【調査報告書】『オーストラリア・中国・インドにおける新興技術「合成生物学」の進展と課題』

2023年4月26日 JSTアジア・太平洋総合研究センター

科学技術振興機構(JST)アジア・太平洋総合研究センターでは、調査報告書『オーストラリア・中国・インドにおける新興技術「合成生物学」の進展と課題』を公開しました。
以下よりダウンロードいただけますので、ご覧ください。
https://spap.jst.go.jp/investigation/report_2022.html#rr05

エグゼクティブ・サマリー

合成生物学は、バイオセーフティなどのリスクを孕みながらも、経済成長と社会課題を解決する重要・新興技術としてわが国および人類にとっても極めて有益な技術であることは自明である。そのため、オーストラリアやインドに加えて本分野で世界のトップを走ると言われているアメリカや大規模研究開発投資を進める中国を含めたアジア・太平洋地域における我が国のポジショニングが極めて重要である。

本調査では、アジア・太平洋地域で科学技術力が高く合成生物学分野における将来性が期待できるオーストラリア、インドおよび中国を軸としてアメリカの基礎データとも比較しつつ、わが国への科学技術イノベーションの観点からの影響について分析を行い、そして合成生物学に関わる施策に関してわが国が取るべき方向、これらの諸国との協力の可能性についてまとめた。

各国の政策とファンディングの特徴:

オーストラリアにおける合成生物学は、2000年代後半のiGEM 参加といった個人・研究室・プロジェクト単位から、2015年12月の「国家イノベーション・科学アジェンダ(NISA)」1の発表のとおり大規模なネットワークによる取り組みへと成長を遂げている。同アジェンダを踏まえ、国内の既存の研究インフラネットワークを活用・強化することで、知識共有や教育ハブの形成が活発化している。2021年8月には、CSIRO が「国家合成生物学ロードマップ」を公表し、2040年までに年間最大270億豪ドル(約2兆5,380億円)の収益と4万4,000人の新規雇用を生み出す市場に成長する可能性があると予測している。また、同年11月には内務省が「クリティカルテクノロジー・サプライチェーン原則(Critical Technology Supply Chain Principles)」を発表し、サプライチェーンの安全保障を目的に戦略的に重要な新興技術として合成生物学を特定している。加えて、同年12月には、政府の重要技術政策コーディネーションオフィス(CTPCO) が、重要技術を保護し促進するための戦略として、「重要技術ブループリント(Blueprint for Critical Technologies)」と「行動計画(Action Plan)」を公表し、10年以内に重要性が高まると予測された合成生物学を含めた9つの技術領域を指定している2。これに関連して2022年7月には、オーストラリア国防科学技術研究サミット(ADSTAR)を開催し、アメリカやイギリスの政府担当者などがバイオテクノロジーのリスクに関する議論を行った。このようにオーストラリアでは、近年、基礎研究から産業展開、そして国防・安全保障の観点から重要分野として捉えて総合的に合成生物学を推進している。

中国は、2008年の香山科学会議をマイルストーンとし、合成生物学を含めたバイオテクノロジー研究が医療や農業、環境修復、天然資源利用といった分野での課題を解決し、国の経済社会発展をもたらすとの期待から、産学官あげての研究開発への投資、合成生物学の名を冠したジャーナル創設、他国からの人材の誘致、ハイレベル人材の育成に取り組んでいる。近年の政策では、2021年発表の「国民経済及び社会発展第14 次五カ年計画及び2035年遠景目標綱要」においても、「破壊的」「戦略的ニーズ」「フロンティアテクノロジー」「キーテクノロジー」などのキーワードと共に合成生物学の技術について触れ、世界的リーダーとなるべく中長期的な開発の必要性が述べられている。ファンディングとしては、科学技術部(MOST)の国家重点研究計画(国家重点研发计划)における「合成生物学」や化石燃料依存の脱却を目指す「グリーンバイオ製造(绿色生物制造)」といったプログラムや中国国家自然科学基金(NSFC)における重大研究計画プログラムなどにおいて、微生物利用から in silico での代謝ネットワーク構築など、他面的な研究への支援がなされている。

インドは、合成生物学にフォーカスした明示的な政策や基礎研究寄りのファンディングは多くないものの、2021年に発表された「国家バイオテクノロジー発展戦略2021-2025(NDBS2021-2025)」では、対象期間において「知識とイノベーションが主導するバイオエコノミー」に貢献するという野心的な目標の中で合成生物学分野の人材育成などに触れている。また、2022年8月に科学技術省は、「アムリット・グランド・チャレンジ(AMRIT GRAND CHALLENGE)」という学際的で質の高いハイリスク研究開発を支援することとして、バイオテクノロジー庁(DBT)とバイオテクノロジー産業研究支援協議会(BIRAC)が主導する新規プログラムを発表した。本プログラムの対象分野には、健康、農業バイオ、気候変動などとならび合成生物学が含まれている。加えて、DBT が進める国立バイオテクノロジーパーク・スキームでは、中央政府と州政府が、バイオテクノロジーパーク、インキュベーターおよび官民の協力によるパイロットプロジェクトを設立することにより、国内のバイオテクノロジー研究を活性化させるために取り組んでいる。

各国の研究開発動向:

