2022年02月15日
河井 栄一(かわい えいいち):
東京農工大学ASEAN事務所長 工学博士
民間試験機会社、タイ・チュラロンコン大学理学部、(特非)アジア科学経済教育発展機構などに勤務。2007年より現職。この間、日本の政府開発援助による高等教育関連プロジェクト、調査、また地球規模課題対応国際科学技術協力(SATREPS)などの研究プロジェクトに多数参加。海外と日本の高等教育、研究のコーディネーターとして活躍中。
筆者は、タイ・チュラロンコン大学理学部で1980年初めから10年間ほど教鞭を取り、その後も円借款プロジェクト「日・タイ技術移転事業」、JST(科学技術振興機構)-JICA(国際協力機構)「地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)」*などの国際共同プロジェクトに参画、現在は東京農工大学ASEAN事務所長として、タイの大学と長年お付き合いさせていただいている。今回は、理系学部について、あまり知られていないタイの大学と日本の大学に関する違いなどを、個人的見解ではあるが説明してみたい。
チュラロンコン大学理学部 (提供:筆者)
日本の大学理系学部の多くが、研究テーマを土台にした講座制を採用している。大講座制(教授、准教授が独立)と小講座制(旧来の教授が、准教授、助手を部下として、研究室全体を運営管理)がある。小講座制は、教授の権力に振り回されお手伝いだけ、自分のやりたい研究ができないなどの弊害が指摘され、最近は見られなくなった。
タイは大講座制的ではあるが、助教、助手、大学院生、学部生が一緒に集まって雑誌会、輪講をする研究室は少ない。あるとすれば日本の大学出身の先生が管理する研究室だ。研究については教官と学生個人への一対一の指導が多く、先輩から後輩への指導は少なく、学生同士の横のつながりも薄い。タイの工場などで、知識、技術を個人で囲ってしまう傾向があり、離職されると別の工員に一から教えなくてはいけないと聞くが、それに通ずるところがある。
またタイでは、研究の継続性をどうも好まない。研究には終わりがない、継続することによって成果が広がって行くものだが、新規性、応用に重きを置く傾向がある。理系学部4年生でも授業がかなりあり、半年だけセニアプロジェクトと呼ぶ卒論に当たる小研究プロジェクトがあるが、学生も教官もなるべく新しいテーマに取り組もうとする。講座制が育たない事実に関係するかもしれない。
先輩-後輩システムがうまく稼働しないことは、学部学生と大学院学生の出身の違いよることも要因の一つであると考える。大学は、言葉は適切でないかもしれないが自己培養ができる、すなわち博士後期課程までのプログラムの設置を意欲的に進めがちである。タイの国立大学も大学院を以前から持っている。ただ、チュラロンコン大学で勤務していたころ、大学院に進学する同大学学部生はゼロであった。みな優秀で家庭は裕福だったので、海外の奨学金を得るだけでなく、自費留学もできた。
タイでは、ホワイトカラーを目指して経営学修士号(MBA)などへ進学する学生が多数いた。需要があるからであろう、チュラロンコン大学のSasin(MBAコース)と工学部Industrial Engineering学科は、2年で修了できるDual MBA & Master of Engineeringを提供している。それでは大学院生はどこから来た学生かというと、地方大学のまだ学位を取得していない教官、政府職員の派遣だった。入学してくる学生の年齢、学部の出身大学がバラバラ、大学院でも授業が多いので、講義のやり方、内容に苦労した思い出がある。現在でも同じ大学学部からの大学院入学生は少ないようだが、全国の大学全体の質保証制度も充実してきて、以前のような大学間のギャップはなくなりつつある。
今までチュラロンコン大学の理学部・工学部を対象に、東京大学を中心とした日本のコンソーシアムが円借款「日・タイ技術移転事業」(1996年~2002年)、インドネシアのバンドン工科大学の円借款「バンドン工科大学整備事業」(1994年~2004年)でも講座制が紹介されたものの普及はしていない。
一方で講座制を実践しようとする取り組みは現在でもマレーシアで行われている。首都クアラルンプールにあるマレーシア日本国際工科院(MJIIT)は、円借款によってマレーシア工科大学(UTM 本部ジョーホールバル)の中に日本の教育システムを総合的に取り入れ、日本型工学教育を確立することを目的に2011年に設立された。現在10名の日本人教官が常勤し教育と研究を行っている。
MJIITでは、日本式研究スタイルである講座のコンセプトを拡張したiKohza(イノベーティブ講座)を次のように宣伝している。
「MJIITでは日本式高等工学教育の目玉として、iKohza(イノベーティブ講座)と呼ばれる研究グループを単位に、Rinko(輪講:セミナー)や先輩-後輩システムによるボトムアップの教育と研究活動が行われています。学生は研究室においては先輩-後輩 の関係を基に、先輩から研究のノウハウを教わりそれをさらに後輩に伝えたり、また教授・准教授・講師からも直接の指導を受けることができます」
innovativeの「i」をKohzaの前に加えたのは、マレーシアの大学であることから、教授1人に権限を集中させず、 日本人教官とマレーシア人教官が平等に偏りなく協力して指導に当たる、イノベーションしたMJIIT独自の講座制にしたいとの考えからだ。 日本人教官の的確な現地指導によって、iKohzaが根付くことを期待したい。
現在、タイでは学部卒生の就職率が良く、大学院希望者の減少はどの国立大学で問題となっており、大学院生数の確保に苦労している。研究には優秀な大学院生の協力が必須であり、チュラロンコン大学あたりは、かなり前から日本への大学院正規留学を積極的には勧めていない。これは、教官が以前より研究に熱心になっていることに通ずると考えたい。
今後は国際共同プログラムにおけるダブルディグリー、ジョイントディグリーなどの双方にとって有益な国際共同プログラムを積極的に取り入れ、ギブアンドテークの仕組みを推進する必要がある。タイの大学によって対応は若干違うが、シラバスの内容が75%、あるいは85%同じでないと単位互換を認めないと主張し、プログラムの設立が難しいこともあったが、最近は緩やかな規制になりつつある。自然災害、感染症など、予測のつかない事態に対処するため、オンラインによる授業配信、研究交流のノウハウが急速に開発され、質を双方で確認しながら授業配信、研究交流ができてきたことは「災い転じて福となす」であった。
東京農工大学の各種国際共同プログラムでは、前半をネットによる受講・研究交流、時を観て現地へ留学し研究インターンシップなどのフレキシブルな対応を考えるようになった。状況を踏まえ、互いの国、大学の教育・研究の得意とする、または補完的分野において目標を明確にし、十分な検討を重ね、双方向に学生が行き来できる国際共同プログラムの設計がより期待される。
タイでは、在タイ日本大学の連絡会Japanese University Network in Thai:JUNThaiがあり、進出大学間の活動紹介や共通課題の情報共有を行っている。参加校は50を超える。現地で日本の大学関係者間のネットワーク作りを強化し情報共有し、iKohzaのような日本式システムの紹介を通して、現地の教育、研究への貢献、経済発展に貢献できればと思う。