インド交通渋滞改善プロジェクトにチャレンジ!(1)

2021年5月21日

坪井 務

坪井 務(つぼい・つとむ):
名古屋電機工業
新事業創発本部SATREPSプロジェクト
プロジェクトリーダー(博士)

<略歴>

1955年静岡県生まれ。79年日立製作所入社、重電モーター設計に従事し、87年半導体事業に異動、弱電技術最先端に専門を移す。97年日立アメリカに出向、米国のシリコンバレーの空気に触れる。2000年半導体事業部に帰任し、自動車分野での半導体開発を担当。03年ルネサステクノロジーに出向、10年日立製作所スマートシティ統括本部でスマートシティ事業従事。両親の介護の関係で12年浜松地域イノベーション推進機構に、14年名古屋電機工業に入社。

著者がインドに関心を持ち、初めて出張した場所は2003年10月、プネーという都市であった。同国西部、デカン高原に位置するマハーラーシュトラ州のプネー県にあり、同州で2番目に大きな都市だが、当時はまだちょうど最初の高速道路の建設が始まったばかりで、どちらかというとのんびりした都市の記憶がある。出張の主な目的は、当時、ITが盛んになり始め、優秀なソフトエンジニアを抱えるインドということで、IT関連部品のサポートを探すためであった。出張はプネーから、ムンバイ、ベンガルールといった主要都市を回り、最終的にはプネーにあった当時100人にも満たない会社とソフトサポートの契約したことが、昨日のように思い出される。

その後、2005年に再び、現地を訪れこの会社との正式契約に至った。その理由は、大変まじめで、技術についてきわめて貪欲に学ぼうとする姿勢であり、日本的な技術内容に関してきちんと、こまめに記録に残すマネージメント手法を丁寧に実施してくれたことが大きかった。その真面目さから、インドの地において世界のエンドユーザからの各種質問に対するQ&Aを行う契約を行った。当時のインドには、既にこうした世界の顧客を相手するカスタマーサービス会社の展開は行われており、特に珍しい委託業務ではなかった。

3回目のインドへの訪問は、実に10年後の2015年の技術展示会および現地企業視察目的の旅となった。その10年間でインドは急速な発展を見せており、先に触れた会社へも訪問する機会を得て、久々に当時のマネージャクラスの方にお会いすることができた。このマネージャクラスの方は、すでに会社のシニアアドバイザーとなり、自分でも3つのベンチャー企業を持つ実業家となっていた。また、会社の規模も従業員が5000人という発展ぶりを見せ、大企業に変身しており、立派な運営をする会社として昔の面影を見出すのも難しい様子となっていた。さらに契約時に記念として植林した木は当初の高さ1メートルほどから10メートルに成長し、会社の成長とともに驚きをもって拝見してきた。筆者は、この間、仕事も変わり、インドへの進出を目指すべく、将来のパートナー探しをするのが、その目的でもあった。その出張の中で、新技術を手掛けるのは、やはり大学機関であり、たまたま訪れたのが、その1年後に共同プロジェクトを立ち上げることになるインド工科大学ハイデラバード校であった。

筆者の2回目から3回目の訪問の間の10年間は、インドにとっても大きな成長の過渡期となっており、主要都市には高速道路の建設ラッシュとなり、道のいたるところに車両があふれ、朝早くから夕方まで、クラクションの騒音が鳴り響く活気があふれる国となっていた。このように経済の発展が非常に分かりやすい形で進んでいる一方で、交通渋滞や事故が頻発し、ひいては環境破壊や排気ガスによる子供たちへの健康問題にも発展するマイナス面も顕著になってきていた。このため交通分野でのマネージメントシステムをサポートする仕事に従事していた関係から、たまたま筆者が学位論文の一環として、インドの交通データを解析し始めていたことから、インド工科大学に訪問した際に、その一部を紹介することとなった。そしてインドが抱えている交通問題を何とかして手伝えることはないかという話を聞いてくれたのが、当時の学長であった。学長はすぐさま、関連する数名の教授に声をかけ、日本から訪問してきた筆者の交通解析の一部を紹介する段取りをすぐさま実施していただいた。

筆者としては、学位論文の一部でもあるので、現在研究している内容を紹介したところ、思いがけずデータ解析の観点から、参加した教授陣から様々な意見を頂けることになり、30分程度の挨拶で済ませるはずであったのが1時間以上の白熱した議論となった。これが、翌年に科学技術振興機構(JST)と国際協力機構(JICA)が手掛ける新興国とを対象とした地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)にエントリーする契機となるものであった。筆者はもともとSATREPSの存在も知らず、お世話になった会社の当時の社長から、「好きなことをやっても良いが、人・予算はないことを前提として進めて良い」という条件で仕事に従事していた。そのため、各種、国が進めるプログラムを探す中で、しっくりきそうな内容がSATREPSであった。

科学技術の観点から、筆者が行うインド交通解析は、先進諸国で得られるような交通データとまるで異なるものだ。道路いっぱいに広がる車両があたかも、川を流れる水のような動きに例えられるような状態の混沌としたデータの集まりであり、いわゆる交通工学で扱う理論より、川を流れる水流の解析に近い感触を抱くものであった。この水の流れの解析をヒントに解析ができないかとインド工科大学教授陣に問いかけてみたところ、参加した学長および教授たちの大きな関心と興味をもって討論することができた。もともとインド工科大学ハイデラバード校は、交通が専門ではなく、どちらかというとコンピューターサイエンスを得意とする大学であり、交通問題を水の流れに代えた流体力学的アプローチを提案した筆者の感覚に共鳴するところがあったように感じられる。実は、交通工学も、もともとはイギリスの研究者が1930年代に、車両の動きを観察し経験的に得られた理論式を紹介したのが始まりであり、ここでも交通流と流体との関連性に着目された。筆者もその関連性から、大学の流体力学等で上げられる平行平板の間をながれる粘性流体の流れに、インドで得られた交通データとの類似性を見つけることができ、その応用として紹介することができた。今から思えば、交通の専門ではなく、データを扱うコンピューターサイエンスを扱う教授陣であったからこそ、この着目点の面白さを共感でき、ぜひ共同研究をしようとする機運を高めることができたように思う。仮に交通工学の専門であったならば、このような反応はなかったかもしれない。訪れた時には、インド工科大学ハイデラバード校は、まだインド軍の使用していた建物を借用しており、設備に関しては、お世辞にも研究機関としてのレベルのものではなかった。学長からは「新校舎の建設が日本の援助により開始しており、次回お会いする時には新校舎で」と、将来への期待を込めた明るい印象が今でも記憶に新しい。

インド工科大学新校舎の建築現場(2016年)  新校舎が一部完成(2018年)

以上、インドでの交通問題に関し、現地研究機関との出会いと共同研究提案(SATREPS)につながる契機を紹介した。次回は、具体的な提案に対して、インドの教授陣の期待と共同研究提案にこぎつけるまでの様々な困難に直面した経験に関して、新興国を相手にした科学技術協力の難しさについて触れることにする。