インドの若い頭脳を日本に~学術交流の新しい試み

2024年9月9日

中野恭子(なかのきょうこ):

<略歴>

東京大学理学部卒業後、民間会社等に勤務。1990年代から工学系を中心とする高等教育協力事業・調査にコンサルタントとして従事。2005年より有限会社ヒューマンリンク取締役社長。JICA国際協力専門員(高等教育)を経て、現在は、JICA「インド工科大学ハイデラバード校日印産学研究ネットワーク構築支援プロジェクトフェーズ2」プロジェクトチームで学術連携を担当。博士(学術)。


インドと日本の頭脳循環を支援する科学技術振興機構(JST)の新しいプログラム「インド若手研究人材招へいプログラム」が始まった。これに参加すると、日本の大学は、連携実績のあるインドのトップ大学から大学院生やポスドクを最大1年間招聘することができる。

日本の大学で学位を取得することへの関心がなかなか高まらないなか、インド工科大学ハイデラバード校(Indian Institute of Technology Hyderabad、IITH)は、日印の頭脳循環に繋がる、日本の大学や研究機関との共同研究ベースの大学院生共同指導を積極的に進めている。本稿は、IITHの教員も学生も歓迎する新しい学術交流の潮流をご紹介する。

インド工科大学ハイデラバード校

インド工科大学は23のInstituteからなる。伝統あるデリー校やマドラス校はよく知られているが、IITHは2008年にインドの人材育成省(現教育省)により設置された、いわゆる第二世代の新設校である。設立後16年を経て学生数約4,500名、教員数約300名となり、インド教育省の工学分野高等教育機関ランキングは現在8位1である。

IITH新設にあたって日本は、マンモハン・シン首相と安倍晋三総理(いずれも当時)の2007年の合意にもとづき、キャンパス整備向けの約230億円の有償資金協力のほか、一部の建物を日本の建築家がデザインする技術協力を行っている。2012年からはIITHと日本の学術・産学連携ネットワーク構築を目的とする技術協力が実施されている。

このように、IITHはインド工科大学のなかでは日本と関係が特別に深い。たとえば、2015年から2021年の間にインドの学術機関が実施した国際共同研究のうち日本との件数では、IITHが伝統校を大きく抜いて1位である2

日印産学研究ネットワーク構築プロジェクトの開始

独立行政法人国際協力機構(JICA)は、2012年に技術協力「インド工科大学ハイデラバード校日印産学研究ネットワーク構築支援プロジェクト(通称FRIENDSHIPプロジェクト)」を開始し、現在フェーズ2を実施中である。プロジェクトは、長期研修(日本の大学院修士・博士課程への留学)、学術・産学の共同研究等への協力を行うが、学術連携では大学・研究機関のほかJST、日系企業との連携構築では日本貿易振興機構(JETRO)等、さまざまな機関の支援を得てオールニッポンの事業となっている。

FRIENDSHIPが開始された当時は、IITHにおいても日本の大学の認知度は極めて低く、長期研修の公募を行っても応募が数件しかいない状況であった。初期のプロジェクトは日本を知ってもらうことに注力し、IITHの教員のべ153名を日本に招聘し、日本の大学・研究機関からのべ119名の研究者をIITHに派遣した。

この交流によって出会った日印の教員は、フェーズ1後半から提供された学術連携構築向けの共同研究資金を利用していくことになるが、点と点を結ぶだけでは持続的なネットワークにはなりにくい。またフェーズ1期間中には、130名以上のIITH学部卒業生もしくは修士修了者がJICA長期研修員として日本の大学に留学したが、それがすぐに持続的な日印の学術・産学連携に発展するわけでもない。

こうした背景により、現在進行中のFRIENDSHIPフェーズ2は、長期研修を日印教員の連携ベースに限定している。また、日本の大学・研究機関との共同研究では、研究チームメンバーとなっているIITH大学院生を日印双方の研究室で共同指導することが柱のひとつとなっている。

