時間との闘いの中、研究者らは世界の差し迫った炭素問題を解決するためにスーパーコンピューター「富岳」の計算能力を活用している。(2023年8月7日公開)
富岳が2020年に登場したとき、日本のSociety 5.0(デジタル技術の力により社会問題を解決し、経済を発展させることができる国の未来像)の中核として歓迎をもって迎えられた。何といっても、富岳は当時、世界最速のスーパーコンピューターであり、登場から2022年6月まで年2回発表されるTOP500リストでトップを保っていた。
理化学研究所計算科学研究センター所長で、富岳の支援チームの一員である松岡聡氏は、Supercomputing Asia誌のインタビューで「富岳の主な使命は、関連する分野で持続可能性という目標を達成することです」と語った。
442 ペタフロップス の計算能力を有する日本最速のスーパーコンピューターは、実用第一という考えに基づき理化学研究所の研究者たちにより開発された。つまり、富岳はそれ自体の優れた計算能力を達成するためではなく、現代における最大の危機を解決するために構築されたのである。「このような危機の多くはカーボンニュートラルに関係しています」と松岡氏は指摘する。
脱炭素化は単なる流行語ではなく、世界有数の炭素排出国である日本の研究者にとって重要な目標となっている。日本は炭素排出量を2030 年までに、2013年の基準と比較して46% 削減することを目指している。この目的達成において、日本は最新世代の高性能コンピューティング (HPC) ハードウェア、ソフトウェア、人材を活用しており、アジア諸国のトップに位置している。
本コラムを読む30分ほどの間にも、化石燃料の燃焼の結果として、世界中で約190万トンの二酸化炭素 (CO2) が排出されることになる。毎年排出されるCO2やCO2に相当する温室効果ガス 500 億トンのうち、73.2%がエネルギー部門、18.4%が農業部門、5.2%が工業部門から発生している。残りの3.2%は埋め立て地と廃水から発生している。
もちろん、地球は独自の方法でバランスを保っている。海草藻場は1平方キロメートルあたり最大83,000トンの炭素を、森林は 1 平方キロメートルあたり約30,000トンの炭素を貯留する。
それでも、排出量の約40%は大気中に放出され、30%は海水に吸収されるため、海洋酸性化を引き起こすと考えられている。そして、炭素排出量が増加し続け、森林消失は急速な都市化、山火事、鉱業、持続不可能な農業、海面上昇につながるため、脱炭素化イノベーションはますます重要になってきている。
世界の炭素問題への取り組みには、1枚のコインの裏表のように、2つのことが伴う。1 つ目は、温室効果ガス排出量の削減であり、 再生可能エネルギー源の使用から農業における炭素排出の制御まで対象となる。これには、さまざまな分野全体でエネルギー効率を向上させることも意味する。2 つ目は、排出を直接捕捉するか、森林や海草藻場による自然な炭素貯留を強化することによって、大気からの炭素の吸収を改善する方法を見つけることである。
無理難題ではあっても、理化学研究所や世界中の科学者たちが HPC の力を使って取り組んでいる。
富岳の脱炭素化研究目標の主なものは、再生可能エネルギーの確実な流れを開発することである。松岡氏は、カーボンニュートラルに対する日本の最大の期待は風力と太陽エネルギーにかかっていると説明した。
そのため、日本は2030年までに10ギガワットの洋上風力発電を可能とすることを目指している。これを可能にするために、日本は高さ200メートルものプロペラを備えた巨大な洋上風力発電所に投資してきた。
「それぞれのブレードは超高層ビルのようです」と松岡氏は語った。「風力発電所は非常に大きいため、ブレードは雲の上にあり、実際に天候に影響を与える可能性があります。 そのため、設計が非常に難しいのです」。このような洋上風力発電所を動かすためには、科学者は風力エネルギーを電気に変換するという物理学以上のことを考えなけれなならない。 科学者は富岳の計算能力を利用して、異常気象条件、ブレードの材質、全体的な設計に基づいたシミュレーションを行っている。
松岡氏は、日本の材料科学チームは太陽エネルギーについて、現地で安全性と効率性が高い太陽電池を作る方法を研究しているが、その過程で使用可能な多くの物質を調査する必要があると述べた。その数は約2,000万である。松岡氏は 「その数は(物理的な)実験を行うにはあまりにも膨大です」と指摘した。
これらすべての考えられる物質に対して富岳と太陽エネルギー研究用に設計された人工知能(AI)システムを使用すれば、数十億回のシミュレーションを実行し、物質の選択を効率的に行うことができる。松岡教授は 「私たちのチームが発見した物質の 1 つは、最大ほぼ 25% のエネルギー変換率を持っています。これは非常に有望です」と語った。松岡氏は、ここから、これらの太陽電池シミュレーションを現実のものに変換し、さらに研究を進めるという次の段階に進むと述べた。
