タリム盆地のミイラのゲノムを分析したところ、ミイラとなった人々は移住者ではなく、中国の新疆ウイグル自治区に住む地元の住民たちであることが分かった。
AsianScientist - 本記事は生き返ったミイラの話ではない。国際チームが中国の新疆ウイグル自治区のタリム盆地から見つけた人間の遺体の遺伝的起源を明らかにしたという話である。 Nature 誌に掲載されたこの調査結果は、タリム盆地の人々は西側からの移民であるという以前からあった考えを消し去り、集団がアジアの奥深くにルーツを持つことを明らかにした。
内陸アジアの中心にある新疆ウイグル自治区は東西の交差点であり、シルクロードに沿って交わる交易路の一部となっている。しかし、遺体の保存状態が悪いため、この地域の先史時代の研究はあまり行われていない。ただし、タリム盆地は例外である。約2,000〜4,000年前の青銅器時代にまでさかのぼる墓地には自然にミイラ化した数百人の人々が眠っている。
ミステリアスなタリムミイラは、西ユーラシアの羊毛で作られたカラフルな衣装を身に着け、西アジアの小麦と乳製品を食べ、中央アジアの薬用植物を使用していた。さらに、使用していた棺桶はボート型で牛の皮で覆われており、故人のために小石を敷き詰めた墓を掘り、あるいは火葬を行った他の内陸アジアの集団とは異なる、独特の埋葬習慣を持っていた。
タリム盆地の人々をロシア南部から移住した遊牧民の子孫とする説があった。その説では、イラン高原の住民と遺伝的につながり中央アジアでオアシス農業を行っていた人々、または新疆ウイグル自治区の西の国境にある内陸アジア山岳回廊 (IAMC) からやってきた農牧民の集団と考えられていた。現在、中国の吉林大学、韓国のソウル国立大学、ドイツのマックス・プランク人類史科学研究所の研究者たちが中心となって調査を行い、新しい遺伝子分析を行ったところ、謎であったミイラの遺伝子の起源が分かった。
最も早い時期のミイラとして知られている13体のミイラと後代の5体のミイラのDNA配列全体をマッピングしたところ、チームはタリムミイラがこの地域の新参者ではなく、地元の先住民であることを発見した。これらミイラの遺伝子データは、最後の氷河期の前に姿を消した古代北ユーラシア人とかなり近かった。彼らの遺伝子痕跡は現代の人々の中にほとんど残ってはいない。
タリムミイラはまた、非常に孤立した遺伝子プールを示した。つまり、他の集団と混合することは(仮にあったとしても)ほとんどなかったのである。IAMC集団との交流とされているものは遺伝子相互作用ではなく、文化経済交流という形としてのみ働いたと考えられ、それが新疆ウイグル自治区の文化的に国際性を持つミイラにつながった。
著者らは次のように述べている。
「ここに発表する古代ゲノムデータは、以前に考えられていたものとは大きく異なり、より複雑な集団の歴史を示すものです。タリムミイラのゲノムは完新世時代の人々を遺伝的にモデル化し、アジアの人々の歴史を再度構築する重要な基準点となります」