2022年07月14日
松島大輔(まつしま だいすけ):
金沢大学融合研究域 教授・博士(経営学)
<略歴>
1973年金沢市生まれ。東京大学卒、米ハーバード大学大学院修了。通商産業省(現経済産業省)入省後、インド駐在、タイ王国政府顧問を経て、長崎大学教授、タイ工業省顧問、大阪府参与等を歴任。2020年4月より現職。この間、グローバル経済戦略立案や各種国家プロジェクト立ち上げ、日系企業の海外展開を通じた「破壊的イノベーション」支援を数多く手掛け、世界に伍するアントレプレナーの育成プログラムを開発し、後進世代の育成を展開中。
インドの地図を見て、一見飛び地のようなかたちをした地域を見つけることが出来るだろうか?(下記の地図参照)。ここがインド北東州と呼ばれる地域である。通称、セブンシスターズ(Seven Sisters)と呼ばれる7つの州(アルナーチャル・プラデーシュ州=Arunachal Pradesh、アッサム州=Assam、メガラヤ州=Meghalaya、マニプール州=Manipur、ミゾラム州=Mizoram、ナガランド州=Nagaland、トリプラ州=Tripura)から構成される。
インド北東州とシリグリ回廊の地図 (筆者提供)
実は地続きで、シリグリ回廊(Siliguri Corridor)と呼ばれる西ベンガル州の狭い回廊で結ばれている。最も狭小なところで約32kmというこのシリグリ回廊は、中国、ブータン、バングラデシュ、ネパールの4カ国が隣接しており、地政学上重要な地域となっている。インドでは1962年10月に勃発した印中国境紛争以来、中国の脅威についてはしっかりと脳裏に焼き付いている。第二次世界大戦後、インドと中国は、いわゆる「第三世界」「非同盟諸国」を代表する盟主として、蜜月を迎えていた。実際、インドはビルマ(現ミャンマー)に次いで、中国の国家承認を行い、世界で最初にインド大使館を中国に置いている。1954年には、ジャワハル・ネルー=周恩来会談によって、有名な"Hindi-Chini Bhai-Bhai(中国とインドは兄弟)"を宣言し、「平和五原則(Five Principles of Peaceful Coexistence)」である「領土主権の相互尊重(Mutual respect for each other's territorial integrity and sovereignty)」、「相互不可侵(Mutual non-aggression)」、「相互内政不干渉(Mutual non-interference in each other's internal affairs)」、「平等互恵(Equality and mutual benefit)」、「平和共存(Peaceful co-existence)」の5つに合意したところであった。
にもかかわらず、残念ながらインドと中国の関係は、1956年に勃発したチベット動乱で大きく変化していく。1959年にはダライ・ラマ14世がインドに亡命し、チベット亡命政府を樹立する。これがインドと中国という21世紀の超大国の関係を大きく規定することになる。このチベット亡命政府は、インド北部、ヒマラヤ山脈を望むヒマーチャル・プラデッシュ(Himachal Pradesh)州のダラムサラ(dharmaśālā)の「カンチェン・キション(Gangchen Kyishong)」地区に存在するが、筆者がインド駐在中(2006~2010年)に訪問した際には、ブラッド・ピット(Brad Pitt)が主演したハリウッド映画"Seven Years in Tibet"(1997年、Jean-Jacques Annaud監督作品)の雰囲気そのままに、インドで、チベット文化の痕跡が数多く確認できたものである。
近年でも2020年には、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大によるパンデミックのさなかにもかかわらず、中国人民解放軍とインド軍が再び国境地域で衝突した。この結果、インドでは中国製品のボイコット・キャンペーンも起こり、インド政府は中国の新興ITユニコーン・ギガコーンである「BATH」の一角であるアリババやテンセントなどが開発したアプリを含む200以上の中国企業のアプリに関し、インド国内で使用禁止を発表するという事態にまで発展したことは記憶に新しい。
