2025年のノーベル化学賞は、金属有機構造体(MOF)の開発に対して授与された。MOFとは、内部に広い空間を持ち、ガスやその他の化学物質を捕捉・貯蔵できる分子構造である。
京都大学の北川進教授、カリフォルニア大学バークレー校のオマー・M・ヤギー (Omar M. Yaghi) 教授、そしてオーストラリア出身のメルボルン大学のリチャード・ロブソン (Richard Robson) 教授それぞれがこの賞を同時受賞した。
ロブソン教授は、1989年に親しい共同研究者であったバーナード・ホスキンス (Bernard Hoskins) 氏と共に、金属有機構造体を初めて発見した。この構造体は、略語であるMOFという語で知られている。
研究の価値が問われている時代において、ロブソン教授に関する話は、科学研究は持続的な努力と支援の末に現実世界への影響をもたらすことをはっきりと教えてくれる。
他の多くのオーストラリア人科学者と同様に、筆者もリチャード・ロブソン教授に触発されてMOFの研究を始めた一人である。ロブソン教授は90歳近くにしてなおも研究室で研究を続け、学生たちを指導し、教育し、多くの科学者との共同研究に携わっている。今回の受賞は、ロブソン教授が何十年にもわたり錯体化学及び無機化学の研究者・教育者として献身を続けてきたことを讃えている。
筆者はロブソン教授の多くの共同研究者の一人となるという幸運に恵まれた。彼は消えることのない痕跡を残してくれた。研究チームは、ロブソン教授及び彼の親しい同僚であるメルボルン大学のブレンダン・エイブラハムズ (Brendan Abrahams) 教授と共に、MOF内部での電子の移動について研究してきた。
若い化学者たちがロブソン教授の発見について初めて知ったのは学部の講義中であった。これはメルボルン大学では教育と研究が深く結びついていることを示す印象的な話である。
基礎科学研究がMOF開発につながったわけである。ロブソン教授の功績は、深い好奇心に基づく研究が、社会に極めて重要な影響を与えることを示している。
始まりは科学的好奇心であった。ロブソン教授は化学の学部生に見せるために、化学物質の模型を作った。それが変革をもたらすイノベーションへと成長したのである。MOFは現在、温室効果ガスの回収から薬物送達、医療画像診断まで、世界が最も頭を抱えている課題のいくつかを解決しようとしている。
有機化学の教授であり、ノーベル化学賞委員会のメンバーでもあるオロフ・ラムストロム(Olof Ramström)氏がMOFについて解説
金属有機構造体は、非常に多孔質な結晶材料である。有機分子により結合された金属イオンから作られている。
原子と同じ大きさの孔を持つスポンジを想像するとよい。MOFを小さじ1杯取ると、その表面積はサッカー場ほどの大きさになる。
孔はごく小さくて、形状、大きさ、機能を変化させることができる。それは、まるで建築家が異なる機能を持ち、異なる作業が可能ないくつもの部屋を持つ建物を設計するようなものだ。
現在、数万種類のMOFが存在する。砂漠の空気から水を集めるために使用されるものもあれば、二酸化炭素などの温室効果ガスを大気中から除去するために設計されたものもある。さらに、有害と考えられる化学物質を回収し、除去して、地球の水路を浄化するものもある。
現在、地球規模の大きな問題を解決しようとMOFを大規模に活用している企業がいくつかあるが、ロブソン教授はこの研究を数十年前に開始した。
2018年、ニュージーランドのオークランドで開催された第6回世界MOF会議の総会講演で、ロブソン教授は、講演用に分子モデルを作成していたときに、あるアイデアがひらめいたことを語った。
ロブソン教授は、錯体化学を利用すれば、銅などの金属イオンを、炭素や窒素などの他の原子と体系的かつ制御された方法で結合できるという理論を考えた。これは基本的には分子のレゴブロックのようなものである。あるブロックは特定の方法によってのみ、他のブロックにはめ込むことができる。
ロブソン教授は共同研究者のバーナード・ホスキンス氏とともに、この幾何学的構造が規則正しい、無数の空洞を含んでいることを発見した。その後10年間で、同じくノーベル賞受賞者である北川教授とヤギー教授は、MOFを安定化させ、制御可能となるような設計方法について、新たな発見を次々と発表した。