松岡氏は、エネルギー生成の他に富岳で実施されているもう1つの重要な研究分野は、食料と農業であることも教えてくれた。教授は、食料生産では大量の炭素が発生し、この分野で最も温室効果ガスを排出するのは牛であることを指摘した。今日の日本の科学者たちはメタン発生量の少ない牛の品種の開発に努めている。それと同時に他の科学者たちは効率的に多くの食料を生産する方法を研究している。
「これらのチームが使用しているテクノロジーは、医療など生物学の他の分野のために私たちがすでに開発したテクノロジーと非常に似ています。これは興味深いことです」と松岡氏は語る。「創薬を加速するために私たちが構築したインフラの一部は、食料生産に応用できます。なぜならその根底にはさまざまなゲノム技術やプロテオミクス技術が使用されているからです」
海上輸送も日本の科学者らが研究している分野の1つである。今日の世界貿易は船舶が支えている。だが、船舶は世界のエネルギー全体の中のかなりの量を消費している。このため、理研の科学者たちは効率性のよい船舶を作る方法を研究している。
松岡氏は、船舶の設計は常に大きな課題だったと教えてくれる。従来の方法では、海事に関する設計の開発には縮尺モデルが欠かせない。船舶の小さなプロトタイプを試験するために巨大なプールが建設され、中には長さ数百メートルに達するプールもある。
「私たちは初めて、海事設計プロセスにおいて科学者たちを支援することができたため、このような巨大なプールを必要としなくなりました」と松岡氏は語る。
東京大学の科学者らは富岳を使い始め、水の粘性、貨物船の設計、貨物船を推進させるスクリューなど、何千もの移動要素を考慮したプールシミュレーションを行った。その結果、船舶のエネルギー効率を10%から15% 向上させることができた。松岡氏は、これは、世界に大きな影響を与えることができるだろうと語った。
松岡氏は「電力から食品や素材まで、その他さまざまな産業で、富岳が貢献できる分野はたくさんあります」と話す。「私たちは富岳からどれほどの可能性を引き出すことができたのかについて、累積的評価はまだ行っていません。おそらくそれは、私たちが協力して行うべきことなのかもしれません。そうすれば、日本全土の二酸化炭素排出量を大幅に削減し続けることができるようになるでしょう」
炭素排出量を削減した後、世界的な脱炭素化の取り組みの中でもう一つ行うことがある。それはすでに環境中に存在する炭素を回収することであり、炭素隔離と呼ばれる。
CO2を地下に閉じ込める方法について、世界中の科学者が研究を始めている。富岳その他のスーパーコンピュータもその研究を支えている。この炭素隔離をうまく実施させるためには、科学者たちはHPCで数百万のシナリオをシミュレーションしてCO2を地下に注入する最適な手法(最適な場所や方法など)を知り、その後、CO2が流出するのを防ぐ方法を知る必要がある。
炭素隔離で他にやるべきことは、地球の自然システムを強化し、CO2濃度のバランスをとることである。理研環境資源科学研究センターの研究者たちは、植物をエネルギー生産と大気中からのCO2吸収の両方に利用しようと試みているが、それに富岳を使用しようとしている。
この取り組みと並行して、世界の他の場所でも研究が行われている。イリノイ大学が稼働させているペタスケールのスーパーコンピュータであるブルー・ウォーターズは、非森林樹木の地図作成作業の改善のために使用されてきた。非森林樹木は重要な炭素吸収源として働くが、森林樹木ほど研究されていない。一方、オーストラリアのポージー・スーパーコンピューティング・センターは、CO2そのものを燃料に変える方法を研究している。
松岡氏にとって、ネットゼロに向けての競争は各国間の競争ではなく、人類が協力して時間と戦う競争である。このため、理研センターは富岳の実用第一主義の一環として、アジア全土で展開されることになる気候変動・脱炭素化プロジェクトに富岳の使用を振り分けている。
例えば、インドネシア向けの微細藻類を使う炭素回収・利用プロジェクトがある。これは日本政府の持続可能な開発のための科学技術研究パートナーシップ・プログラムに基づくものであり、近いうちに富岳が使用されることになっている。東京工業大学のムハマド・アジズ (Muhammad Aziz) 博士が率いるこのプロジェクトは、微細藻類を利用してCO2を回収し、持続可能な資源として利用することを目的としている。アジズ博士はSupercomputing Asia誌に対し、「科学的貢献に加えて、この研究は発電所から出るCO2と窒素酸化物の削減にも役立つことが期待されています」と語った。
理研チームは、HPC リソースへのアクセスを提供するだけでなく、HPC を利用した研究の実施に関心のある人々に対し、スキルの程度やプロジェクトの複雑さに応じた研修と教育も提供する。松岡氏はこのプロセスを、初心者とベテランが「山を登っていく」プロセスだと表現した。富岳という名前は富士山の別名である。富士山は日本最高峰だが、松岡氏によれば登りやすい山だという。
このようにして、富岳を支えるチームは、初心者から完全な熟練者まで、世界最大の危機に対処したいと考えているすべての研究者にHPC リソースを提供している。
「つまり、誰が炭素問題を解決するかは重要なことではないのです。重要なのは問題を解決することなのです」と松岡氏は話している。