日 時: 2024年11月20日(水) 15:00~16:30 日本時間
開催方法: WEBセミナー(Zoom利用)
言 語: 日本語
講 師: 岩崎 薫里 氏
日本総合研究所調査部 上席主任研究員
講演資料: 「第37回アジア・太平洋研究会講演資料」( 1.2MB)
YouTube [JST Channel]: 「第37回アジア・太平洋研究会動画」
岩崎 薫里(いわさき かおり)氏
日本総合研究所調査部 上席主任研究員
略歴
1987年に早稲田大学政治経済学部卒業後、住友銀行(現・三井住友銀行)入行、日本総合研究所調査部に出向し現在に至る。
ここ10年間は内外のスタートアップおよびイノベーション政策、デジタル化の動向を中心に研究活動。
内閣府規制改革推進会議スタートアップ・DX・GXワーキンググループ専門委員。
ASEAN諸国では近年、急速なデジタル化が進んでいる。これに大きく貢献しているのが中国IT企業である。今回は、日本総合研究所の岩崎薫里氏より、中国企業が諸外国を抑えて存在感を示せた背景と、日本の取り得る挽回策について講演をいただいた。
日本企業のASEAN現地法人数シェアは2013年の24.3%から2022年度には29.7%に増えており、ASEAN諸国は日本企業にとって従来以上に重要な海外展開先と言える。ところがASEAN総貿易量に占める日本のシェアは、20年前(2003年)の13.7%から直近の2023年には6.8%へ低下し、代わって中国がシェアを年々高めている。またシンガポールのシンクタンクISEASが2024年に行ったアンケート調査によると、ASEAN諸国で日本は引き続き信頼されているが(58.9%)、経済的影響力が最も大きな国との回答は限定的(3.7%)となっている。
なぜ日本の存在感が低下しているのか。この要因として岩崎氏は、①日本の貿易シェアの低下、②長期経済停滞による日本への注目度の低下、③日常生活のなかで日本製品を目にする機会の低減に加えて、④デジタル関連市場での日本ブランドの不在を挙げる。岩崎氏は今夏にベトナム・ホーチミンを訪れた際、現地の人たちとの交流から日常生活でデジタルツールの急速な浸透を実感したという。そうしたなか、IT関連で世界的な日本企業が存在せず、日本の新興IT企業の多くはASEANに進出していない状況にある。一方で、中国はASEAN諸国のデジタル分野へ急速に進出している。
デジタルを巡る日中の違いとして、中国では利便性や社会的安全性の低さが逆にIT大国化の要因になった。対して日本は便利で安全なためデジタル化をさほど必要としてこなかった。製造業ではプラスに働いた、品質への完璧主義志向が、ソフトウェア開発では阻害要因となり、完璧でなくても一定レベルに達したら製品を即座に市場で展開しつつ改善を図る中国企業に敵わない状況を生んだ。
ASEAN諸国においては、デジタル事業を動かすスマートフォン市場や5G電波網の整備のみならず、Eコマースでも中国の存在感が際立つ。ASEAN主要6カ国の各国でEコマースの売上額1位のShopeeは、シンガポールのIT複合企業Seaの傘下にあるが、Seaは出資・事業支援を中国のテンセントから受けている。なお、Seaの創業者は中国出身である。多数の国で2位のLazadaはアリババの傘下にあり、3位のTikTok Shopも中国企業だ。一方、消費者向け人気ブランドのトップ50(2024年)のうちデジタル関連16ブランドをみると、中国勢が4社入っており、しかも全て2010年代創業の新興企業である。アメリカ勢は数のうえでは6社と最も多いものの、創業はすべて2000年以前であり、2010年代以降、ASEANで人気を博すアメリカ発新興企業は現れていないことが示唆される。なお、16ブランドのなかに日本からは一社もない。