リチャード・ロブソン教授は授業用に分子模型を作っているとき、のちにMOFとして知られることになる着想を得た
(Paul Burston/University of Melbourne)
現在知られている数万種類のMOFのうち、いくつかは実用段階にまで達している。例えば、ロブソン教授とブレンダン・エイブラハムズ氏の研究は、手術室でMOFを使用すれば、大きな温室効果を持つ麻酔ガスを除去できることを証明した。麻酔ガスの温室効果は二酸化炭素の何万倍も強力である。
MOFはまた、薄い空気から水を抽出することもできる。特に空気が乾燥し、水不足に悩まされる厳しい環境では重要である。
オーストラリアが研究の貢献、高等教育と大学の価値、そして生産性向上の方法について議論しているとき、ロブソン教授の功績は、教育と研究には奥深い価値があり、これら2つは深く関係していることの証明となる。
しかし、教育と研究を真に繁栄させようとするならば、 短期的な政治サイクルの視野を超えた、長年にわたる継続的な支援が必要である。
多くの場合、基礎科学の原動力は好奇心であり、すぐに実用化されることはない。だが、基礎科学は画期的発明の基盤となり、今日、そして将来直面する喫緊の課題の解決に役立つ。
オーストラリアのノーベル賞受賞科学者はわずか11人であるが、リチャード・ロブソン教授は、その仲間入りを果たした。すべてのオーストラリア人は、ロブソン教授が世界の舞台で成し遂げた功績を心から誇りに思うことであろう。
リチャード・ロブソン (Richard Robson) が金属有機構造体の開発で受賞。北川進(日本)及びオマー M・ヤギー(米国)との同時受賞。
ブライアン P・シュミット (Brian P. Schmidt) が遠方の超新星を観測し、宇宙の加速膨張を明らかにしたことで受賞。アダム・リース(米国)及びソール・パールマッター(米国)との同時受賞。
エリザベス・ブラックバーン (Elizabeth Blackburn) が染色体がテロメア及びテロメラーゼという酵素によって保護される仕組みを明らかにしたことで受賞。キャロル W. グライダー(米国)及びジャック W. ショスタク(米国)との同時受賞。
J. ロビン・ウォレン (J. Robin Warren) 及びバリー J. マーシャル (Barry J. Marshall) がヘリコバクター・ピロリ菌並びに胃炎及び消化性潰瘍におけるその役割を明らかにしたことで受賞。
ピーター C. ドハーティー (Peter C. Doherty) が細胞性免疫防御の特異性に関する発見で受賞。ロルフ M. ツィンカーナゲル(スイス)との同時受賞。
サー・ジョン・コーンフォース (Sir John Cornforth) が酵素触媒反応の立体化学に関する研究で受賞。有機分子と反応の立体化学に関する研究について、ウラジミール・プレローグ(スイス) との同時受賞。
アレクサンドル M・プロホロフ (Aleksandr M. Prokhorov) (オーストラリア生まれ、ソ連で活動)が量子エレクトロニクスの分野における基礎研究により受賞。この研究は、メーザーレーザー原理に基づく発振器や増幅器の構築につながった。チャールズ H. タウンズ(米国)及びニコライ G. バソフ(ソ連)との同時受賞。
サー・ジョン・カリュー・エックルス (Sir John Carew Eccles) が神経細胞膜の末梢部と中枢部の興奮と抑制に関与するイオン機構に関する発見で受賞。アラン・ホジキン(英国)とアンドリュー・ハクスリー(英国)との同時受賞。
サー・フランク・マクファーレン・バーネット (Sir Frank Macfarlane Burnet) が獲得免疫寛容の発見で受賞。ピーター・メダワー(英国)との同時受賞。
ハワード・フローリー (Howard Florey) がさまざまな疾患におけるペニシリンとその治療効果の発見で受賞。アレクサンダー・フレミング(英国)とエルンスト B.チェーン(英国)との同時受賞。
サー・ウィリアム・ローレンス・ブラッグ (Sir William Lawrence Bragg) (オーストラリア生まれ、英国で研究)がX線を使用した結晶構造の分析で受賞。父親であるサー・ウィリアム・ヘンリー・ブラッグ(英国)との同時受賞。
出典: The Nobel Prize
(2025年10月21日公開)