WHOがインドに伝統医療センターを開設、アユルベーダ(Ayurveda)を後押しへ

2022年05月30日

松島大輔

松島大輔(まつしま だいすけ):
金沢大学融合研究域 教授・博士(経営学)

<略歴>

1973年金沢市生まれ。東京大学卒、米ハーバード大学大学院修了。通商産業省(現経済産業省)入省後、インド駐在、タイ王国政府顧問を経て、長崎大学教授、タイ工業省顧問、大阪府参与等を歴任。2020年4月より現職。この間、グローバル経済戦略立案や各種国家プロジェクト立ち上げ、日系企業の海外展開を通じた「破壊的イノベーション」支援を数多く手掛け、世界に伍するアントレプレナーの育成プログラムを開発し、後進世代の育成を展開中。

この春、インドの伝統医療であるアユルベーダ(Ayurveda)に関する大きなニュースが飛び込んできた。WHO(World Health Organization:世界保健機関)が、インドのグジャラート(Gujarat)州ヤムナガール(Jamnagar)にグローバルな伝統医療センター(GCTM:Global Centre for Traditional Medicine)を作ることを明らかにし、アユルベーダの展開を大きく後押しする動きが始動したという。グジャラート州といえば、現首相のナレンドラ・モディ(Narendra Modi)首相が州首相を務めた、現政権の重要な拠点である。

ここでのポイントは、グローバルセンタ―という位置付け。アユルベーダ自体は伝統的なフォーマットが存在する。筆者もインド駐在当時、かかりつけ医としてデリーのGKII地区の国家資格を有するアユルベーダ医を知人に紹介してもらい、何かあるたびに通ったものである。インドでは西洋医学のいわゆるメディカル・ドクター以外にも、アユルベーダ医も国家資格のライセンスが存在する。デリー市内でも、2006年当時は、今ほど大気汚染の被害というのはなかったが、それでもたまに咳が切れないような気管支系の不調を覚えることがあった。そうしたときは、このアユルベーダのハーブ療法によって、体調を整えることが多かった。

日本でアユルベーダといえば、ゴマ油やハーブ油を使ったマッサージのほうがメジャーではないだろうか。シロダーラ(Silodhara)と呼ばれるマッサージは、「第三の目」という額の部分に、ゆっくり時間をかけてポタポタと油が落ちる施術である。半睡半覚状態というか、寝ているのか起きているのか、その中間のような感覚に襲われ、施術後は頗(すこぶ)る気持ちが良い。すべてのストレスから解放されたような多幸感に満たされるほか、発想・創造力が掻き立てられるような感じが有難い。

しかしアユルベーダはこうしたマッサージにとどまらない。ある意味で、メンタル・ヘルスを含んだ総合医療、未病対策を含むトータルヘルス・ケアといってもよいだろう。まず、通院すると、いくつかのアンケートや診察、血圧などのチェックによって、3つの型に分類される。これがドーシャと呼ばれる体質、3つの体質があるので、サンスクリット語の「3」を表す「トリ(Tri)」をつけて、「トリ・ドーシャTri Dosha」と呼ばれる分類学である。ヴァータ(VATA)、ピッタ(PITTA)・カパ(KAPHA)の3つである。それぞれが、風、火、水という、要素、或いはエネルギーによって説明されている。ごく簡単にいえば、この3つの要素のバランスがそれぞれの体質を規定し、そのバランスを維持することで健康のファインチューニングを図るということになるだろうか。そのためそれぞれの分類に応じて、普段から乳製品をとったほうがよい、油っこい食事は避ける、朝にヨガをやりなさい、などのような健康に関するアドバイスを受けることになる。これらが大変効果的なのである。その意味で、実際に体験的にアユルベーダを享受したものとして、アユルベーダは、独特の栄養学や生活指導が入るほか、ヨガや呼吸法などの身体に対する修練・修養なども入る。さらにはVeda(聖典)というくらいで宗教や哲学を内包したような世界観を提供してくれる。

