの中では日野自動車がバスを担当し、トヨタが乗用車ミライを販売している。FCEVとBEVのどちらが普及するのか、顧客が決めると考えている。トヨタはどちらも環境対策車として準備している。水素が安く行き渡ればFCEVであり、全固体電池が実用化出来ればBEVが本命となる。仮に今のリチウムイオン電池(LIB)のままであれば、利便性の問題が解決できず、BEVが本命となることは難しいであろう。

中国におけるBEVは、大学構内など各所に充電スタンドが整備されているように、急速に普及しているように見える。しかしBEVには不便なところがあり、遠距離はガソリン車が優位である。ナンバー取得規制・補助金などで政策誘導しているが、最後は本当の車の便利さが決めるのではなかろうか。今のままのBEVでは不便であるため、その本格的普及は蓄電池の今後の研究開発次第と言える。

3. 中国・アジアの研究開発拠点

トヨタは中国で売る車は中国で開発する方針で、トヨタの100%出資による「IEM by TOYOTA」を2010年に設立した。従業員は600名、広大なテストサーキットを併設しており、パワートレインを含めた各種機器、システムの知能化・電動化などの先進技術を開発している。公用語は日本語、中国人スタッフは女性比率が30%と高い。自動運転試験、FCEVバス開発、BEV開発、スマートコクピット開発、そして自動車公道走行を実施している。

またトヨタは、インドを含めてアジア・パシフィック地域の統括会社「Toyota Daihatsu & Manufacturing CO., LTD.(TDEM)」をタイに2003年設立した。従業員数は2,500人、中国同様、女性比率が高く、マネージャー層も女性の方が多い。日本での研修でも高いパフォーマンスを示しており、トヨタの女性エンジニアのモチベーションアップに繋がっている。

トヨタが実施している「夢の車コンテスト」において、インドネシアの子供が描いた未来の自動車の絵(下図)には驚くべきコンセプトが盛り込まれている。そのコンパクトな車は木製で折り畳んで並べることができる。蓄電池はメカニカルチャージ(電池自身を交換するタイプ)であり、電池残量や劣化度合いをモニターし、身につけたウエアラブル端末で確認する。発電は電気ウナギが担当し、棚に並んだ予備電池を充電している。地域モビリティの可能性を十分に考察した力作で、工業デザイナーの発想を超えたアイデアが詰まっている。

図 トヨタ夢の車コンテスト作品

4. 電池の研究開発

前述のBEV350万台に必要な蓄電池は大量となるため、トヨタは世界の有力な蓄電池メーカーからの調達を予定している。従来からのパートナー企業に加えて、豊田自動織機がグループ内製、そして世界1位のCATL、2位のLGケミカル、3位のBYDなどである。並行して、BEVの普及のためには充電スタンドの整備が必要である。

現在の蓄電池は車1台あたり400-500kgの重量がある。この重量を軽くすることが求められており、韓国・中国・欧米を含めて、開発競争が展開されている。残念ながら現在のLIBは、重量を大きく削減することは出来ない。そこで最先端の性能が想定される全固体電池が期待されているが、その開発には相当な時間と資源を必要とするため、国の支援が必須である。

日本では電気化学会・電池技術委員会が、2000~3000人が参加する電池討論会を毎年開催している。トヨタは今までに、金属空気電池反応解析、Naイオン電池正極材料、全固体電池固体電解質、Fイオン電池正極材料などの技術で電池技術委員会賞を受賞している。蓄電池の駆動体としてLi・Na・Fと続き、現在ではMg・Hなどが期待されている。

トヨタでは、世界のEV市場を獲得するために、BEVに関連するリサイクルについても研究開発の一環として取り組んでいる。普及が進めば、利用後の電池スクラップの処理問題が課題となるが、電池にかかわらず、リサイクルは難しい。車では冶金原料とPb電池、モーターの磁石・触媒の白金について回収が進んでいる。ところが、汎用材料で構成されるマグネシウム電池では、リサイクル電池が新品よりも高くなってしまう。循環経済を実現するには、リサイクルで価値を生むこと、または、家電のように回収、再利用する社会の仕組みなが必要である。研究開発では、リサイクルが容易な、簡易な構造の蓄電池の設計が重要となる。

5. 全固体電池のオールジャパン体制

日本ではオールジャパン体制で、全固体電池の技術開発に注力している。基礎から応用まで、学術振興会、物質・材料研究機構、科学技術振興機構、新エネルギー・産業技術総合開発機構で関連するプロジェクトが進められている。

また、技術研究組合「リチウムイオン電池材料評価研究センター(LIBTEC)」では、材料企業・電池企業・モビリティ企業による垂直連携と水平連携が図られている。全固体電池に関する共通部分の研究開発が組織の枠を超えて加速され、その成果を各企業が持ち帰ることで、モビリティ企業各社は全固体電池の工業化に挑戦している。

