インドのディープテックスタートアップ育成政策について

2024年10月16日 藤原 孝男(JSTアジア・太平洋総合研究センター 特任フェロー)

1. はじめに

人口世界第1位、シリコンバレーへの高度人材の供給国として有名なインドにおけるスタートアップへの投資機会に注目が集まっている。Flipkartのようなeコマース型ユニコーンはともかく、ディープテックスタートアップを含むエコシステムに関する情報は従来あまりない。

2. 世界の中でのインドのスタートアップ

インドのスタートアップ数とディープテックスタートアップ数はそれぞれ世界第5位にあり、その経済力(名目GDP第5位)や科学技術力(論文数第3位)に相応したものになっていると言える1。ディープテックスタートアップの対スタートアップ比率では、インドは上位10カ国では最低に位置し、基礎研究成果の社会実装において更に発展の余地があると推測される。他方、インドのユニコーン(企業価値10億ドル以上の株式未公開スタートアップ)数とディープテックユニコーン数は各世界第3位にあり、経済力・科学技術力に比較して、人口14億人の大市場を活かして相対的に有利な数値となっており、両ユニコーンへの育成が順調と評価される2。ただし、インドのディープテックユニコーンの対ディープテックスタートアップ比率0.77%は世界第3位ではあるが、中国、アメリカに比較すると低く、また、ユニコーンの対スタートアップ比率0.82%よりも低く、ディープテックユニコーンへの育成に関し、改善の余地があると言える。

3. インド国内のスタートアップの状況

第一に、インドのスタートアップは、主要研究機関がある大都市に多く分布し、主要業種としては、第1位ITサービス、第2位エドテック(Education Tech)、第3位アグリテックなどが上位を占めている3。また、政府はスタートアップ支援策として、一般スタートアップ、商工省産業国内取引促進局(DPIIT)認定スタートアップ、所得税免除スタートアップに3区分して、重要度に応じた支援を行っている。第二に、インドのユニコーンは、第1位eコマース、第2位フィンテック、第3位エンタープライズテックの3業種が突出している。これらは、主に政府が進めてきたアーダール(国民識別番号)制度の普及を進める過程において、成長してきた。第三に、ディープテックスタートアップは、インド政府の国家ディープテックスタートアップ政策(NDTSP)の業種分類によると、第1位のソフトウエアと第2位の技術的ハードウエアが突出しているが、実際には多くの生命科学分野のディープテックスタートアップが存在するものと考えられる4。第四に、インドのディープテックユニコーンは、内閣府データでは37社、世界第3位と健闘しているが1、インドに近い情報からは13社との数字が導かれており、より真値に近い値を得るには、更なる精査が必要と思われる5

4. 政府の政策

インド商工省のスタートアップインディア(Startup India)や製造業の比率を高める「メイク・イン・インディア」、MeitY(Ministry of Electronics and Information Technology:電子工業・通信技術省)による「デジタル・インディア」等のスタートアップの支援政策を策定しているが、特に、政府の包括的な政策として、首席科学顧問室のNDTSPと国立インド変革委員会(NITI Aayog)の強靭革新ミッション(AIM)に注目する。

4.1 科学顧問室の国家ディープテックスタートアップ政策草案

首席科学顧問室のアジェイ・クマール・スード(Ajay Kumar Sood)首席科学顧問(Principal Scientific Adviser to the Government of India)・IISc(Indian Institute of Science:インド理科大学)名誉教授の下で主席政策顧問(Chief Policy Adviser)のB.チャグン・バシャ博士(Dr. B. Chagun Basha)が中心となってIIScキャンパス内のDST(科学技術庁)政策研究センター(Centre for Research Policy)において国家ディープテック・スタートアップ政策(National Deep Tech Startup Policy: NDTSP)草案を立案し、2023年7月24日にNDTSP Consortiumへ同草案を答申している4。現在、第3版をホームページ上に公開し、パブリックコメントを募集して編集中である。この草案はディープテック・スタートアップに着目して、既存の一連のスタートアップ諸政策を補完・調整する関係にある。

