2025年2月4日 藤原 孝男(JSTアジア・太平洋総合研究センター 特任フェロー)
国際通貨基金(IMF)の2024年10月の推計によると、日本の名目国内総生産(GDP)が2025・2026年で4兆3,893億・4兆5,846億ドルだったのに対して、インドの同指標はそれぞれ4兆2,719億・4兆7,104億ドルへと、2026年には日本を抜いて世界4位に浮上すると予測されている(但し、1人当たりGDPには依然として大きな格差がある)1。2022年のインドの人口は14億1,717万人(世界銀行)2で、2024年の日本の人口1億2,374万人(総務省)3の11.5倍に相当し、2025年のインドのGDP成長率6.5%(IMF)4が、日本の2025年度の同成長率1.2%(内閣府)5の見通しの5.4倍であり、経済的な波及効果を及ぼす「規模」と「成長率」ともに日本よりも高い比率を示している。経済成長の引き金として、このような2要因にレバレッジ(Leverage:梃子の原理)を効かせて高付加価値産業を牽引するには、ディープテックスタートアップの革新力が重要となるが、ここではそのエコシステムでの支援プレイヤーとして、ベンチャーキャピタル(VC:Venture Capital)、主要業界団体、経営コンサルティング企業について検討する。
インド・ベンチャー&オルタネート・キャピタル協会(IVCA:Indian Venture and Alternate Capital Association)の2024年度の会員ファンド数391社の内、VC174社(44.50%)とプライベート・エクイティ(PE:Private Equity)55社(14.07%)が主要な割合を占めている6。特にVCのファンド数比率では、スタートアップの市場開拓に関わるグロース(Growth)段階や量産に向けたレイト(Late)段階よりも、離陸前の製品開発初期のアーリー(Early)段階の中の、具体的には萌芽的なスタートアップ発掘を担当するプレシード(Pre-seed)・シード(Seed)段階、エンジェル・ファンド&ネットワーク(Angel Funds/Networks)など、国内のマイクロVCの比重が大である。IVCAメンバー全体の中では国内のファンド数が75%であるが、多額の投資を要するグロースやレイト段階を担当する大規模な資産運用のVCやPEなど海外ファンドの数が増加している。因みに、IVCA会員ファンド数は2019年度の143社から2024年度の391社に2.73倍に急増している。次に、ディープテック分野に特化した国内マイクロVCの2ファンドについて検討する。
プラヴェガベンチャーズ(Pravega Ventures)の共同創業者・パートナーのロヒット・ジェイン氏(Mr. Rohit Jain: Co-founder & Partner)によると、ファンド内で、特に個人としては国防・宇宙・人工衛星・ドローンなどのディープテック業種に特化してシード・プレシリーズ(Pre-series)A・シリーズ(Series)Aの段階の投資を行ってきている。シード段階など金額の低い案件に集中して投資を行っているが、自社の資源制約から次のグロース・レイト段階では外資系VCと提携しなければ投資継続ができない実態にある。同社だけでなく一般的に国内のVCは小規模であり、ニッチ市場に特化し、継続して萌芽的且つ革新的なディープテックスタートアップを発掘しなければ投資ポートフォリオ(Portfolio:投資先群)の維持は不可能と考えている。例えば、社内でも米国のオフィスを含めて国際分業でオンライン会議などを通じて情報交換・資金調達・投資を行っている。特に、CEOはアメリカのオフィスでの勤務時間が長く、現地での大手VC・PEとの連携や新しい技術情報の収集に奔走しているようである。
ロヒット・ジェイン氏(左Mr. Rohit Jain, Co-founder & Partner)
2024年1月16日(火)Pravega Ventureベンガルールオフイスにて
パイベンチャーズ(pi Ventures)の米国出張中のCEOの代わりに急遽面談したアクヒレッシュ・アガルワル氏(Mr. Akhilesh Agarwal, Associate Venture Partner:2024年1月17日(水)面談)によると、同社は機械学習・人工知能・IoTなどの領域で、従来技術に対して破壊的革新を志向するディープテックスタートアップのアーリー段階に特化して投資をしている。同社独自の投資の方法論として、イノベーションに関する需要と供給との共鳴マップを用いて5年先のイノベーションの長期的変化を予測し投資の指針としている。面接当時、15社に投資を行い、投資総額は3,000万ドルで、シード・プレシリーズA・シリーズAの段階に特化していた(現在は8,500万ドルの第2ファンドを立ち上げ、新たに7社に投資している)。同社の特徴として、比較的高リスクのディープテックに特化して投資しているが、マイクロVCでありながらもアメリカのオフィスを含めて企業内国際分業で情報交換・資金調達・投資を行うリスク分散によって対応している。
