世界第4位のデジタル競争力、シンガポールの人材育成戦略

2022年12月14日 アジア・太平洋総合研究センターフェロー 斎藤 至

9月28日、スイスのビジネススクール・国際経営開発研究所(IMD)による世界競争力ランキングの最新版が発表された。「デジタル競争力」でシンガポールがデンマーク、アメリカ、スウェーデンに次いで世界第4位に入り(表1)、アジア・太平洋地域では首位となった。シンガポールはなぜ世界で高い評価を受け、具体的にどのような施策へ取り組んでいるのか。本稿ではその概要を、職業再訓練プログラム「SkillsFuture」や近年の企業活動を中心に紹介する。

表1 IMDデジタル競争力ランキング

IMDデジタル競争力レポートより筆者作成

世界競争力ランキングは1994年以来、産官学の各界で広く参照され、国の科学技術力やイノベーションの可能性を測るうえで信頼性を得ている指標の一つだ。デジタル競争力は2016年から集計が始まり、「知識」「テクノロジー」「未来への備え」という3本柱の下、9つのファクターで国地域のパフォーマンスを評価する。シンガポールは2018年以降、常に上位5位以内を維持してきた。ファクター別に見ると(図1)、かねてより規制(法)や技術枠組を含む「テクノロジー」で評価が高かったが、近年は「(人材の)訓練と教育」でも評価を高めていることが分かる。

図1 デジタル競争力指標(シンガポール)のポートフォリオ

IMDデジタル競争力レポート2022より筆者作成

高いデジタル競争力を持つシンガポールは、国家・経済・社会のデジタル化を提起した2014年の「スマートネイション構想」以来、国のデジタル・トランスフォーメーション(DX)に注力してきた。データの利活用が豊かさを左右するデジタル経済では、データの価値を見出し、適切に使いこなせる人材が国際競争力の鍵を握る大きなファクターとなる。2020年12月発表の「研究・イノベーション・企業(RIE)2025年計画」でもデジタル経済の項を設け、デジタル人材むけ奨学金や人工知能(AI)博士人材プログラムの設置を構想しており、この分野の人材育成に注力する姿勢を明確にしている 1

人材活用を促す労働市場政策としては、職業再訓練プログラム「SkillsFuture」が、2014年から労働力開発庁(MoM, Ministry of Manpower)によって始められ、国民一人一人が知識経済に対応するために受けるリスキリングに対し、一人当たり500シンガポールドルの初期支援(クレジット)と各種技能証明が行われている。企業に対しても人材育成と組織変革の好循環を促し、社会変革の契機となる分野の人材育成支援に力が注がれている。またマイクロソフトやグーグルなど、米国のグローバルIT企業とも連携した人材開発が進められている。

SkillsFutureでは、2020年4月から中堅労働者に対するキャリア転換支援策の強化が発表され、2022年も継続中である。 ICT分野ではTechSkills Acceleratorという枠が設けられ、情報通信メディア開発庁が中心となり、Workforce Singapore、国家労組協議会と共同して高度人材の育成施策が行われている 2

シンガポールはまた、デジタルスキルを保有しない者も労働力として包摂している。公共部門のイノベーションを取材する GovInsider によれば、シンガポールでは54%の企業が、DX成功への課題は、従業員のデジタルツールに対する理解や知識の不足と答えており、AI、データ分析、IoTといった一層高度なツールを導入できる企業は35%にとどまる 3。この人材ギャップを解決すべく、シンガポール国営企業のテマセクは、米IT企業のUSTインド支社と連携し、「テマス(Temus, テマセクとUST両社名の合成語)」を立ち上げ、2021年4月に「Step IT Up x Temus」事業を開始した。

テマスはシンガポールとベトナムで事業を展開し、政府機関や企業のデジタル変革を、アプリケーションなどのデジタルソリューション提示、設計、構築などのサービスを通じて推進・支援している。Step IT Up x Temusのコース全貌は、労働者に (1) 4~6カ月という短期でデジタル分野のリスキリングを施し、(2) プロのメンターによる監修を施しつつプロジェクトに従事させ、(3) 同社の社員として雇用し人材として産業界への貢献を促す、というものである 4。もともとSTEP IT UpとはUSTが2014年に始めた人材育成事業であり、既に北米・南米諸国や欧州で実践を重ねてきた。テマスの発足によって、そのグッドプラクティスをシンガポールに移植した形である。

こうしたシンガポールのデジタル経済は国内経済の中で比重を高め、他のアジア・太平洋主要地域や世界のデジタル化先進国と比べても高い位置にある。各国・地域GDPに占めるデジタル経済の割合を見ると(図2)、アジア・太平洋の最新年(時点2)では、9.1%の台湾、7.6%のマレーシアに次いで、シンガポールは6.8%と第3位に位置している。

図2 GDP全体に占めるデジタル経済の割合(2期間の変化)

アジア開発銀行調査報告書 Capturing the Digital Economy, 図6を基に筆者作成

2021年7月、ジョセフィン・テオ情報通信大臣の発表によれば、新型コロナ禍の始まった2020年、シンガポール経済全体の成長率は5.4%と大幅縮減にもかかわらず、デジタルセクターの成長率は4.8%であった 5。SkillsFutureの各制度がうまく機能し、人材拡充を後押しした成果が表れていると推察できる。またテマスの事業も、SkillsFutureの支援対象外ではあるのだが、労働市場の急速な構造転換に寄与し、IMDデジタル競争力で高い評価を受ける一つの要因となったことが推察できる。デジタル経済の規模と内容は絶えず拡大・変化しているが、国民へ職能向上の機会を継続的に提供するシンガポールの施策は、今のところ成功をもたらしているように映る。同国のデジタル人材が生むイノベーションの将来に注目していきたい。

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