アジアのチェンジメーカー:ディープテックで科学者兼起業家らを支援  SGInnovate社のリム博士

2021年6月22日 AsianScientist

SGInnovate社のリム・ジュイ(Lim Jui)博士は、ディープテックを活用してシンガポール、そして世界における最大の問題に取り組もうとする新進の科学者兼起業家らを支援している。

AsianScientist ― 研究者が大学の廊下や施設に追いやられていた時代は遠い昔のものとなった。今日、研究室の壁を越え、変化の速い刺激に満ちた起業家の世界に思い切って足を踏み入れようとする研究者の数が増加している。

例えば、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)ワクチンを製造する「モデルナ」のアカデミックな共同創設者であるロバート・ロブ・ランガー(Robert "Bob" Langer)博士は、おそらく歴史上最も言及されているエンジニアだろう。ランガー博士はモデルナの他にも40を超えるバイオテクノロジー企業を創設しており、「科学者兼起業家」という名称の代表のような存在である。しかし、こうした傾向はバイオテクノロジーやビッグファーマの世界だけにとどまらない。とりわけディープテックの世界では、思い切って自ら会社を興す科学者の数が増えてきている。

超高感度の疾患検出ツールから高速ワイヤレスネットワークまで、ディープテックのイノベーションは科学技術の新たな領域を切り開いている。ディープテックは、微調整を施すのではなく、既存のシステムを破壊することで社会の最も差し迫った問題を解決する。しかし、ディープテックのスタートアップには投資家集めに苦労しているところが多い。シンガポールのSGInnovate社のCEOであるリム・ジュイ博士は次のように述べる。

「ディープテックへの投資はハイリスクハイリターンです。準備に長い時間がかかることから、従来の市場拡大向けロードマップは適用できません。加えて技術リスクがあり、資本要件も一般的に高めです」

そうした障壁を取り除くことがSGInnovate社の使命となった。同社は、科学者兼起業家を目指す者に広範なリソースを提供し、シンガポールおよび世界でディープテックのスタートアップを設立、拡大することを可能にしている。SGInnovate社は、戦略的な投資、共同体形成のプログラム、人材開発の取り組みを組み合わせることでこれを実現した。

SGInnovate社のワークショップや職場イマ―ジョンプログラムを通じて、前途有望な人材が、自分の技術力を磨きながらディープテックの未来を築く準備を進めている。リム博士によれば、こうした実習の機会が、学生や新卒者、仕事を始めたばかりの専門家らと新進のディープテックベンチャーとをつなげ、彼らにサイバーセキュリティやデータ分析などさまざまな分野にどっぷりと浸かった体験を可能にしている。

しかし、有能なチームを構築するだけでは不十分である。若い企業には、規模を拡大するための経済支援も必要だからだ。SGInnovate社は、初期段階の支援者として5,000万シンガポールドル(約40億円)を超える投資を行い、手術で損傷部位を正確に示すスマートロボットから、複雑なビジネスの意思決定を行う人工知能(AI)のプラットフォームに至るまで、あらゆる立ち上げを促進してきた。

ハイリターンと多大なインパクトを保証するディープテックは資金を集めることが可能である一方、リム博士は、投資家が支援を約束する前に考慮しなければならないリスクも強く意識している。リム氏と彼のチームは、高い将来性を持つスタートアップに初期資金を提供することで、他の投資家にも同様の行動を奨励している。

SGInnovate社のコミュニティイベントは、起業家精神あふれる有望な科学者とその発明とを紹介して投資家や企業パートナーの関心を刺激する最適なプラットフォームとなっている。例えば、Deep Tech Summitでは、思想的リーダーや業界の専門家らを、会議室やZoomその他で一堂に集め、ディープテックに関する意見交換や新しいアイデアの創出を行っている。

リム博士は「当社の仕事の大半は、民間部門がディープテックの機会を理解できるよう教育し支援することに向けられています。考え方に変化をもたらし、より多くの投資家や人材を惹きつけて一緒にディープテックに挑戦していきたいと考えています」と語る。

パンデミックの拡大により、科学技術の役割に対する要望があらゆる業界で飛躍的に増加したとリム博士は言う。イノベーションが開発パイプラインに沿って推し進められる中、シンガポールの多くの科学者兼起業家らは、医療のみならず電子商取引、教育、輸送などでも研究に裏打ちされたソリューションを考案してこの難局に対処した。

「COVID-19とその後に起きた科学界の反応は、人類が直面している課題に対処するときに、ディープテックがいかに重要となるかを浮き彫りにしました」とリム博士は述べる。

その一例が、SGInnovate社が支援したバイオテック企業Lucenceである。同社はがんの早期発見のパイオニアである。パンデミックが発生したとき、Lucenceは、開発の焦点を、検査サンプル中のウイルスの遺伝物質を室温で長期間保存するための新しい媒体へとすぐに移行した。それによってより安全で入手しやすい検査が可能になっただけでなく、Lucenceの鼻咽頭スワブのサンプルの媒体は、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の検出率を標準に比べて36%高めた。

シンガポールを拠点とするもう1つのスタートアップAccredifyは、SGInnovate社と協力して、診療記録の管理を向上させる「Digital Health Passport」を発表した。これは、スワブ検査の結果であれワクチン接種の履歴であれ、患者のデータをブロックチェーンで保護されたデジタルウォレットに保存し、QRコードをスキャンするだけで認証することができる。国境の規制が緩和されれば、この非接触型の不正防止機能付き書類が、物理的な書類に代わって、コロナ後の世界を安全かつスムーズに移動するためのチケットになるかもしれない。

コロナが社会のデジタルトランスフォーメーション(DX)を加速させる中、シンガポールでは、より一体感のあるディープテックの結びつきが台頭し始めている。学術機関と産業界とを仲立ちすることで、科学者兼起業家らが自らディープテックの旅に踏み出し、最良の立場から自身の研究を社会的インパクトに変えることが可能になるとリム博士は考えている。

「勇気をもち、リスクを恐れないこと。つまり、常にオープンマインドで新しいことに挑戦し、目の前に課題が立ちはだかったときにも柔軟に適応できるように学び続けてスキルを磨いていきます」 リム博士はこのように述べた。