これほどまでに存在感を示す中国IT企業の強みとは何か。岩崎氏は「従来の価格競争力に加え、近年は品質面でも競争力を高めつつあり、豊富な資金力も見逃せない」と指摘する。また中国企業は現地の機関とも密に連携する。例えばファーウェイはマレーシアやタイ、インドネシアの公的機関と連携し、IT人材の育成、DX支援、サイバーセキュリティ向上などに積極的に取り組んでいる。
中国政府の打ち出すデジタルシルクロード構想は、もともと2015年に「情報シルクロード」構想として提起されたが、2017年に現在の名前に改称された。一帯一路沿線国を中心に諸外国のデジタル化を主導する構想で、民間主導を特徴としてきたが、近年、政府が関与を深めつつある。
ASEANとの間では、中国政府はデジタルのさまざまな分野で相次いで連携を図る一方で、2024年に実質妥結した自由貿易協定3.0 (ACFTA3.0)では「デジタル経済」を追加した。この背景には「米中対立の先鋭化とASEAN域内での急速なデジタル化が共に生じたことがある」と岩崎氏は指摘する。ASEAN諸国も米中対立と距離を置く姿勢をとっており、経済発展に資する限り、中国の協力を積極的に受け入れる姿勢である。例えばインドネシアは5年間で10万人のデジタル人材を育成するにあたり、ファーウェイの支援を受けている。米欧では、中国企業の監視システム輸出が権威主義を拡大するとして警戒しているものの、ASEAN諸国は「安全性の向上」として受容している。そもそもASEAN諸国の大半は、程度の差はあれ権威主義体制であるため、「権威主義になるというよりも、権威的支配が強化されるという見方が実態に近い」と岩崎氏は述べる。
アメリカとの関係に目を向けると、GAFAMなどの米国の大手IT企業は現地でデータセンターを設置するなど、中国企業ほどでないにせよ積極的に活動している。しかし、米国政府は必ずしもASEANを重視しているとは言えない。2022年に合意されたインド太平洋経済枠組み(IPEF)はASEAN諸国では「実益がほとんどない」と認識されており、また、バイデン大統領は直近2年のASEANサミットを欠席した。
日本では見えづらいが、中国への悪感情は世界で共有されていない。ピュー・リサーチセンターによるアンケート調査では、南シナ海の領有権問題を抱える諸国を除き、平均して各国6~7割が中国に好感をもっている。ASEANの動きからは、「米中双方から最大限の利益を引き出したいという思惑が垣間見える」と岩崎氏は指摘する。
2025年からの第2次トランプ政権下で対中強硬姿勢が強まると見込まれるなか、中国政府はデジタルシルクロード構想へ更に主体的・組織的に関与する可能性がある。このような見通しのもと、岩崎氏は日本の講じうる挽回策を2つ提案する。
第1に、中国企業のカウンターバランスとしての立場を築くことである。デジタル分野が市場へ浸透するには、様々な周辺技術を組み合わせ、サプライチェーンも見直す必要がある。総合力を有する日本企業が「高い信頼感」を武器に現地のニーズに合致した製品・サービスを提供しここに関与することで挽回の可能性がある。
第2に、現地法人の積極活用策である。豊富な現地法人を持つ日本企業は、市場に受け入れられる要件を判断できる。活用に向けては、日本本社主導で組織体制の大がかりな見直しを図る必要がある。一つの好事例として、岩崎氏は中国人がインドネシアで立ち上げた物流企業、J&T Expressを挙げる。OPPOのインドネシア法人トップであった中国出身のJet Lee氏が、現地での業務を通じて感じた物流の課題に商機を見出し、OPPO時代の事業経験や人的ネットワークを活かしてASEAN域内で瞬く間にシェアを拡大した。
日本はASEAN諸国に対して様々な支援や協力で一定の存在感を示すが、最大の課題は冒頭で述べた通り、世界に通用するIT企業が存在しないことにある。質疑応答ではこうした日本の立ち位置を危惧する率直な質問が多く寄せられ、挽回策を実践的・多面的に論じ合う機会となった。
(文:JSTアジア・太平洋総合研究センター フェロー 斎藤 至)