留学から共同指導へ

実は、共同研究に参加している博士学生を日本のパートナー研究室に送ることは、長くIITHが希望してきたことであった。その根底には、研究の主要な担い手は博士学生であるという当然の理解だけでなく、優秀な学生は海外に出さず自学で博士号を取得させたいという願望がある。母校に貢献してくれる同窓生数が伝統校に比べて少ない新設のIITHにとって、博士学生が共同研究ベースで国際的な雑誌論文を発表することは、日本の大学に留学生として送り出してしまうよりメリットが大きい。

フェーズ2初期には国際共同学位プログラムの設置を望む声がIITH側で強かったが、日本側の制度的な困難や学生の負担という観点から、非公式であっても実質的な共同指導が希求されるようになった。非公式というのは、たとえば博士学位を授与するIITHが学位論文を審査するにあたり、日本の共同指導者が必ずしも正式の副査(評価者)になっていなくてもよいということを意味する。もちろん日本側の教員が承諾して正式な副査となっているケースも少なくない。

なお、IITHの博士課程は5年一貫制であるが、原則として修士号を保有していることが博士課程入学の条件となっている。

FRIENDSHIPプロジェクトの試み

FRIENDSHIPプロジェクトフェーズ2が提供する日本の学術機関との共同研究資金の公募では、応募者はIITH教員である。日本のパートナーとともに研究計画をたて双方合意のうえで応募することはもちろん、チームメンバーにIITHの大学院生を含めて研究タスクを明記すること、そのなかで共同指導対象の学生については、日印でいつどのような指導をするか現実的な計画ができていることも応募要件である。主指導教員はIITH、パートナー教員が共同指導者であり、学位はIITHが授与する。

募集件数に対して4倍強の応募という競争をへて資金を獲得すると、共同研究者・共同指導者となる日本のパートナー教員がIITHを訪問する費用も、プロジェクトが負担する。ただし、研究資金を使えるのはIITH側のみである。

プロジェクトはこれとは別に、日本のパートナーとの共同研究立ち上げのための渡日費用を支援するプログラムも提供している。こちらは教員同士の連携強化を目指すもので、学生の渡日を義務付けていないが、ほとんどのケースでIITH教員は学生をパートナーの研究室に派遣する計画をたてている。資金規模が小さいため、他の資金を追加して長期に学生を派遣しようとする教員も少なくない。

IITHの修士学生が日本の大学に進学して博士号を取得する決意をすることは、人生の大きな選択であり、家族の意見が影響することはあっても、指導教員が口を出せることではない。このため、共同研究が非常によく進んでいるチームにおいても、長期研修の応募者を出すことは難しかった。これに比べて、IITHの博士学生が研究の一部を日本の共同研究パートナーの指導下で行うことへの抵抗感は非常に少ない。むしろ、日本の研究レベルの高さや研究室のチームワーク、先端的な機材へのアクセス、また口コミで広がっている日本社会の安全さは、インド人学生にとって経験してみるに値する魅力をもっているようである。

モデルケース:出会いから共同研究、共同指導へ

インドといえばITというイメージがあるが、プロジェクトの共同研究ではIT系だけでなく物質系やバイオテクノノジーなどの分野の連携も多い。Biomedical EngineeringのAssistant Prof. Nagarajan Ganapathyと熊本大学大学院先端科学研究部の伊賀崎伴彦教授のチームもそのひとつである。

伊賀崎伴彦教授

Assistant Prof. Nagarajan Ganapathy

伊賀崎教授は医用生体工学を専門とされ、2000年代から筆者が参加したスラバヤ工科大学(インドネシア)やホーチミン市工科大学(ベトナム)とのJICA協力事業でも電気工学分野の教員との共同研究にかかわられていた。そのご縁で、IITHの教員向けにオンラインで研究紹介セミナーをしていただいたところ、Nagarajan先生が共同研究に関心を表明し、FRIENDSHIPの共同研究資金を獲得した。

共同研究のテーマは「SMART-BEING(ウェルビーイング促進のための多機能スマート感情計測技術)」である。研究の全体像は、情報技術を活用してヒトの感情の認知とモデリングを行い生活の質の向上に資するという長期的なスパンをもつが、プロジェクトの小規模資金で協働しているのは、非接触でストレスをかけずに心拍数等ヒトのバイタルを測定する技術の開発である。Nagarajan先生と伊賀崎教授は、互いにNag、Tomと親しみを込めて呼び合う間柄で、学生も含め忌憚ない議論を行っている。

