2023年7月10日 聞き手 科学技術振興機構(JST)参事役(国際戦略担当) 樋口 義広
国際頭脳循環の強化は、活力ある研究開発のための必須条件である。日本としても、グローバルな「知」の交流促進を図り、研究・イノベーション力を強化する必要があるが、そのためには、研究環境の国際化を進めるとともに、国際人材交流を推進し、国際的な頭脳循環のネットワークに日本がしっかり組み込まれていくことが重要である。
本特集では、関係者へのインタビューを通じて、卓越した研究成果を創出するための国際頭脳循環の促進に向けた日本の研究現場における取り組みの現状と課題を紹介するとともに、グローバル研究者を惹きつけるための鍵となる日本の研究環境の魅力等を発信していく。今回のインタビューでは、沖縄科学技術大学院大学(OIST)特別顧問(前学長兼理事長)のピーター・グルース博士に話を伺った。
今年も日本に春が訪れ、世界的に有名な桜が全国で咲き誇る。桜は、新たな出発のシンボルとして知られ、毎年多くの観光客を惹きつける。桜の開花は、日本の学校や大学で学び、企業で働く社会人が、それぞれの組織内外で移動する時期と重なる。
このような日本における人の流れに目を向けると、グローバル研究者の比率が高く、ユニークな組織構造を持つ沖縄科学技術大学院大学(OIST)が目を引く。その魅力的な立地と国際的な考え方により、2011年の設立以来、大きな成果を上げている。
先般、OIST学長兼理事長を退任し、引き続き同校の特別顧問(イノベーション担当)を務めているピーター・グルース博士に、キャンパス内の日当たりの良いオフィスで、学長時代のこと、研究の場としての日本、そして「国際頭脳循環」と称される日本における国際人材の流動性について話を聞いた。
インタビューを受けるOIST特別顧問(前学長兼理事長)のピーター・グルース博士(左)と聞き手の樋口義広・JST参事役(国際戦略担当)
ドイツのマックス・プランク学術振興協会の会長時代に日本には何度も来たが、沖縄はOIST学長への採用面接で来たのが最初だった。
最初に申し上げたいことは、科学は元来、国際的なものだと理解すべきということである。そもそも「ナショナル・サイエンス」などというものはなく、ベンチマークは国際的なものである。私は、OISTに来て、国際的に競争力のあるサイエンスを促進できると思った。
世界で最も成功した基礎科学志向の研究機関の一つであるドイツのマックス・プランク協会では、私が理事長を務めた期間にも多くのノーベル賞受賞者を輩出した。OISTの理念は、同協会の理念と密接に通じていると思った。いずれも非常に国際的で、私が「ハイトラスト・ファンディング(high-trust funding)」と呼ぶ資金を使って研究が行われている*(注)。
沖縄は日本の中で他とは異なる歴史を有する特殊な地域である。小泉政権下で2つの大臣ポスト(沖縄・北方対策担当大臣、科学技術政策担当大臣)を兼任した尾身幸次氏がOISTの政治的な創設者である。当時、尾身氏は、文部大臣と科学技術庁長官を兼任していた東京大学名誉教授の有馬朗人氏と、日本の新しい大学のあり方について議論したが、既存の大学制度の改革は容易でないことから、全く新しい大学の創設が提案されることになった。
シーサーを象ったOISTのロゴマークは地元でよく知られている
OISTのような大学・研究機関にとって、資金調達は非常に重要であり、投資資金の活用に当たっての我々の原則ははっきりしている。我々は、世界で最も優秀な科学者を雇いたいと思っている。世界中の人々は国際的な受賞の観点から成功を評価することが多い。OISTの教授(兼任)を務めるスバンテ・ペーボ博士が昨年ノーベル賞を受賞した時には、たった1日の間にあれだけたくさんのプレスに報道されたのを見たのは初めてだった。好むと好まざるとにかかわらず、研究機関が投入した資金の使途は、このような国際的な受賞等を通じて世の中から評価されるのである。
先にも述べたように、OISTは、非常に国際的で、「ハイトラスト・ファンディング」と呼ばれる資金で運営されている。どの教授(研究者)にも5年分の自由度の高い研究資金が与えられ、5年目には、5人の国際的レビューアーによって各研究者のパフォーマンス評価が行われる。評価結果に応じて、資金の維持、増額や減額等が決まる。OISTでは、研究者に自らの関心を追求する高い自由度を与える「ハイトラスト・ファンディング」を提供していることが第1に重要な要素である。
加えて、研究者には国際レベルで競争力のある給与も与えられるが、給与の方はあくまでも2番目に重要な要素である。