ことほど左様に、1962年の印中国境紛争は、インド人の友人と話をすると相当衝撃だったようであり、ある意味、インドの歴史の中で「トラウマ」とでもいうべき体験だったという方もおられる。
もう一つインド北東州は、バングラデシュと国境を接している点も注目する必要がある。インドにとって、この山岳地帯を領有する意味は大きい。筆者はインド駐在中、某インフラ・プラント整備の案件で、メガラヤ州を訪問することになったが、その際に大きな衝撃を受けたものである。それは、メガラヤ州に進出していた外資系企業であるラファージュ(Lafarge・当時)が、セメントの原材料である石灰石をこのメガラヤ州ノントライの石灰石鉱山から、ベルトコンベヤを使って、バングラデシュに輸出しているというのである。国境をまたいで石灰石を輸出、輸送するというのはどういうことか。それは、この北東州の急峻な地形に依存している。要すれば、平野部を領有するバングラデシュに対し、山岳部であるインド北東州側が高低差を利用して、石灰石を輸送しているのである。
セメントの原材料として利用される石灰石であるが、詳しい方であれば容易に理解できるだろう。通常、セメントは、現地の資材を活用して製造する、きわめて地産地消の製品である。石灰石はどの国や地域でもだいたいは存在するので輸出入には向かない。その後、バングラデシュに出張したときに教えて頂いたが、バングラデシュでは、石灰石の調達が難しい。当時「NEXT11」とまで言われた新興国市場ならではの旺盛なインフラ整備需要があるにもかかわらず、また、河川が多く、治水や道路整備には多くの可能性が展望されるにもかかわらず、バングラデシュでは石灰石の安定供給は難しいとのことであった。1947年のインド・パキスタン分離独立(Partition of India)(東パキスタンは1971年にバングラデシュとして独立)によって、この水資源による米作やジュートなどの栽培に最適な「黄金のベンガル」である一方、サイクロンや河川の氾濫などによる大水害が頻発し、インフラ整備が遅れる背景も理解しておく必要がある。そのバングラデシュの石灰石確保に、この北東州が重要な意味を持つというわけである。
こうした隣国との関係性を踏まえ、インド北東州は、大きなポテンシャルを秘めており、2001年にはインド政府内部に北東州開発省(Ministry of Development of North Eastern Region:NoDNER)が設立され、この北東州のインフラ整備など経済開発を中心の取り組みが進められている。近年では、さらに日印関係のなかで重要な地域となっている。
COVID-19によるパンデミック直前の2019年12月、安倍晋三首相(当時)は、慣例となっているシャトル外交の外交舞台を、この北東州グワハーティー(Guwahati)に定め、日印首脳会談を予定していた。残念ながら、モディ政権が導入した移民新法に関し、バングラデシュ出身の移民に対して市民権が付与される可否をめぐって北東州住民のなかで、抗議活動が活発化した。特に安倍首相訪印の外交日程に合わせて、グワハーティーを中心に、アッサム州のいくつかの地域でインターネットが遮断され、またグワハーティー市内でデモが過激化し、ついには日印首脳会談を延期することが発表された。
筆者は長崎大学在籍中、同大学学長に同道して、インドを訪問する予定であった。2020年4月に開学予定のデータサイエンスを中核に据える新学部創設に向け、長崎大学学長に随行してグワハーティーを訪問する予定であった。インドとの交流を通じてIT高度人財を育成することを期待してのことであった。2019年の日印首脳会談と同じタイミングでインドの大学との連携協定を締結する予定であった。しかしながら、現地での政治的な混乱を受けて直前になって延期・取りやめになってしまったのである。その後のCOVID-19拡大によるパンデミックの状況で、2年近くインドとのリアルな交流が出来なくなってしまった現状を考えると、長崎大学一行のインド訪問がキャンセルになってしまったことは、返す返すも残念であった。このあとのシリーズでは、日本がこのインド北東州と連携する意義と、その中核となるIITグワハーティーについてさらに説明していく予定である。