海洋熱波の増加により、水生生物の回復力が損なわれ、沿岸地域に長期的な影響を与えている。(2024年6月5日公開)
2023 年、インド、マレーシア、ネパール、日本などアジアの多くの国々が厳しい熱波に見舞われた。熱波により路面が溶け、空気の質が低下し、熱中症による死亡者が出た。しかし、熱波の影響は陸上に限定されず、海洋の生物多様性にも影響を及ぼした。
研究者たちは、何をもって正確な海洋熱波とするのかまだ模索中であるが、一般的には海面温度が異常に高い期間と理解されている。陸上熱波同様、海洋熱波は1年の特定の時期における特定の地域で正常と考えられる温度範囲を比較することによって定義される。海洋熱波の定義のうち、広く受け入れられているものの1つは、その地域の気温が過去 30 年間で最も暑い日の上位 10% の状態が 5 日以上続くとされている。海洋熱波は数日から数か月にわたって続き、海洋及び海洋によって成り立つ生態系に取り返しのつかない影響を与える可能性がある。
海洋生物学者のローハン・アーサー (Rohan Arthur) 氏はAsian Scientist Magazine誌のインタビューで、「海洋熱波が襲来すると、縄張りを持つ魚種の多くが死んだり、小型化して衰弱したりします」と語った。アーサー氏は、インドのマイソールに本部を置く非営利団体であるNature Conservation Foundationに勤務している。彼は 「その時、その魚種に依存している地元の漁業への影響が見え始めます」と付け加えた。
研究者たちは数十年にわたり、衛星などさまざまな方法を使用して海洋温度を追跡し、データを収集してきた。そのデータは、海洋の自然な気候変動ではなく、人が起こした気候変動が海洋熱波の主な原因であることを示している。熱波は、海洋の緩やかな温暖化の影響も悪化させる。
2023年8月、Scientific Reports誌に1982年から2021年までのベンガル湾の気温データを分析した研究が発表された。この研究は、2010年以前には年2~3回の海洋熱波があったものの、それ以来、ベンガル湾では毎年平均 5 回以上の熱波が発生していることを発見した。2021年には91日間という最も長く続いた熱波が発生した。
この研究の調査結果は、他の類似の研究により裏付けられている。2018年にNature Communications誌に発表された1925年から2016年までの海洋熱波を分析した研究は、世界中で海洋熱波の頻度は高まり、強度も増加していると報告している。国際自然保護連合は、海洋熱波はサイクロンや山火事だけでなく、洪水などの異常気象も引き起こすと警告している。
しかし、海洋熱波の明確な定義を作り出すことは、海洋の緩やかな温暖化という別の現象が同時に発生しているため、複雑なこととなっている。2023年にNature誌に発表された解説の中で、研究者たちは、誤解を避けるために明確な海洋熱波の定義を早めに作り出すことが重要だと述べた。
海洋学者たちは海洋熱波の基準について議論を続けているが、海洋熱波が海洋とそれに依存する人々の健康を害しているということについては議論の余地はない。
気候変動に関する政府間パネル2021年の報告書によると、インド洋は世界中の他の海洋よりも早く温暖化しているという。そのため、アジア諸国は将来、海洋熱波による重大なリスクにさらされることになる。何もしなければ、海洋熱波はアジアの海洋食物網と漁業に取り返しのつかない影響を与える可能性がある。
この被害を最小限に抑えるには、緊急の気候変動対策、特に化石燃料の排出量削減が必要となるだろう。たとえ気温上昇を産業革命前の気温を摂氏1.5度上回るだけに抑えたとしても、海洋熱波日は今世紀末までに16倍に増加すると推定されている。
海洋熱波は主に3つの形で発生する。「1つ目は大気からの放射線です」とインド熱帯気象研究所の海洋学者であるシカ・シン (Shikha Singh) 氏は述べる。 「2 つ目は水の水平方向の動きで、ある場所から温水を運び、別の場所に蓄積することができます。」
3つ目の要因は、海洋での垂直運動である。沸騰した鍋のように、熱は対流によって海の底から上昇する。「しかし、最初の 2 つの要因だけでも熱波を引き起こすのに十分強力です」とシン氏は付け加えた。2 番目の要因は、特に重要である。エルニーニョのような周期的な気象パターンにより特定の地域に暖かい水が移動してその量が増え、その地域の平均表面温度が上昇する。
