不就学者へ学ぶ機会提供 実結ぶ日本のパキスタン支援

2021年7月15日 小岩井 忠道(科学記者)

2億人という世界で6番目に多い人口を抱える一方、学校に通えない子供がアジアで最も多い国でもあるパキスタンで、子どもたちに学ぶ機会を、学ぶ機会がなかった大人たちには識字力を得てもらおうとする取り組みが進んでいる。政府承認ではあるものの学校教育とは別のルートで学ぶことからノンフォーマル教育あるいはオルタナティブ教育と呼ばれるこうした活動は、2015年からパキスタン4州のうち3州と連邦直轄地域に拡大するまで広がっている。日本の独立行政法人「国際協力機構(JICA)」が17年前に始めた支援事業が、パキスタン州政府や連邦政府機関の取り組みも大きく変えてきた結果といえる。昨年3月でいったん終了したプロジェクトの継続、拡充を目指すJICAの「オルタナティブ教育推進プロジェクト フェーズ2」が本格化しようとしている。

4月14日、JICA緒方貞子平和開発研究所主催のオンラインセミナーが開かれた。「未来を拓く学び『いつでもどこでも 誰でも』パキスタン・ノンフォーマル教育 0からの出発」という著書の出版を記念しての開催だった。本の著者は、2008年からパキスタンでJICAの国際協力プロジェクトに関わってきた大橋知穂さん。さまざまな事情で義務教育を全く受けていないか途中でやめてしまったパキスタンの子供や若者たちに学校教育と同等の「ノンフォーマル教育」を、さらに教育を全く受けないまま大人になってしまった人々に識字力をつけてもらう「識字プログラム」を提供するプロジェクトの現地責任者として活動してきた。

パンジャブ州の成人識字クラスで学ぶ女性たちと大橋知穂さん(2009年、大橋さん提供)

2015年からパキスタン全4州のうち3州と連邦直轄地域にまで対象範囲を拡大した「オルタナティブ教育推進プロジェクト」が昨年3月で終了し、一時帰国したのを機に大橋さんがこれまでの活動をまとめ、3月末に出版したのが前述の本。「オルタナティブ教育推進プロジェクト フェーズ2」のチーフアドバイザーとしてパキスタンに戻る直前の大橋さんにこれまでの活動成果と今後、現地で何を目指すかを聞いた。

44%、2,280万人が不就学児

パキスタンの教育環境は、女性への教育の必要を訴え、反発するイスラム主義武装組織の男たちによる銃撃で重傷を負ったマララ・ユスフザイさん(2014年に史上最年少でノーベル平和賞受賞)によって、世界の関心を集めた。大橋さんの著書によると、パキスタンでは5歳から16歳が義務教育年齢で、小学校5年、前期中学校3年、後期中学校2年の計10年間が義務教育期間となっている。しかし、この年齢層の44%、2,280万人が最初から学校に通っていないか途中で退学してしまった不就学者。世界でこれより多い国はナイジェリアだけだ。特に女性は10歳を過ぎると親が外に出したがらない文化的背景に加え、公立校の8割は小学校で、中学、高校の数は少なく、30キロ圏内に女子の中学がない地域は珍しくない。トイレがない、あるいはあっても壊れている学校が40%以上もある。こうした国民感情や劣悪な教育環境も加わって特に女子の教育機会が大きく制限されている。

国民全体の識字率が低いことはパキスタン政府も当然、早くから重視している。1980年から大々的な識字キャンペーンが全国的に展開されたのだが、不就学児童や成人の識字率向上を担当する各州の部局はいずれも弱小。識字キャンペーンは形骸化し、成果も上がらずという状態が長く続いた。今でも親の4割近くは非識字者。地域による格差も大きく、女性の識字力が20%を切る農村部では、そもそも地域に先生になれるような人がいない。学校の教師は遠方から通うため特に女性の教師は自宅との往復に時間を取られ学校で教える時間が少なく、男性もよそ者ということで親が警戒して娘を学校に行かせるのを躊躇してしまう実態が珍しくなくなっている。その結果、農村地域の小学5年生の41%が母語、あるいは母語に近いウルドゥ語、シンド語、パシュトゥン語のいずれかで書かれた簡易な物語を読むことができない。二けたの割り算ができない生徒も43%に上る。こうした実態が市民団体の調査で明らかになっている。