実はこの共同研究が開始された当初は、FRIENDSHIPの研究資金を学生の渡日に使うことはできなかった。このため伊賀崎教授による共同指導は定期的なオンラインセミナーを通じて行われ、1年に1回IITHを訪問する機会に、対面での講義やディスカッション、実験指導等が行われていた。その後、日印間の頭脳循環の柱の一つとして共同指導の推進を支援することとなり、IITHの大学院生が指導教員の日本のパートナー研究室で、日本人の研究チームメンバーとともに、IITHでの学位取得に向けた研究の一部を行うことが可能になった。

Nagarajan研究室

Nagarajan/伊賀崎チームは、2023年1月からの共同研究の成果としてすでに共著論文を1報発表している(2024年8月現在)。さらにNagarajan研究室の博士学生が、熊本大学が日本学生支援機構(JASSO)の支援を受けて実施する短期留学プログラムに参加中である。このように、JICAの支援に発する共同研究や共同指導が、両者が獲得する外部資金で継続して実施されるようになることは、プロジェクトが目指す持続的なネットワーク構築の観点からモデルケースといえる。

伊賀崎研で実験する短期留学中の博士学生(右端)、訪問中のNagarajan先生と修士学生(右から2人目)

熊本大学はこの連携を発展させる方向で、IITHとのダブルディグリー・プログラムを検討中である。ネックとなる学生の渡日・滞在費用としては、JASSOやJSTの新プログラムの活用が期待されている。

組織的かつ共同研究ベースの共同指導であること

日本側から見た共同指導は、留学生として受け入れたときと比較して、博士課程在籍学生数の充足や学位取得後の日本の産業界への貢献という観点からはメリットが少ないかもしれない。インド人留学生数を増やすための仕掛けは今後も必要であろう。

一方で、IITHのみならずインドの優秀な博士学生を受け入れることは、研究人材が不足する日本の学術機関にとって魅力的である。熊本大学が検討中のダブルディグリー・プログラムもそのひとつであるが、国立研究開発法人物質・材料研究機構(NIMS)は2020年に国際連携大学院協定を結び、IITHの博士課程学生を最長1年受け入れている。2021年にはIITHの若手教員が大学院生を伴ってNIMSに滞在し、NIMSの研究者と持続的な共同研究を実施するための「NIMS-インド工科大学ハイデラバード校連携研究センター」が開設されている。その結果、筆者が共同研究パートナーであるNIMS研究者を打合せに訪ねたとき、IITH側研究者がすでに送りこんでいた博士学生が顔を出してくれ、そのNIMS研究者がIITHを訪問したときには、すでに帰国していた学生がIITH側指導教員とともに議論に参加するといった緊密な関係ができている。

ここで指摘しておかねばならないのは、熊本大学のケースもNIMSの制度も、共同指導は日印の指導者間の強い相互信頼を前提に行われていることである。そもそも共同指導するには、双方の指導教員が合意する研究テーマが必要である。そのうえで、学生は共同研究チームメンバーとして研究課題に取り組み、博士論文を執筆する。日印の教員の関係が持続的であることは、長期的な頭脳循環の基盤でもある。Nagarajan/伊賀崎チームがそうであるように、双方の研究者が研究テーマの一致だけでなく、将来めざすところや、あえて言うならば人生観を共有できるような人間関係をもてることは、共同研究・共同指導を含めて長く連携関係を維持する動力となる。

以上、本稿は「インド人留学生をもっと日本に」という流れとは少し異なる、おそらく日印学術交流の新しい潮流のひとつとなるであろう「共同研究ベースの共同指導」をご紹介した。今後はこうした連携が広がるとともに、インド人学生と研究室生活をともにした日本人学生が、IITHなどインドの大学に短期間であっても滞在することに関心をもつことが期待される。

(なお、本稿に記載の内容は筆者の個人的見解であり、関係諸機関の考えを示すものではない。)

(写真:すべて筆者提供)

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