2021年8月23日 西川 裕治(元 JST インドリエゾンオフィサー)
インドでは、基本的な教育政策を規定するものとして、1986年に策定された国家教育政策(National Policy on Education 1986)と1992年の国家教育政策・改訂版(National Policy on Education 1992 Revised)がある。また、5年ごとに策定される国家5ヵ年計画に基づいて毎年の具体的な施策が決定される。
インドでは、1980年代後半から初等教育の普及が大きな国民的課題となり、1986年の国家教育政策では、6歳から11歳までの5年間、正規あるいはノンフォーマルな教育(NFE)が行われることが目標として定められた。
1992年の改訂版では、全ての部門における教育の改善及び拡大、利用機会における不均衡の排除及び技術職業教育を含む全ての水準における教育の質及び妥当性の向上、社会及び地域の不均衡の是正、女性への権限授与、社会的弱者及び少数者集団への対応などが協調された。
新「国家教育政策(NEP)2020」は、2020年7月29日にインド連邦政府により承認された。これは従来の「国家教育政策」(1986年)に代わるもので、21世紀では最初のものとなり、農村部と都市部の両方における初等中等教育から高等教育、更には職業訓練までの包括的な枠組みである。その構成は、冒頭のイントロダクション(Introduction)から始まり、以下の4部構成となっている。
さらに、科学技術振興に直接的に関係する「第II部 高等教育」については、以下の通り第9章から19章までの計11章で構成されているおり、次回以降では、この第II部に焦点を当てて紹介する。
新「国家教育政策」冒頭のイントロダクション では、全体の背景、ビジョンや目標などが述べられ新政策全体のバックボーンとなっている。イントロダクションの概要は以下の通り。
インドは今後10年間で、世界で最も多くの若者が暮らす国となり、彼らに質の高い教育機会を提供できるか否かが国の将来を左右する。2015年にインドが採択した「持続可能な開発のための2030年アジェンダ」の4つの目標(SDG4)に反映されている世界の教育開発アジェンダは、2030年までに「すべての人に包括的で公平な質の高い教育を確保し、生涯学習の機会を促進する」ことを目指しており、そのためには、教育システム全体で学習を支援・育成するように再構成する必要がある。
世界では知識のあり方が急速に変化しており、ビッグデータ、機械学習、人工知能(AI)の台頭など科学技術の劇的な進歩により、数学、コンピュータサイエンス、データサイエンス、科学、社会科学、人文科学にわたる学際的な能力を備えた熟練した人材の必要性が高まっている。また、生物学、化学、物理学、農業、気候科学、社会科学の分野で、新たな熟練労働力が必要となる。さらには、伝染病やパンデミックの増加に伴い、感染症の管理やワクチンの開発などの共同研究が必要となり、インドが先進国、世界3大経済大国となるには、人文科学や芸術への需要も高まっていく。
子どもたちが、学ぶだけでなく、学び方を学ぶことが重要になってくる。その結果、教育では、内容を増やすのではなく、批判的思考で問題を解決する方法、創造的で学際的な方法などを学ぶ必要がある。教育学は、経験的、全体的、統合的、探究的、発見的、学習者中心、ディスカッションベース、柔軟、そして楽しいものに進化させ、理科や数学に加えて、芸術、工芸、人文科学、ゲーム、スポーツ、フィットネス、言語、文学、文化、価値観などを含む、広い分野で能力を伸ばす必要がある。また、教育は有意義で充実した仕事に就くための準備でもある。
2040年までに、社会的・経済的背景にかかわらず、全ての学習者が最高品質の教育を公平に受けられる教育システムの実現が目標となる。
古代から続くインドの知識と思想の豊かな遺産である。つまり、知識(Jnan)、知恵(Pragyaa)、真実(Satya)を追求することは、インドの思想や哲学において、常に人間の最高の目標であると考えられてきた。タクシャシーラ、ナーランダ、ヴィクラムシーラ、ヴァラビーなどの古代インドの世界的な教育機関は、学際的な教育と研究の最高水準を設定し、背景や国を問わず学者や学生を受け入れていた。また、数学、天文学、冶金学、医学・外科学、土木工学、建築学、造船・航海術、ヨガ、美術、チェスなど、様々な分野で偉大な学者を生み出し、世界の知識に多大な貢献をしてきた。このような豊かな遺産は、後世のために育成・保存され、教育システムを通じて研究され、強化され、新たな用途に活用されなければならない。
教育システムの根本的な改革の中心である教師は、最も尊敬される社会の重要な構成員でなければならない。新政策では、教師に力を与え、彼らが自分の仕事を効果的に行えるようにする。また、生活、尊敬、尊厳、自律性を確保し、品質管理と説明責任を浸透させ、優秀な人材を教員として採用する。
また、特に歴史的に不利な立場に置かれたグループにも焦点を当てる。
1986年に策定され、1992年に修正された「教育に関する国家政策」(NPE 1986/92)以降の大きな進展は、「子どもの無料義務教育を受ける権利法」(2009年)だが、その他の未完の課題は、今回の新政策で適切に対処される。
教育システム全体と、個々の教育機関の両方を導く「基本原則」は、以下の通りである。
質の高い教育を全ての人に提供し、インドを公平で活気に満ちた知識社会に持続的に変革し、インドを世界的な知識大国にする。また、教育が、基本的な義務と憲法への敬意、祖国への絆、及び変化する世界における自分の役割と責任に対する意識を学生の間で育む。
思想だけでなく、精神、知性、行動においても、インド人であることへの誇りを学習者に植え付け、人権、持続可能な開発と生活、地球規模の福利に対する責任ある取り組みを支える知識、スキル、価値観、態度を育成し、真のグローバル市民となることを目指す。
以上が新政策の概要だ。インドは過去の歴史を踏まえて、急激に変化している現状に対応するために、教育制度全体を大きく変えようとしていることが見て取れる。
一方で、現在のインドの高等教育システムには、以下のような様々な課題が存在していると言われている。
次回は、国家教育政策(NEP)2020の「第II部 高等教育」について、その各章の要点を紹介・解説する予定。