有能な局幹部や現地スタッフ

JICAの技術協力プロジェクトは、現地での活動の合意を得るのが難しく、実施体制、学校運営予算の確保などゼロからスタートせざるを得ないという状態がしばらく続く。大橋さんが関わり始めた2008年は、4年前に始まった最初の技術協力である「パンジャブ州識字推進プロジェクト」の進行中。プロジェクト終了まで残り2年という時期だった。

当時の状況が、著書に生々しく紹介されている。「JICAがつくったデータは使い物にならないと聞いている」。あいさつに行ったパンジャブ州識字・ノンフォーマル教育局の次官から出てきたのはなんとも厳しい言葉だった。プロジェクトの目的は、6年前にできたばかりの同局の能力強化と、ノンフォーマル教育に必要なデータを収集、分析するソフトウェアの開発、普及。ノンフォーマル教育の対象となる不就学者の家庭は、親や本人自身が日雇いや季節労働で生計を立てているため、1年もたつと子供の4割程度は引っ越しで入れ替わってしまうことも多い。せっかく調査してつくりあげたノンフォーマル教育の対象となる子どもたちがどのくらいいるかを示すデータも、1年後に赴任した次官からみると「使い物にならない」と言われてしまうというわけだ。

しかし、頻繁にデータを更新するような予算はない。この難局を救ったのは、新しくコーディネーターとして採用したばかりのアビッド・ギル氏だった。州の保健局に雇用されている「レディーヘルスワーカー」と呼ばれる保健普及員が各家庭を訪ね、家族構成、健康状態、予防接種状況などを聞き取りする項目に「識字・非識字、学校に行っているか・いないか、中退したであればいつか」を加えてもらえばよい。この提案を実行してもらうことで、継続的にデータを更新することが可能になった。

パンジャブ州のレンガ工場内にある小学校(2011年、大橋知穂さん提供)

有能かつ意欲的なパンジャブ州識字・ノンフォーマル教育局次官の着任によってプロジェクトが一挙に大きく前進したこともある。ハッシブ・アタール次官は着任後すぐに「識字局の10年戦略計画」作成を表明、大橋さんたちに協力を依頼する。1年かけてまとめた計画に盛り込まれた四つのプロジェクトが州政府によって承認される。そのうちの一つが「レンガ工場プロジェクト」。パキスタンの主要建材であるレンガ工場で働く底辺層の子どもたちの多くは労働に駆り出されて学校に行けず、学校に行けた子どもたちも差別される目に遭って通学を断念させられる。こうした子どもたちに識字と基礎教育を提供しようとするプロジェクトだ。パンジャブ州で大きな評価を受け、パンジャブ州識字・ノンフォーマル教育局の予算は、2005年当時に比べ10年間で10倍に増えた。データベースも、今ではスマートフォンでリアルタイムに現場のデータにアクセスできるようになっている。

アタール次官はその後、連邦政府の教育次官になり、人事院のトップに上り詰めたが、今でもノンフォーマル教育の応援団長となっているという。

パンジャブ州の村人たちと教育の話をするハッシブ・アタール氏。左はコーディネーターのアビッド・ギル氏(大橋知穂さん提供)

パンジャブ州の成功がばねに

パンジャブ州の成功は、他の州の大きな関心を呼んだ。2015年から始まった「オルタナティブ教育推進プロジェクト」は、パンジャブ州に加え、連邦政府直轄地域、バロチスタン州、シンド州も対象地域に加わった。しかし、技術協力プロジェクトのため、教材などコンテンツは作れるものの何千もの学級を開講するような資金はない。そこで大橋さんたちが始めたのが、他の資金力のある機関と協働し、実質的にノンフォーマル小学校の数を増やすとともに、彼らの活動を通して社会的な信頼とより大きなインパクトを引き出すという戦略だった。

実際にシンド州では、政府の担当部局だけでなく他の行政機関、大学、NGOなど多彩な団体が参加した具体的な活動が進む成果が上がっている。カリキュラム、教材、教師育成、アセスメントなどコンテンツ充実についてはJICAが主導的な役割を果たし、国連 児童基金(UNICEF)と米国際開発局(USAID) が主に資金的な協力をするという形だ。