オーストラリアは、海外との共同研究はもとより、拠点化による国内の大学・研究機関の協力が活発である。CSIRO は、2018年9月に、製造業、産業バイオテクノロジー、環境修復、農業、ヘルスケア産業のイノベーションを支援し商業化の機会を創出するためSynBio FSP を設立し、環境と生物制御、化学物質と繊維、共生生物とオルガネラの3プログラムに注力している。また、マッコーリ大学が代表者となるオーストラリア研究会議(ARC)の合成生物学COE(CoESB)では、ワイン酵母を対象に含めた微生物の設計に対する新しいアプローチを開拓し、カスタム設計された微生物群の開発や新規の合成酵素の開発を目指している。クイーンズランド大学オーストラリア生物工学ナノテクノロジー研究所 (AIBN) では、バイオエコノミー研究として、2021年末にIDEA Bio(Integrated Design Environment for Advanced Biomanufacturing) という菌株の発酵特性評価、マルチオミクス特性評価、および細胞設計といったプロジェクトデザインを目的とした新たな統合設計環境施設を開設するとしている。

中国は、北京、上海、およびグレーターベイエリア(粤港澳大湾区)への集中投資が顕著であり、特長ある機関が数多くある中で、中国科学院(人材を提供)、深圳市政府(土地、施設を提供)、香港中文大学(提案者)の3者共同で設立された中国科学院深圳先端技術研究所(SIAT)合成生物学研究所や中国科学院天津工業生物技術研究所(TIB)・天津大学バイオファウンドリーの動きが活発である。SIAT は、産学連携を積極的に行い、BGI、HUAWEI、Tencent など多くの企業との協力関係にある。SIAT に限ったことではないものの人材誘致にも積極的で、例えば2017年には酵母を用いたマラリア特効薬(アルテミシニン)生合成に成功したカリフォルニア大学バークレー校のジェイ・キースリング教授(Prof. Jay D. Keasling)がSIAT の客員教授として漢方薬資源の合成から商業化の促進を目指した冠ラボを開設している。また、2012年設立のTIB・天津大学は、2019年11月8日、天津空港経済区における「国家合成生物学イノベーションセンター(國家合成生物技術創新中心)」の建設を科学技術部に承認され、同年国際バイオファウンドリー連盟(Global BioFoundry Alliance, GBA)に中国科学院深圳先端技術研究所(SIAT)深圳合成生物学研究所と参画し、中国の合成生物学研究をリードしている。TIB の近年の顕著な研究成果としては、2021年9月24日のScience 誌に掲載された中国科学院大連化学物理研究所との共同研究による人工デンプン同化経路の設計、無機触媒を用いた二酸化炭素のメタノール還元、酵素を用いて六炭糖に変換するといった二酸化炭素からデンプンへの人工合成の世界初の実現があげられ、2021年度の「中国・国際科学技術ニューストップ10(科技日報主催)」に選出されている。

インドは、2009年設立のBIRAC の旗艦センターの1つである細胞分子プラットフォームセンター(C-CAMP) が主要な研究開発支援機関である。バイオスタートアップ用の国立インキュベーターとして、インドのシリコンバレーと言われ、イノベーションの中心地とも言われるカルナカータ州バンガロールに設置されており、高分解能3次元X 線顕微鏡、質量分析機や電子顕微鏡、組換えモデル生物など、創薬支援研究やバイオテクノロジー研究に必要な基盤設備が整備されている。C-CAMP は、国立生物科学センター(NCBS)、inStem、タタ遺伝学研究所(TIGS) と共にバンガロールライフサイエンスクラスター(BLiSC) の一つとして、330以上のスタートアップへの資金提供により存在感を発揮している。最たる成功事例は、グラム陰性/陽性の薬剤耐性菌(Anti-microbial Resistance, AMR)にも作用可能な新規抗生物質の開発を行う2014年設立のBugworks 社である。また、IT 大国と言われるインドの特長を生かすバイオインフォマティクスをベースとしたStrand Life Sciences 社も、精密医療化の世界的な流れに乗ったグローバルな成功企業の一つとしてあげられる。基礎研究での国際連携は他国に比して乏しいものの、産業分野におけるグローバル展開は活発である。

日本への示唆:

合成生物学は、健康・医療産業、食品産業、環境・エネルギー産業、化学産業などと、応用範囲が極めて多岐にわたり、各国共に経済成長を牽引すると期待している分野である。基礎から応用研究段階においては、アメリカと中国が他国を大きくリードしている状況であるものの、日豪合成生物学ワークショップ(2022年3月16日開催)で研究者からあげられたような、細胞まるごとシミュレーション、代謝モデリング - 逆合成パスウェイ探索(データベースとアルゴリズム/モデリング)、バイオ水素エネルギー製造、バイオ部品(バイオブリック等)とそのデザイン研究やバイオファウンダリー基盤技術(バイオものづくり)など、アカデミアが取り組む研究課題はまだまだ多い。

中国やインドのように研究分野での国際連携が乏しい国があるものの、本調査での論文解析では「コドン最適化」「DNA データストレージ」「ジーンドライブ」「バイオプロスペクティング」といった分野は「論文件数」の指標で日本の優位性が乏しく、このような分野で日本は各国と協働するアプローチが考えられる。

グローバル競争が顕著であり、人工カスタム細胞、バイオ3D プリンター、分子ロボティクスやDNA データストレージといった新規技術の登場になぞらえられる通り、技術進歩のスピードが速い本分野においては、日本も研究プラットフォームの重点化やトップレベルの海外機関との共同研究を活発化、およびアカデミアと産業の連携加速が期待される。

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