【AsianScientist】医療従事者のメンタルヘルスをどうケアするか?-新型コロナで負担増

新型コロナは、特に資源の少ないアジアにおいて、医療従事者の精神的負担をさらけ出し、悪化させた。ニューノーマルに向かう中、政府、病院、メンタルヘルスの専門家は、顧みられることのなかった医療従事者たちの支援を開始したが、まだ多くの問題は対処されていない。(2023年6月9日公開)

2021年8月のある朝、ウォン (Wong) 氏は一晩中働いた後、日の出の直後に徒歩でアパートに戻った。ウォン氏は部屋に足を踏み入れた瞬間、突然泣き出した。ウォン氏は身元が特定されることのないよう、下の名前を伏せて欲しいという。彼女は食事を準備する前に少し時間をかけて 気を落ち着かせ、休んだ。その日の午後 7時には、次のシフトが迫っていた。ウォン氏は、シンガポール最大の病院の1つで看護師をしている。コロナ禍の始めのころ、彼女は全国の多くの医療従事者と同様に、入院してきた圧倒的な数の患者の世話に追われていた。

それ以来、変則シフトの勤務が続いている。ウォン氏は20代。長い間海外の家族と離れて暮らしている。

ウォン氏は2020年5月にシンガポールの看護学校を卒業するはずだった。しかし、その1カ月前に、コロナ感染者が増加し始めた。病院の差し迫ったスタッフ不足を補うために、同級生らは皆、呼び集められた。

突然、見知らぬ、そして負担の大きい環境に放り込まれたウォン氏は、悪戦苦闘しつつ最善を尽くした。病院がスタッフに対し、何の相談もなくコロナ病棟でシフト勤務するよう連絡したことは一度や二度ではなかった。ウォン氏は 1年で燃え尽き、自分は不幸だと感じ始めた。2年後の2022年に、ようやく助けを求めることができるようになった。

ウォン氏が経験したことは、アジアその他の地域の多くの医療従事者に共通している。調査から、医療従事者が直面する高度のストレスと燃え尽き症候群は、危機の際に程度が強くなることが分かっている。

コロナ禍の中、地域社会は拍手や表彰を通じて医療従事者に感謝の意を表したが、医療従事者たちは膨大な作業量と感情のストレスに苦しみ続け、心の余裕はなくなってきた。 時間の経過とともに、医療従事者たちの苦悩はフィリピンおよび日本での抗議行動のほか、2021年にはシンガポールで看護師の自殺の後に行われたオンライン活動という形で表面化してきた。

このような行動は、政府、病院、研究機関に対し、コロナ禍以前から生じていた危機を警告するものだった。そしてついに、医療従事者が直面する特有のメンタルヘルスの課題が対処されるようになった。

社会的差別

2020年に Brain, Behaviour, and Immunity誌に掲載されたある記事によると、コロナ感染のあった国の医療従事者の少なくとも 5人に 1人が、パンデミックの最初の数カ月以内にうつ病と不安の症状を経験した。この割合は、女性のほうが高かった。

仕事量の増加に加えて、医療従事者はウイルスのキャリアではないかという恐怖から生じる社会的差別に直面した。フィリピンでは、医療従事者がアパートを失い、公共交通機関へのアクセスを拒否されたというニュースがあふれた。

「人々は、私たちが病院で働いていることを知ると、私たちが直接患者の世話をしていなくとも、私たちを避けました」。これは、フィリピンの小さな病院の事務管理者であるライラ・アドビンキュラ (Lyra Advincula) 氏が Asian Scientist Magazine誌に語ったことである。

フィリピン最大の私立病院の 1つであるメディカルシティでは、そこに勤務する医療従事者がコロナ禍により受けたトラウマの影響を評価するために、コロナから回復した直後に勤務に戻った医療従事者について心理測定テストが実施され、インタビューが行われた。調査から、医療従事者たちはコロナ禍により不安、苦悩、疲労、解離などの感情が高まり、「仕事を続けることに意味があるのか」という疑問を持つことが明らかになった。

この調査を率いた調査専門家のマーク・カラスカル (Mark Carascal) 氏によると、社会的差別は最大のストレス要因の1つであった。

カラスカル氏はAsian Scientist Magazine誌に対し「人々が私たちを地域社会の死神と考えてほしくない」と語った。

同様に、Public Health Ethics誌に発表された日本の研究によると、医療従事者に対する偏見と侮辱があるため、医療従事者は一般大衆から孤立しているという。

このような出来事があるため、一部の医療従事者は、勤務先でコロナ感染が急増していたにも関わらず、休暇や退職を選ばざるを得なかった。ジャパンタイムズに掲載された報告によると、東京のある病院では、コロナクラスターの疑いが生じたときに 20人以上のスタッフが辞めたという。

共通の人間性

一般的に、勤労者は、医療業界に勤務する者も含め、夕食、飲み物、あるいは1杯のお茶を飲みながら、勤務時間後に同僚と一緒にくつろぐことが多い。

ウォン氏は「同じ病棟の友達と愚痴を言い合うだけで、多少のストレス解消になります。 友達は私の気持ちを分かってくれるので、少し救われます」と話した。「かといって、友達がすべてについて共感してくれるわけではありません。家族と離れて孤独を感じていることは分かってくれません」

