2021年7月9日
松島大輔(まつしま だいすけ):
金沢大学融合研究域 教授・博士(経営学)
<略歴>
1973年金沢市生まれ。東京大学卒、米ハーバード大学大学院修了。通商産業省(現経済産業省)入省後、インド駐在、タイ王国政府顧問を経て、長崎大学教授、タイ工業省顧問、大阪府参与等を歴任。2020年4月より現職。この間、グローバル経済戦略立案や各種国家プロジェクト立ち上げ、日系企業の海外展開を通じた「破壊的イノベーション」支援を数多く手掛け、世界に伍するアントレプレナーの育成プログラムを開発し、後進世代の育成を展開中。
読者は2009年から2013年に在大阪インド総領事として来日しておられたスワラップ(Swarup, Vikas)閣下をご存じだろうか? 誰だろう?という方もおられるかもしれないが、恐らく、2009年の米国アカデミー賞作品賞を受賞した「スラムドッグ$ミリオネア(原題Slumdog Millionaire)」の原作者といえば、親しみを感じられるのではないだろうか。この映画のあまりの面白さに、インド駐在中ということもあり5回も映画館で鑑賞した記憶がある。スワラップ閣下は、この原作である小説『ぼくと1ルピーの神様』(邦訳名)の著者である。実はスワラップ閣下が在阪中、着任早々に堺市で開催されたインドセミナーでご一緒したのが初めての出会いであった。その時、インドと日本のものづくりの類縁性について話を行う機会を得て、インドにおける「ジュガード(Jugaad)」の可能性を指摘させていただき、大いに面白がっていただいたのを記憶している。ちなみにその後、スワラップ閣下とは、2010年の日印首脳会談のマージンで訪日しておられたマンモハン・シン首相と経済産業大臣との会談の準備などでご一緒し、一緒に日印の国旗を準備するなど仕事をさせていただいた。また著者が2011年にタイに赴任する前に御挨拶に伺ったときには、いろいろ資料を頂戴して、インドの現状を教えていただいた。もちろん、その間、スワラップ閣下の翻訳本にサインを頂戴し、今でも大切に保管している。
ジュガードとはインド特有の概念で、「器用仕事」とでも形容すべきもので、一定の制約のもと、ありあわせのもので代替して問題解決を行ってしまうというものである。著者は2006年から2010年のインド駐在中、このジュガードによって何度も救われたことがある。著者は駐在当時、本国から『インド物流マップ』の作成の依頼を受け、インド国内の道路について片道500㎞近くの踏査調査で長距離のドライブを行った。その際、旧市街地の狭い路地や広大なヒンドゥスタン平原を疾走する過程で、サイドミラーや車高を調整するなど、当時専属の運転手であったランゴパール(Ramgopal)さんの、素晴らしいジュガード的運転と「ものづくり」で完璧に切り抜けることができた。
またこのジュガードのマスターピースとでも言うべき圧巻は、インド情報・デザイン・ものづくり大学(Indian Institute of Information Technology, Design and Manufacturing:IIITDM)のパンディアン(Pandian)先生が開発した3万円の廉価版3Dプリンターである(下記ウエブサイト参照)。このIIITDMにはイノベーションセンターがあり、ここでは地元企業と連携して、大学内にラボやワークショップを行うスペース、起業のインキュベーション施設によって、さまざまな取り組みを展開している。そのIIITDMで紹介を頂いた3万円の3Dプリンターは、なんと!1点1点の材料が、どの市場の、どの店で、いくらで手に入るかまで明記した製作マニュアルまでも公開しており、学生たちの研修用に利用されている。そして実際にこの3Dプリンターで作成されたプラスチック製の仏像などをお土産に頂戴した。パンディアン先生が主導されて、同大学の立地するタミル・ナード州を中心に、地方の高校生向けのSTEM教育の教材として利用している。実は著者の長崎大学時代の教え子が4名ほどパンディアン先生の御指導を受けて、1カ月ほど、IIITDMに留学し、インド・チェンナイ近郊のカンチプラムを中心に修行させていただいた。この時、学生たちが、それぞれ日本で学んだ水産学や環境学、日本文化などの内容を地元の高校生に教えるというプログラムに参加し、彼らにとって人生最大の衝撃となるような経験をすることができたという。