3つ目の要素は言語である。英語は科学の世界の共通語だ。OISTでは、事務局を含め英語が日常的に使われており、教員の構成も非常に国際的だ。OISTの教員の63%が外国人で、教職員全体で63の国・地域から1,090人が働いている。(インタビュー当時)
研究論文の約64%は日本国外の研究者との共著である。我々は非常に強力な国際ネットワークを持っており、さまざまな国々の同僚と協力している。
日本にとっての根本的な問いは、研究システムを「素早い追従者(fast followers)」、つまり、誰かが何かを試みるのを待って、それを真似するようなものにしたいのか、ということだ。このような考え方は、「なぜ科学をやるのか」という別の疑問が生じるので意味がない。構造面でも資金面でも、学術システムの改革が必要ではないかと思っている。
若手研究者には独立性を与えるべきであり、この点でOISTの研究者は完全に独立している。これは日本における重要な問題だ。助教授は、教授を助けるのではなく、自分自身の仕事をしなければならない。過去のノーベル賞受賞者の業績を見ると、38歳前後でのアイデアからノーベル賞につながる研究成果が生まれている。この事実は、日本へ検討材料を与えるものだ。日本政府が新たに創設する「10兆円規模の大学ファンド(基金)」は、変革のための良い一歩になるだろう。
私の出身国であるドイツは、日本と同じく知識と人を大切にする国であり、科学に対して大きな支援を行っている。私はかつてシーメンス株式会社の科学技術委員会の委員長を務めていたが、その時に「研究開発に資金を投じている大企業はたくさんある。」という話をよく聞いた。これは重要なポイントだが、問題はその資金をどこに使うかということだ。大企業は、自分たちの関心分野に資金を投じるが、一社からの資金や、業界大手のベンチャーキャピタルからの資金では、新しい分野での画期的なイノベーションは望めない。
スタートアップの道筋をつくり、多くのベンチャーキャピタルを生み出し、それがスタートアップを行う起業家を引きつけなければ、この状況は変わらない。大企業は漸進的なイノベーションを生むことはできるだろうが、全く新しいものとなる画期的なイノベーションのほとんどは起業家から生まれる。
学長在任中から、インキュベーターのための新しい建物を作ることに尽力した。スタートアップを目指すなら、ビジネスの種となる知的財産(IP)が必要だが、これは大学が提供しなければならない。この点はしばしば見落とされている。なぜこのことが重要かは明白だ。OISTは約50億円規模のベンチャーキャピタル誘致に成功したが、これは40社から60社のスタートアップ支援に相当する。この資金で、沖縄に起業家を呼び寄せ、OISTはそのためのスペースを提供する。新しい建物の建設はOISTに来る起業家を受け入れるためである。
OIST発のスタートアップを振興するインキュベーター
(写真提供:OIST)
学長の立場を離れてからも、どうすればOISTや沖縄に貢献し続けることができるのか、自問した。この点は、OISTの3本柱の3つ目、すなわちイノベーションと密接に関連している。先に述べたように、第1の柱である研究について、我々は大きな成果を上げている。2つ目は教育で、我々は世界中から優秀な学生を獲得している。3つ目がイノベーションだが、これは沖縄の発展に貢献するための重要な方法だ。
研究への投資効果は、新型コロナウイルス感染症のような将来の未知なる課題に対する社会の備えや、経済成長に具体的な影響を与えるものでなければ、大きなものにはならない。私が現在取り組んでいるのはまさにこのことである。知的拠点となるOISTと連携しながら、起業家を沖縄に招き、スタートアップを誘致するという、非常に複雑な役割を引き受けることにした。
この事業によって、スタートアップが新たな高報酬の雇用を創出し、向こう5-10年に亘って展開する投資のリターンが沖縄にもたらされることを期待している。OISTは、知的センターとして、またビジネス化の推進役として、沖縄にとって無くてはならない存在だ。このことは沖縄におけるイノベーション関連活動のほとんどに当てはまり、まさに私が推進したいと考えていることの1つである。
世界の起業家を沖縄に呼び込むため、沖縄県から融資も受けて、すでに「OIST Innovation(イノベーション)アクセラレータープログラム」を実施している。国内だけでなく広く海外から応募してもらうことを目標に広報している。選考プロセスは、科学者ではなく、ビジネスパーソンによって行われる。