2023年7月のインド政府のスタートアップインデア(Startup India)のデータにおける法人税免除(80 IAC exemption)スタートアップ企業の主要業種は、第1位ITサービス127社、第2位ヘルスケア・生命科学117社であり、政府の支援政策を反映していると考えられる。これら2業種の業界団体としては、全国ソフトウェア・サービス企業協会とバイオ技術企業協会があり、それぞれの支援活動を検討する。
全国ソフトウェア・サービス企業協会(NASSCOM:National Association of Software and Service Companies)の本部はノイダ(Noida)にあるが、スタートアップ担当の上級役員はベンガルール(Bengaluru)オフィスに勤務するクリティカ・ムルゲサン氏(Ms. Kritika Murugesan, Senior Director, Startup & Products)である。ムルゲサン氏のチームによれば、デジタル・インフラとしてのインディア・スタック(India Stack)には、クラウド生体認証(Presenceless)・ペーパーレス(Paperless)・国内銀行口座への即時支払(Cashless)・データ利用承諾(Consent)の4レイヤー(Layer:層)が含まれる。また、公開主要5API(Application Programming Interface)には、①本人認証のAadhaar、②本人確認オンライン化のeKYC、③記録・書類のデジタル化のDigilocker、④電子署名のeSign、⑤銀行間リアルタイム送金のUPI(Unified Payments Interface)が挙げられる。金融以外の新しい応用例として、インディア・スタックの中の医療分野のヘルススタック(Health Stack)が、14桁のHealth IDを基礎にオープンで相互利用可能なデジタル・ヘルスケア・エコシステムを構築するための取り組みとして、健康保健デジタルミッション(ABDM:Ayushman Bharat Digital Mission)の下で2021年9月に開始されている。
同協会の創業支援には専門のNasscom DeepTech Clubがある。AI分野では比較的単調作業処理の機械学習だけでなく深層学習においても大きなイノベーションが起きており、社会実装に向け資金・人材の環流が生じている。特に深層学習における可能性に関して、インドの自信と将来の可能性に関して強い関心を持っているようである。今後、電気・水道だけでなく、ベンガルールの中心から空港までのメトロなどの交通インフラが充実すれば、従来の携帯中心のデジタル経済から製造業を巻き込んだ一層の経済発展が期待できるとのことである。
クリティカ・ムルゲサン氏(右から2人目Ms. Kritika Murugesan, Senior Director, Startup & Products)
2024年1月17日(水)NASSCOMベンガルールオフィスにて
バイオ技術企業協会(ABLE:Association of Biotechnology-Led Enterprises)の最高執行責任者(COO:Chief Operating Officer)のナラヤン・スレッシュ氏(Mr. Narayan Suresh)によれば、ベンガルールがインドの革新拠点になった歴史的背景の基礎は、1898年のタタ(J.N. Tata)によるインド総督への計画書提出とマイソール藩王の土地寄贈によるインド理科大学(IISc:Indian Institute of Science)の1909年の設立にある。また、ベンガルールがソフトウエアから次世代産業をバイオとする契機は、時価総額45.67億ドルのBioconのKiran Mazumdar Shaw博士と、Strand Genomicsを創業したIIScのV. Chandru元教授の両レジェンドの貢献が大きいとして、新分野を切り開く「チェンジ・エージェント(Change Agent)」の役割の重要性を指摘する。すなわち、ベンガルールがイノベーション・スタートアップのハブになったのは大学、国立研究機関、大企業研究所の設置など、歴史的な経路依存の慣性力の影響もあるが、他方で、ソフトウエアのInfosys創業者達、バイオでのKiran Mazumdar Shaw博士やV. Chandru元教授の各タイミングでの勇気ある決断と、現在における地域内でのフォロワーに対するメンターとしての継続的なロールモデルも大きな影響を与えているとしている。同氏によれば、ベンガルールにおけるバイオでのイノベーションの可能性に対してかなり楽観的な見解を持っているとのことである。