英国ノッティンガム大学の小寺康博準教授は、日本の医療従事者のメンタルヘルスについて研究している。教授は、状況を理解してくれる同僚を頼みとすることは、対処メカニズムとセルフケアの両方の形であり、特にアジア諸国では重要なことかもしれない、と語った。

小寺氏は Asian Scientist Magazine誌 に対し「セルフケアおよびセルフコンパッションとは、自分自身と自分の欠点を理解し、自分が経験する困難が他の人にも経験されていることを知ることです」と語った。 「自分だけではないことが分かれば、それほど孤独を感じることはありません」

研究者は、自分の状態を理解してくれそうな人に手を差し伸べるこの行為を「共通の人間性」と呼んでいる。自分への優しさやマインドフルネスなどセルフケアには様々な要素があるが、アジアのような集団主義的な社会の中では、共通の人間性が最も意味を持つ。

共通の人間性に触れることができなければ、メンタルヘルスが影響を受けるかもしれない。これは、小寺教授が日本の医療従事者とのインタビューで発見したことである。医療従事者は毎日のストレス要因に対処するにあたり、病院での何気ない会話ではなく、飲み会と呼ばれる文化慣行の一部である仕事の後のつきあいに大きく依存している。ロックダウンが始まると、仕事に圧倒された多くの医療従事者は、一人で悩みを抱え込んでいることに気が付いた。小寺教授は、医療従事者は最も必要としているときに、共通の人間性が突然利用できなくなった、と語った。

根深い問題

パンデミックのような危機は、医療従事者が直面する既存の課題を露呈させたり、悪化させたりすることが多いことが、新たな研究から明らかになった。

たとえば、2019年、フィリピン保健省は約290,000人の医療従事者が不足していると計算したが、その大部分はフィリピン人看護師であった。フィリピン海外雇用庁のデータから、2014年以降、19,000人近くのフィリピン人看護師がより良い職を求めて国を離れたことが分かった。

看護師から精神科医に転向し、マカティ市のカウンセリングヘルスセンターで働くロワルト・アリブブッド (Rowalt Alibudbud) 医師は「以前、私の患者の中には医療従事者がいました。彼らは国を離れたいと思うことに恥ずかしさや罪悪感を感じていましたが、パンデミックの間、彼らは正当な扱いをされていないと感じたため、これらの感情は小さくなりました」と述べた。

アリブブッド医師は、家計を維持しようと常に必死に働いていると、その人の行動様式に変化が現れるので、医療従事者に適切な賃金を支払うことは重要であると付け加えた。アリブブッド医師の意見は、社会経済的に恵まれないとメンタルヘルス障害のリスクが高くなるという世界保健機関(WHO)による詳細な研究によって裏付けられている。フィリピン政府はこの問題を意識し、看護師の賃金を引き上げる計画を発表した。シンガポールはすでに賃金引上げを開始した。

針を動かす

医療機関にも変化が見られ始めている。たとえば、フィリピンのメディカルシティは、医療従事者のために、有資格心理セラピストによる週 1回のチェックイン・セッションを導入した。病院の最高人事責任者であるシャーリー・マクリペイ (Shirley Maclipay) 氏によると、病棟長は、職員の早期警告サインを発見する訓練も受けている。

しかし、国内の小規模な病院は、そのような資源を提供できない。アドビンキュラ氏が勤務する病院はそのような病院の一つである。アドビンキュラ氏は人事部を通じてカウンセリングを行っているが、職員のメンタルヘルスの状態が深刻になった場合、病院以外の場所で支援を見つける必要があると述べた。

一方、シンガポール政府は、公的医療従事者の燃え尽き症候群を軽減するために、カウンセリング・サービスへの強制アクセスやピア・サポートなどの政策を導入した。自己評価ツールや人工知能 (AI) チャットボットなどのテクノロジーを活用した取り組みや、職員が自身や同僚のメンタル ヘルスに関する懸念を知らせるシステムも同国の成長を続けているヘルスケア・ソリューションの中に加わった。

しかし、このような内部システムがすべての人に役立つとは限らない。たとえば、ウォン氏は、自分の懸念を上部職員が知ることとなるピア・ サポート・システムに不安を感じていた。彼女は同僚に自分の不安の詳細を知られたくはなかったし、同僚が秘密を守るとは確信できなかった。それで、彼女はカウンセラーを見つけてくれる非営利団体を利用した。

カウンセラーと定期的に話すようになって以来、ウォン氏は自分の感情をうまく管理し、患者に良いケアを提供できるようになったことに気づいた。

マニラのカラスカル氏は、医療従事者はスーパーマンではなく、他の人と同じように苦痛を経験することを人々が理解する必要があると述べた。「地方自治体や機関が私たちのニーズに耳を傾け、優先的に扱われれば、私たちはすべての人に最高の医療を提供し続けることができます」

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