先ず、NDTSPのビジョンとして、自律的国家の能力と主権の確立、経済的将来性の確保、知識主導経済の推進、倫理的革新を掲げている。その実現のために、第一に、ハイテク輸出、経済的競争によるGDP成長、第二に、経済力を通じた国民の生活水準の向上(国防・食料・医療・水・エネルギー・環境問題・雇用機会など)の実現を目指している。特に、インドの情報技術・eコマースでの成功に基づき、スタートアップ育成を介したディープテック産業の強化を目指しR&D(研究開発)への投資による科学技術的基盤の強化を図ることを目的としている。

NDTSPはディープテックスタートアップ・エコシステムの革新に向け9項目を優先的に政府が介入すべき領域として特定している。各項目間の連携は、概念図のように、①R&D・知財による革新、②資金・人材・インフラによる資源投入、③規制・調達・調整に関する支援的施策の統一化、④持続可能性確保の4段階として示すことができる。特に、第4段階について、ディープテック業種は損益分岐点に至る投資回収期間が長く、企業存続を支援するために一度設計された制度の維持存続の保全を必要とする点が強調されている。

NDTSPの優先的介入項目の連携概念図

IISc内のDST政策研究センターにて右から3人目B.チャグン・バシャ博士(Dr. B. Chagun Basha、Chief Policy Adviser)、左から2人目スレッシュ・K・ナムデオ博士(Dr. Suryesh K. Namdeo、Member、Indian National Young Academy of Science)、2024年1月15日(月)

4.2 国立インド変革委員会によるスタートアップ支援事業

NITI Aayog(National Institution for Transforming India Aayog:国立インド変革委員会)は、2016年に技術革新と起業家精神風土の促進政策である強靭革新ミッション(Atal Innovation Mission: AIM)を策定した。AIM政策を遂行するために、現在、ディレクターのチンタン・ヴァイシュナヴ博士(Dr. Chintan Vaishnav)の下で、AIMプログラムディレクターのロヒット・グプタ氏(Mr. Rohit Gupta)によって首相の諮問機関ながらも具体的なプログラムが立案・運営されている。

事業の一つとして、大学・研究機関・企業等に2017年からスタートアップ育成を目的にアタル・インキュベーションセンター(Atal Incubation Centres)を設立し、特にヘルステック、宇宙・ドローンテック、AR・VRなどの技術系スタートアップを支援してきた。その結果、2022年までに69インキュベーター、創業支援企業2,900社以上、その内、雇用創出32,000人以上、創出知財権400件以上の成果を上げている6

国立インド変革委員会にて中央チンタン・ヴァイシュナヴ博士(Dr. Chintan Vaishnav、Mission Director、Atal Innovation Mission)、左端ロヒット・グプタ氏(Mr. Rohit Gupta、Program Director、AIM)、2024年1月18日(木)
(画像・写真はすべて筆者提供)

5. まとめ

統一政策としてのNDTSPやAIMによる基盤整備の下で、領域別にMeitYのTIDE(Technology Incubation and Development of Entrepreneurs:技術イノベーション・起業家開発)2.0やBIRAC(Biotechnology Industry Research Assistance Council:バイオテクノロジー産業研究支援協議会)のBioNEST(Bioincubator Nurturing Entrepreneurship for Scaling Technologies:技術スケールアップ起業家養成バイオインキュベーター)などの主に情報系や生命系に関するインキュベーターが大学などの研究機関に設置され、博士人材における工学系よりも理学系における比重の高さを反映して、「メイク・イン・インディア」をはじめアイデアの試作化や、基礎研究の社会実装に向けた促進が図られている。

訪問した首席科学顧問室も国立インド変革委員会も、どちらも首相の諮問機関としてのシンクタンクであるが、専門的背景の種々異なる若手のメンバーが強力なリーダーシップを持つ指導者の下で自由闊達に議論する雰囲気がこれからのインドを反映しているようで印象的であった。

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