ここに非常に成功したOIST発のスタートアップ事例がある。インド出身の若い起業家が作ったEFポリマーという会社は、日本の環境省の環境スタートアップ大賞をはじめ、多くの賞を受賞している。この会社には、ユニークで優れた業績がある。同社の技術は、有機廃棄物をゲル状のポリマーに変換するものである。この物質を土に敷くと保水性を持つので、乾燥した国で植物を育てるのに最適である。この会社は驚くほどのスピードで成長し、現在も好調を維持している。資金と場所、知的な環境を提供すれば、他にも海外から人が集めることができるだろう。このことは私が科学について述べた話と同じで、起業家についても言えることである。
OISTは特定の地域を指向しているわけではないが、現在の学生の約半数はアジア・太平洋地域からの留学生で、かなりの割合を占めている。
日本はもっとオープンで、もっと国際的になる努力をすべきだと思う。ドイツでも日本と同じく言語の問題があるものの、最近は誰もドイツ語を学ばず、ドイツの多くの大学では、学部以降は英語で授業を行っているのが一般的である。橋を架ければ外から人を呼び込むことができるし、若いうちに来れば、日本語を学んで日本での就職につなげることもできるだろう。しかし、架け橋がなければ、日本に移住してきて日本語を学ぶ人の数は少ないだろう。現実には英語が共通語であり、誰もが英語を学ばなければならない。英語を学ばなければ、科学の世界で働くことはできない。
促進策をもっと強化すれば、アジア・太平洋地域の優秀な人材がもっと日本にやってくるはずである。この地域のほとんどの国は、まだ科学研究費の助成制度が充実していないからだ。しかし、言語の問題は無視できないだろう。言語について何らかのサポートを提供しなければならない。国際人材が日本のシステムに参入し、そこで生きていけるようにしなければならない。
聞き手、樋口義広・JST参事役(国際戦略担当)
インタビューは2023年3月20日、OIST=沖縄恩納村=にて実施。
OISTは、その国際性と資金調達の仕組みによって、日本の研究機関の中でもユニークな存在となっている。国際研究者の割合が高く、世界をリードする成果を上げていることは、「国際頭脳循環」のメリットを示す好例であり、他の研究機関が将来を見据えて続くべき素晴らしいモデルを提供している。
研究とイノベーションに対する情熱と、OISTでの前向きな成果への希求が、グルース博士の成功の原動力である。今回の対談で、博士は、日本の現行制度に対する率直な意見と、より良い変化をもたらすための提案を躊躇なく開陳した。OISTやより広い沖縄のコミュニティでのイノベーション創出のための彼の成功について、今後さらに話を聞けることを期待したい。
OISTは、沖縄の県庁所在地・那覇市から約50kmの恩納村に位置し、国際的で世界レベルの研究を行うための魅力的な条件を備えている
ピーター・グルース(Peter Gruss):
研究者としての優れたキャリアを経て、2002年から2014年までドイツ・マックスプランク学術振興協会会長。その後、2017年から2022年までOIST学長兼理事長を務めた。今年初めにOIST特別顧問(イノベーション担当)に就任。
<沖縄科学技術大学院大学(OIST)の概要>
沖縄科学技術大学院大学(OIST)は、世界をリードする研究を行い、次世代の科学リーダーを育成し、沖縄のイノベーションと持続可能な経済成長を促進することを目的とした大学院大学である。2011年の設立以来、国際的な科学コミュニティで高い評価を得ている。規模を補正した国際比較で、OISTは、高品質でインパクトのある科学研究成果について世界のトップ10に入る研究機関となっている。
*(注)ハイトラスト・ファンディング(high trust funding)
世界をリードする研究を実現するために、OISTは、日本や世界中から最も優秀な教員、研究者、スタッフ、学生を採用している。科学的自由を提供することで、トップクラスの科学者を惹きつけることができる。トップクラスの科学者に投資し、彼らが自らの好奇心に沿って研究を行うことで、ブレークスルーが起こる。若手からシニアまで、OISTの各教員は独立した研究ユニットを率い、独自の予算を持ち、自らの研究プログラムに責任を持つ。各ユニットには、大胆で斬新な方向性を追求するためのハイトラスト・ファンディングが提供され、5年ごとに厳格な外部審査を受け、投資が科学的最高水準の成果に結びついているかが確認される。
OISTホームページ: https://www.oist.jp/