ノンフォーマル教育が、教育形態としてパキスタン国内で確実に認められつつある事実も注目すべきだろう。この数年でシンド州、バロチスタン州では、ノンフォーマル教育を通した不就学児対策が義務教育政策の中できちんと位置付けられるようになっている。ノンフォーマル教育学習者の卒業認定を学校教育の認定官が実施するようになった。さらにノンフォーマル教育の教員の研修が学校教育の研修センターの実施計画の中に入るなど、継続的に学びの機会を保障する機会が出来上がりつつある。

目覚ましい学習意欲向上

では、ノンフォーマル教育を受けた子どもたちはどうか。大橋さんは学習効果を図るために連邦政府のイスラマバード教育局の協力を得て実施したテストの結果を紹介している。ノンフォーマル小学校の2、3年と同等レベルの教育を受けた子どもと、イスラマバード市内の小学校3年生に同じテスト受けてもらった。読解力はほぼ同じ、書く力と算数はノンフォーマル教育を受けた子どもたちの方が上回るという結果となった。ノンフォーマル教育を受けた子どもたちの方が、リラックスして試験を受けているという試験官たちを驚かせるような違いも見られた。

パンジャブ州のノンフォーマル小学校で学ぶ子供たち(大橋知穂さん提供)

バロチスタン州に住むハザラと呼ばれるモンゴロイド系の少数民族がいる。アフガニスタンの内戦と迫害から逃れパキスタンに移住してきた人々だ。この人たちにも、ノンフォーマル教育の恩恵は及んでいる。州都クエッタ市の公立小学校で、6カ月の期限でNGOが開いた識字教室に20代から50代のハザラの女性60人が集まった。6カ月後、学習意欲を高めた女性たちは村の長老に「勉強を続けたい」と訴え、長老や校長らが思いを受け入れた。小学校の先生たちが午後に識字教室で教えるために必要な給料は、コミュニティの人々の寄付から払われている。

大橋さんがこの小学校を訪ねたのは、女性たちが学び始めて1年たったころ。「中学校の卒業資格をとるまで、学ぶ機会を奪わないで」。女性たちの必死の訴えに心を動かされた大橋さんがバロチスタン州社会福祉局の識字担当部にかけあった結果、小学校卒業資格が取れるカリキュラム短期習得教育の教科書と教師の給料を州政府から提供してもらえることになった。コースを完了して試験に受かれば小学校卒業資格を授与することを州学校教育局も約束してくれたという。

バロチスタン州の識字教室で学ぶハザラ民族の女性たち(2019年、大橋知穂さん提供)

「オルタナティブ教育推進プロジェクト フェーズ2」のチーフアドバイザーとして再びパキスタンに向かう前の大橋さんに、尋ねた。

―フェーズ2で特に力を入れたいことは?

「元来学校に行っていない子どもや、成人の非識字者の多いパキスタンでは、コロナ禍を経て、不就学児童の数は増えています。学齢期を過ぎてしまった若者、大人の教育にも力を入れていこうと思っています。初等教育(小学校)レベルの卒業をした後に、中学校の卒業資格がないだけで仕事に就けない、あるいは職業訓練学校への入学資格が取れないというようなこともあるので、就労に有利となる知識や経験を得たり、保健衛生・栄養などの生活に役立つライフスキル教育も学べるような教育内容とそれを政府が承認していくような仕組みをつくるつもりです」

―パキスタンの子供たちの学習意欲は日本の子どもたちより高いのではありませんか。

「確かに子どもたちにとって『学べる機会』は当たり前ではないので、学習意欲はとても高いです。学ぶ機会がなかった子どもたちがひとたび学ぶ機会を得ると、目に見えて様子が変わり意欲もさらに高まっていきます。枯れた大地に水がしみこんでいく感じです。学べたことで、できないことができたという喜びにもつながり、自信をつけて積極的にいろいろなことに取り組んでいくことになります。また、その喜びを素直に友だちや家族にシェアすることができるように思います。日本の子どもたちにとって勉強は年齢が上がるにつれ競争になっているけれど、パキスタンの貧しい家庭の子どもや若者たちにとって勉強は同じ状況にある仲間たちとともに学び、ともに成長していく喜びを共有できるものなのかもしれません」