2022年07月25日
西川 裕治(にしかわ・ゆうじ):
科学技術国際交流センター(JISTEC)上席調査研究員
1976年 広島大学工学部を卒業後、日商岩井(現・双日)に入社。機械プラント海外営業(ジャカルタ、コロンボ駐在)、広報、人事総務を経験。2012年 日本在外企業協会「月刊グローバル経営」編集長。14年 科学技術振興機構(JST)に入りインド事務所を開設、JSTインド代表として18年までデリー駐在。帰国後は国際連携アドバイザーとして「さくらサイエンスプログラム」(SSP)を推進。22年 科学技術国際交流センター(JISTEC)に移籍、SSPを中心に国際交流を推進中(現職)。
著書:『インドの科学技術情勢 - 人材大国は離陸できるのか』(共著:丸善プラネット)
かつて世界で最も大気汚染が深刻な都市は中国の北京と言われていた。しかし、近年では、「デリーの大気汚染が北京を抜いた」との報道が流れるようになっている。実際、デリーなどインド北部や内陸地域では深刻な大気汚染に悩まされており、人口増加や経済発展、自動車数の急増などにより、その深刻さは急激に高まっている。
デリー郊外で車内から撮影。特に冬から春にかけて汚染されたスモッグ被害が深刻で、運転席からの視界は最悪となり(写真上)、追突事故も多発する(同下) (いずれも筆者提供)
工場や自動車の排気ガス等によって発生する二酸化窒素(NO2)はスモッグを形成し、喘息などの肺疾患を大きく悪化させ、また、地上表面の高濃度オゾンは、人間や動物、植生に対して有害であると言われている。
ところが、2020年に急拡大した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によるパンデミックがインドの大気汚染を大きく軽減した。パンデミックによりインドの経済活動は大きく停滞し交通量も激減した。さらに、都市封鎖(ロックダウン)実施により、大気汚染が深刻なデリーや隣接するグルグラム(旧グルガオン)にも、あり得ないような青空が戻るなど、視界は劇的に改善された。
ところが、改善されたように見えた大気汚染に関して、興味深い研究結果が公表された。インドの西ベンガル州にあるインド工科大学カラグプール校(IIT-KGP)は、新型コロナによる都市封鎖前、封鎖中(2020年4月〜5月)、封鎖解除後(2020年6月〜9月)の大気中物質の変化をモニターして、衛星データと地上での測定値を分析した。IIT-KGPの研究者は、二酸化窒素と地上表面のオゾンレベルの変化を調査し、2022年6月28日付けNature Indiaサイトでその結果を発表した。
この研究により、インドでは都市封鎖期間中に二酸化窒素ガス濃度がインドの全州で大幅に低下したことが明らかにされた。特に、デリー、バンガロール(カルナタカ州)、アーメダバード(グジャラート州)では大きく減少していることが判明した。しかし、その一方で地表のオゾン濃度は都市封鎖前に比べ、封鎖中に上昇しており、特に、ガンジス川流域平野部のオゾン濃度が最も高く、インド北部と半島部でも増加していたのだ。
その後、都市封鎖が終了すると、ほとんどの地域でオゾン濃度は低下したが、逆に、二酸化窒素の濃度は徐々に上昇し、再び従来の大気汚染が戻ってしまった。
IIT-KGPの研究者は、「オゾンと二酸化窒素レベルのこのような相互変動は、現在の特定分野における規制だけでは大気汚染を制御するのに十分ではないという警告である。どのような汚染防止策を講じるにしても、慎重な調査と計画が必要である」と指摘している。
筆者は2015年から2018年の約3年間デリーに駐在したが、外出する際は、日本から持参した高性能マスクを必ず着用していた。また、事務所や自宅アパートの部屋では、日本メーカー製の空気清浄機がフル稼働していた。ある有名な空気清浄機メーカーの責任者からは、「日本では製品の物理的な寿命である7年くらいはフィルターの交換は一切不要。しかし、デリーでは3カ月毎にフィルター交換することをお勧めする」と言われた。しかし、現実はそれよりもひどく、2カ月でフィルターは真っ黒になっていた。
デリー郊外で撮影した早朝の太陽(上)。望遠レンズで撮影する場合、濃いスモッグが天然のフィルターとなり、カメラ用の減光フィルターなしで太陽の黒点を撮影することが可能だった(下) (いずれも筆者提供)
そのような深刻な大気汚染下においても、新型コロナ前のインドでは、ほとんどの地元住民はマスクをせずに日常生活を送っていた。そんなインドでも新型コロナ発生後は、マスク着用が広く普及した。ただ、それも束の間だったようで、今年5月に筆者がインドを訪問すると、大気汚染が元に戻っていたにもかかわらず、マスク着用が義務付けられていた空港施設内以外では、ほとんど誰もマスクを着用しておらず、以前のインドに戻っていた。
インドではIT、バイオなどの科学技術研究が盛んであり、人材も豊富だ。この深刻な大気汚染を改善するための研究開発が進むことを大いに期待したいものだ。