エルニーニョの影響とその頻度は、気候変動によって増幅される。たとえば、日本では、2023年の夏から秋にかけてエルニーニョ現象により、陸上熱波と海洋熱波が発生した。海洋熱波は、特に海岸に近い水域の酸性度の増加や酸素の枯渇など、他のストレスも悪化させる。悪循環の中で、次に生物物質の生産と海洋の栄養循環能力に悪い影響を与える。
狭い温度範囲で生存する海洋生物や特定の地域に局在する海洋生物は、急激な温度上昇に耐えることができないため、海洋熱波の悪影響をさらに受けやすく、個体数の減少につながる。
同様に、海洋熱波は一部の魚種を涼しい水域へと移動させ、漁業地域の生計に影響を与えもする。2020年にLimnology and Oceanography誌 に発表された研究は、熱波によって海洋動物の配偶子の数が減少し、あるいは質が低下する可能性を示した。
魚類と同様、サンゴも悪影響を受けるが、サンゴの種類や場所によって、海洋熱波に対する回復力の程度は異なる。フィリピン大学ディリマン校海洋科学研究所のアレッタ・イニゲス (Aletta Yñiguez) 教授は「サンゴの白化は、異常に暖かい海水が長く継続すると起こります」と語る。
アーサー氏の意見はイニゲス教授と一致しており、「熱波がサンゴ系に直ちに影響を与えるとは考えられないでしょう。しかし、その影響は数年、数十年にわたって続くのです。」とつけ加えた。1999 年以来、アーサー氏は他の研究者と共に、アラビア海ラクシャディープ諸島におけるインド諸島のサンゴ礁生態系に見られる海洋温暖化の影響を記録し続けている。
一般に、気温が通常に戻ると、サンゴ礁は回復できるが、回復には10~15年かかる。 「しかし、熱波がそれよりも頻繁に来ると、サンゴ礁は回復する時間がなくなります」とアーサー氏は述べた。
海洋熱波は大陸棚として知られる海洋の浅い部分の海底にも影響を与え、藻場の破壊を引き起こす。ケルプと海藻は、海洋の炭素を大量に貯留していることが知られている。それらが破壊されれば二酸化炭素が大気中に放出され、大気の温暖化が悪化する。
ラクシャディープ諸島は、サンゴの破片によって形成された30いくつかの若い島からなる群島であり、海洋熱波により最も脅かされている沿岸地域の一つである。パラリ1島はこの諸島にある無人島の1つであったが、サンゴの白化と海岸侵食により2017年に消滅した。
この諸島の他の島々は現在、深刻な気候ストレスにさらされている。アーサー氏たちが2018年にCoral Reefs誌に発表した研究で、ラクシャディープ諸島では、1998年に51.6%であったサンゴ被度が2017年には11%に減少したことが示された。
サンゴの劣化と海岸侵食が続けば、他の島もパラリ1島と同じ運命をたどる可能性がある。 アーサー氏は「このことは、ラクシャディープ諸島がいつまで居住可能なのかという疑問を投げかけています」と力説した。
ラクシャディープ諸島の経済は漁業に大きく依存している。サンゴの健康状態が悪化すると、サンゴに生息する魚にも影響が生じ、ひいては商業的に重要な魚種にも影響を及ぼす。また、サンゴ礁域での漁獲高が急増するとサンゴの回復力に打撃を与え、将来的にこの地域の魚の個体数を減少させ、特に小規模な漁業者に影響を与える可能性が高いという悪循環を招いている。
気候モデルは海洋熱波の予測を的中させるようになっては来ているが、利用価値は地域での短期シミュレーションと管理に限られている。長期シミュレーションを行うには社会学的・生物学的な調整が必要となる。
海洋熱波及び様々な魚種が海洋熱波に対応する方法について十分理解できるようになれば、漁業の回復力は向上する。 たとえば、海洋熱波予測が改善されれば、漁獲制限や、養殖可能な代替種を調べる指針となり得る。海洋熱波に襲われている間でも商業的に有望な魚種があれば、漁業地域は熱波の間にその種を中心とした計画を立てられる。
イニゲス教授は、「海洋熱波が生態系に及ぼす社会経済的影響を軽減するために、沿岸地域では代わりに生計を立てるものや他の対応について話し合う必要があります」と述べた。