一番衝撃的だったのは、占星術なども含まれるということであった。このインドの占星術は大変合理的で、ごく簡単に言えば、生まれた日、生まれた場所に、どのような恒星のどの程度の光が入ったかを計算し、その影響によって人生が決まるという発想であった。従って、生まれた日および時間、そして実際に生まれた場所の経度と緯度で場所を特定すれば、計算によって、恒星の光の影響が計算できるというわけである。商魂たくましいインドの方がこれをすべてプログラミングしていたので、日本に持ち帰って占いが好きな友人に提供したところ、大いに盛り上がったものである。いずれにせよ、こうした人生の意味からバックキャスティング(back-casting)して、医療体系を創り上げるという方法は、大変面白い発想であり、当方が所属する「融合学」にも、その「思考のフォーマット」として参考になるところが多い。

実は筆者はインド駐在中に、インドで唯一の国立ヨガ大学である、Morarji Desai National Institute of Yoga(http://www.yogamdniy.nic.in/)に通って修了し、同大学から正式修了証明証(Certificate)を得ることができた(以下、写真参照)。

ヨガ大学の正式修了証明証(Certificate) (筆者提供)

せっかくインドに駐在しているので、インドならではの学びが必要と思い通学を決意した。決意したものの、ヨガだけに朝4時半に起床して通学する必要があった。そのため、夜は早く寝ることになり、一時期、夜の宴席を断るなどこちらも副次的な健康効果を得ることにつながった。また「同級生」には中国からの「留学生」がいたが、なんと上海雑技団の若手の方ということで、身体能力、柔軟性はヨガ師範の先生より高いのではないかと思うほどであった。同氏は少し修了が遅れたが、理由は早朝(深夜?)の通学が続かなかったことによると聞いた。こちらもアユルベーダの一環として、呼吸法や、単なる柔軟体操ではない、いくつかの型の説明など、大変興味深い学びであった。筆者もこのせっかくの学びを生かすため、いつか、世界で最も身体の硬い人のヨガ教室を開きたいと思っている。

このようなインドの伝統医療の仕組みと、グローバルに許容されるようになったアユルベーダの世界展開をどのように整合するのか。全世界のうち、80%近くの医療現場では、実はこうした伝統医療を活用していると言われている。そのような試みのインド側の一つの回答として、このGCTMは興味深い試みなのである。

このあたりの戦略は日本との比較でも興味深い。日本の場合は、和漢方の世界展開という発想はどこまで実現するだろうか。中医学とはまた異なる、あるいは差別化できる余地がある和漢方の在り方をどのように規定していくのか。グローバルな展開と、地域独自の伝統医療の調和。いわゆる"Local Wisdom"をどのように世界展開していくのか、インドが仕掛ける、その新しい挑戦としてみると面白い。

インドには、伝統医学省(Ministry of AYUSH)という省が存在する。まさに2014年11月にモディ首相肝いりで、従来の保健省から独立したものである。このAYUSHこそが、Ayurveda、Yoga、Unani、Siddha、そしてHomoeopathyのそれぞれの名称の頭文字をとった略称なのである。Ayush自体は、サンスクリット語で「長寿」や「再生・復活」のような意味があり、政権のインドの伝統医療を再生しようという強い思いを読み取ることが出来る。この伝統医療については、ウナニ(Unani)がムスリムの伝統医療であり、先のアユルベーダ、中医学とならんで世界三大伝統医療である。またシッダ(Siddha)が南インド・タミルの伝統医療であり、インドの先住民であるドラビダの時代からの伝統を受け継ぐものである。そして時代は新しいとされているが、西欧からもたらされたとされる、ホメオパシー(Homeopathy)は代替医療である。デリー市内のローカル・マーケットでは、先ほどのアユルベーダの薬局以外にも、このホメオパシー専門の薬局兼診療所のような店があり、友人に進められて試したことがあるが、毒を以て毒を制するような発想自体は面白いという感想をもった。

いずれにせよ、このAYUSHの市場は、現在、インドでは181億ドルと言われており、グローバル市場におけるインドのシェアは、2016年の0.5%から2022年には2.8%と6倍近くに拡大している。アユルベーダの世界戦略も見据え、伝統医療の世界展開、そして、インドとの連携を通じた共同戦略を検討していきたいと思っている。

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