ナラヤン・スレッシュ氏(左Mr. Narayan Suresh, COO)
2024年1月16日(火)ABLEベンガルール本部オフィスにて
ジノヴ(Zinnov)はNASSCOM報告書を共著する経営コンサルティング会社で、契約担当マネジャーのサッド・カリーム・シェイク氏(Mr. Sa'ad Kaleem Shaik, Engagement Manager)によれば、2019-2023年の間に31,000社の技術系スタートアップが700億ドルを調達したが、この内、3,000社のディープテックスタートアップが96億ドルを調達し、現役ユニコーン数は91社であると自社の調査結果から述べている。ディープテックの内訳としてAI55%、ビッグデータ17%、IoT5%、ブロックチェーン2%、他21%で、応用領域としてB2B(Business to Business)23%、金融17%、SCM(Supply Chain Management)11%、ヘルステック9% 、その他40%である。
日本にはJETRO以外にも、商社・銀行・製造企業の中に多くのクライアントを訪問する機会があり(オンライン面談の時にも同社メンバーが日本を訪問中とのこと)、日本からインドへの投資意欲を感じている。インドとしては、AIや情報系のスタートアップの技術力にはかなりの自信を持っているが、製造系のスタートアップに関しては政府を含めた関係者による今後の支援対策の必要性を感じているとのことである。
サッド・カリーム・シェイク氏(Mr. Sa'ad Kaleem Shaik, Engagement Manager)
2024年1月24日(水)オンラインにて
2023年6月にアメリカの大規模VCであるセコイア・キャピタル(Sequoia Capital)は、地政学的リスクの回避などを目的に、米欧対象のSequoia Capital(名称継承)、中国対象の紅杉(ホンシャン)、インド・東南アジア対象のPeak XV7Partnersの3分割を発表している8。また、11兆ドルの資産を運用するPEファンドのブラックロック(Blackrock)は2023年6月にインドのReliance GroupのJio Financial Services Limited (JFS)と合弁企業Jio BlackRockを設立し、中国からインドへの投資シフトのシグナルを市場に送っている9。日本のVCの中にはソフトバンク・ビジョンファンドをはじめ、インドのディープテック領域を含むスタートアップに既に投資している例もあるが、アメリカの巨大VC・PEの動きは近年、運用資金額の大きさにも関わらず迅速・活発である。
大きな産業インパクトが期待されている汎用性の高い量子科学技術(モダリティ:イオントラップ・中性原子・ダイヤモンドNVセンター・光・超伝導・半導体、技術応用領域:計算・センシング・通信・ビーム・シミュレーション)の領域ではアメリカを中心に(日本では2017年に内閣府ImPACTのQNN公開10、2020年に東京大学・IBMを中心とするQII設立11)、AIだけでなく、生命科学、金融、気象・エネルギーなどが産業応用領域として注目されている12。特に、AIを含むIT、バイオ、金融、環境・エネルギーは主要なディープテック業種と考えられる。また、アメリカには現在、約300万人のインド系移民がいるが、Google及び親会社のAlphabet、マイクロソフト、IBM等のCEOをはじめ多くは有名大学の学位と経済的成功を収めている。しかし、専門職移民への期間限定のH-1B就労ビザからグリーンカードへの変更の待ち時間が長く、本国でのディープテックスタートアップの成功機会の拡大に伴い帰国者が増加していると言われている13。
インドには、タタ財閥に属するタタ・コンサルタンシー・サービシズ(Tata Consultancy Services)をはじめ多くのコンサルティング企業がある。加えて、世界的企業のアクセンチュア(Accenture)の社員の出身大学の上位5位(社員数)までは全てインドの大学で占められると言われるように、グローバルなコンサルタント業界では、インド系人材が、IT系プロジェクト、戦略立案、マーケティング、生産管理、アナリティクス、アウトソーシング、ヘッドハンティング、M&A仲介などの経営業務を担当し、インドとアメリカを含む世界との結び付きをも構築している。
インドの人口の大きさは従来、市場としての受け皿だけでなく、逆に環境保護・インフラ整備における大きな負荷となってきた。しかし、経済が離陸し、海外流失していた優秀な人材のアメリカの大学・企業研究所での先端的な技術習得後の帰国、アメリカのVC・PEによる投資の増加やコンサルティング企業のネットワーク構築などの理由によって、名目GDPに見られるように今後、中国を追跡する経済大国になる可能性も考えられる。