現在の全個体電池のオールジャパン体制は文字通り日本国内で閉じているが、外国とどう組むのか、水平連携なのか、垂直連携なのか、今後は場面に応じて使い分けることが必要である。

トヨタの全固体電池開発は、プロトタイプ車が2020年にナンバーを取得し、公道走行を実施した段階にある。走行データを取得し、車載電池としての実用性と課題を洗い出す。3年後の2027年市販を目標とし、現在は量産化の課題を潰している段階である。全固体電池の実用化は初めてやるものだから、トヨタはいつの間にかトップランナーになってしまった。そこで新たな課題が次々と出現していたが、やっと最近になって残っている課題が減ってきた。ラボの小型電池を車載大型電池の出口に持っていくため、苦しんでひとつひとつ解決しているところである。

6. 材料の革新

菅野了次東京工業大学教授とトヨタが共同で発明した硫化物固体電解質(LGPS、リチウム・ゲルマニウム・リン・硫黄)に代表されるように、固体電解質の材料研究では日本がトップであり、さらにLGPSのGeをSi・ハロゲンなどに置き換える研究が進んでいる。

一方で、米国材料ゲノム計画の中でMITとサムスンが、実験なしで同様の高性能電池用材料を発見している。近年の計算インフラの性能向上に伴い、このようなマテリアルインフォマティクス(MI)への移行が加速し、MIデータベースの構築が急がれている。MIとは、機械学習などの情報科学(インフォマティクス)を用いて、有機材料、無機材料、金属材料など様々な材料開発の効率を高める取組である。電極が厚いほどバルク型に近づき量産性が高いが、電極抵抗が大きくなる。電解液のイオン伝導度は10-2止まりだが、固体電解質では10-1の可能性がある。固体電解質材料の革新によって、乾電池並みの6本/秒の量産性を実現できないだろうか。

 

大事なのは固体界面であり、硬い固体粒子同士の接触を維持することが重要である。固体の中をイオンが動く抵抗は低い(イオン伝導度は大きい)ほうが良いが、それ以上に大きい固体粒子界面の抵抗を低減することが肝要である。そこで、全固体電池における界面の種類、電子伝導とイオン伝導をモデル化(正極活物質、負極活物質、固体電解質、電子伝導、イオン伝導、界面の種類)した。特に活物質と電解質の界面について、コーティングによって界面抵抗を下げることに成功し、ブレークスルーした。

7. 学理の追求

日本の科学技術力が、企業・大学・国立研究所における技術開発において、低下していると言われるが、若手研究者の科学技術力が低下しているとは思わない。研究開発のやり方が変わってきたのであって、それへの対応が問われている。特に、川上の基礎研究には日本に優位性があると感じている。

例えば、学術振興会のプロジェクトでは、全固体電池等の蓄電固体デバイスの高性能化を目指して、イオンを自在に高速輸送・高濃度蓄積しうる界面を構築するための原理の確立を目標に研究を進めている。数十名の研究者が参加し、時と場所を気にせず熱心に議論する場面が多く、課題解決も進む。

基礎研究には学理の構築が求められる。学理の解明は、蓄電池の製造にとって不可欠である。

8. 国家研究インフラ

技術競争力強化のために重要な要素としては、川上の基礎研究が何より大事である。ここを国家基幹技術として、国の支援を受けてきた。

特に、国家研究インフラの利用について、世界でも最高性能を誇る大型放射光施設「SPring-8」は、蓄電池内を動くLiをつぶさに観察できる。トヨタもビームラインを1本占有しており、「SPring-8」は日本の蓄電池研究を支えている。

また、スーパーコンピュータ「富岳」は、世界最高水準の総合的な性能を有するシステムであるとともに、Society 5.0等の実現に資する大規模計算基盤である。産学官の連携体制の下、「富岳」を用いた新たな科学的・社会的成果の創出や社会実装に挑戦することで、世界を先導する成果の創出を支援している。

近年、計算科学を活用した新材料の提案に触れる機会が多い。しかし、人工知能は既存の材料の最適化を得意としているが、新しい材料を創出することは苦手である。これまでに画期的だと言われた発明は、失敗など思いがけない時に生まれている。現在のコンピュータは、これに匹敵する性能には達していない。

おわりに

今回のご講演では、社会から学理までのバックキャストに基づき、研究開発の競争と協調、日本の優位性ついて整理いただいた。また、日本の研究者やエンジニアが果たす役割について、豊富なご経験をもとに貴重な示唆をいただいた。

サイエンスとイノベーションを結びつけることは大変難しく、いくつものブレークスルーが必要である。日本が優位と言われる、夢の技術のひとつである全固体電池が3年後に実現し、オールジャパンを通じて、次世代モビリティに革新を創み出すことをぜひ期待したい。

(文:JSTアジア・太平洋総合研究センター フェロー 三田 雅昭)


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