著者はインド駐在中から、日本とインドが、ものづくりにおいて強い親和性を有していることに着目し、いくつかのインド企業や在インドの日系企業を調査した結果、特に、「すり合わせ型ものづくり」の親和性があるものと考えている。インド駐在時代、いろいろ助言を頂戴した東京大学の藤本隆宏先生によれば、ものづくりの設計思想には、モジュラー型(modular architecture)とインテグラル(integral architecture、すり合わせ)型が存在する。ガソリン車のような、安全性、燃費・省エネ、デザイン、乗り心地などなど、様々なスペックをすり合わせることでものづくりを行う型と、ちょうどレゴのように、既存のモジュール化された部品を組み立てていくというものづくりの型がある。その意味で、例えば同じ自動車であっても、ガソリン車のような内燃機関はインテグラル型であるが、電気自動車になるとモジュラー型になってしまうことに注意したい。内燃機関の自動車では、製造に必要となる部品点数は3万点になんなんとするが、電気自動車でいえば1500点近くで済む話になってくる。この部品点数の話をすれば、状況が理解しやすいだろう。
このインテグラル型として、日本のものづくり企業は代表選手である。これに対し、インドはどうか?著者がデリー駐在当時、先に言及した藤本隆宏先生にもお話をお伺いし、経済産業省として行った調査によれば、インドにも、そうしたすり合わせ型の素地があることが明らかになった。
図で見るように(下記参照)、これらモジュラー型とインテグラル型の得意、不得意について、地域的に特徴を明らかにして分類することができる。日本から始まり、東南アジア諸国連合(ASEAN)を経て、インドに至るルートこそが、「すり合わせ型ものづくり産業回廊」と形容する地域である。このルートは、かつて戦前の我が国の国語(言語)学者の大野晋先生が唱えた、南インドのタミル語に日本語の起源があるのではないかという学説、「タミル語日本語起源説」にも通じるような、インドから東南アジアを経て日本に至るルートであり、大変興味深い。
出典: NESDB, The emerging production networks in Mekong region (2014)
著者はこのインド駐在中(2006年~2010年)に、特許庁の命を受け、南アジア知的財産部長を拝命したが、その時の調査で分かったことは、インド国内の知的財産侵害、特に模倣品被害は、知的財産侵害で問題となった中国市場などとは大きく異なることが明らかになった。2008年当時であるが、調査の結果、インド国内の模倣品の実に8割近くが、国外から持ち込まれており、国内で模倣品製造に向かうものが少ないということが分かった。これらもすり合わせ型ものづくり大国インドの矜持とみるべきか、興味深い事実であった。実際、模倣品などの知的財産被害を受けた日系企業にいろいろヒアリングしても、大半が英領インド時代の名残が色濃い契約社会を前提とした契約書の不備など、日系企業側の落ち度にも起因するものが多く、また積極司法を標榜するインドにあって、きちんとした契約に基づいていれば、権利回復については、裁判所が積極的に問題解決に乗り出すという事案も散見された。
インドというと、これまで言及してきたように、IT産業が代表選手ではないか、と思われるかもしれない。しかし見てきたように、実は、すり合わせ型ものづくりのような製造業にも強みがあるというのが特徴である。ソフトとハードのいわば「二刀流」である。ちなみに、タイを中心としたASEANは、日系製造業企業の進出によって生産ネットワークが構築されることで、日本型のすり合わせものづくりが定着した。その意味でASEAN地域もモノづくりの観点でいえば、すり合わせ型の製造業であるといえる。いずれにせよ、インドはこうしたものづくり(ハード)の強みとITのソフトが融合しているといえるだろう。組み込み式ソフトなど、ハードとソフトの融合領域では、かなり大きな発展が期待できるのがインドである。同様に、インドの大学というとインド工科大学(Indian Institute of Technology:IIT)を思い浮かべる向きも多いが、IIT、特にIITのコンピュータ学科だけがインドの底力ではない。むしろものづくりの現場を押さえる学術的な機関を有するエンジニアリングのセンスが日本と並ぶパワーの源泉になっているのではないかと思っている。まさにIIITDMはこのハードとソフトの融合を地で行く典型的なインドの大学である。今後、このIIITDMは、インドのハードとソフトの融合を進め、ビヨンドコロナを牽引する教育機関といえるだろう。