フィリピンでの過去最大のDNAマッピング研究から、フィリピンへの人類大移動の波が気候変動により50,000年をかけて少なくとも5回は引き起こされていたことが明らかになった。
AsianScientist - 気候変動は現代の問題とみなされることが多いが、過去50,000年の間に、気候変動がフィリピンへの大移動を促していたことが明らかになった。これらの発見は、米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences)に発表された。
東南アジアの中心に位置し、7,000を超える島々から成るフィリピンは、その地域の人類の歴史を理解するうえで重要である。初期の人類は、少なくとも67,000年前からこれらの島々に居住していたことが判明しているが、その島々の人々や入植の歴史に関しては、ほとんど解明されていない。
有力な仮説として、台湾が起源であるとする説がある。この仮説では、肥沃な土地を求めた台湾の航海者たちが言語、文化、農業をフィリピンにもたらしたというものだ。人類の列島への移動を解明しようと試みた研究も複数あるが、ゲノムのデータセットが限られていたため、決定的な結果をもたらすことはできなかった。
フィリピンで最も広範囲なDNAマッピング研究では、スウェーデン、オーストラリア、アメリカの研究者、そしてもちろんフィリピンの研究者から成る国際的チームが、115の先住民を代表する1,028人から230万の遺伝子型を収集した。また、台湾が起源であるとする仮説の詳細な調査のため、研究グループは台湾海峡の亮島から、約8,000年前の人類のゲノム配列を2人の個体から収集した。
その結果、フィリピンには、人類大移動の波が少なくとも5回あったことが明らかになった。まず、オーストラリア人とパプア人の遠縁にあたるネグリトの移動があり、次に、マノボ、サマ、パプア人、そしてコルディリェラの先住民族の移動が続く。台湾が起源であるとする仮説とは対照的に、コルディリェラの先住民族は、少なくとも8,000年前に台湾の先住民から分岐していた。これは、2,500年前にフィリピンに稲作が伝わった前に起こったことである。
著者らによれば、コルディリェラの先住民族の移動は、気候変動によって促された可能性があるという。具体的には、台湾と中国南部にある古代の陸塊における海岸平野が5,000年という期間をかけて徐々に沈んでいった可能性が高く、それにより、先住民族がフィリピンへと逃げてきたのだ。マノボとサマの集団は、同様な地理的激変により、ボルネオ島からフィリピン南部へ移動した可能性がある。
興味深いことに、300年以上におよぶスペインによる支配にもかかわらず、この研究の対象者で西ユーラシアに遺伝的起源を持つ者は全体の1%にも満たなかった。このことは、フィリピンでのスペインによる植民地支配において、遺伝的な影響は制限されていることを示す。
「私たちの発見は、農業ではなく気候変動こそが人類の様々な地域への大移動を促す重要な要因であった可能性を示しています」と、筆頭著者で、ウプサラ大学を拠点とするフィリピン人科学者であるマキシミラン・ラレーナ(Maximilian Larena)博士は結論付けた。
上席著者であるウプサラ大学のマティアス・ジェイコブソン(Mattias Jakobsson)教授は次のように述べている。
「(これはまた)人類の歴史研究を支配してきた見方が誤っていることの証明です。その見方とは、言語、生活様式、文化、そして人間は一つのユニットとして移動するというものです。人類の新たな集団が7,000年以上前にフィリピンにやって来たのです。フィリピンで農業が始まったのは、そこから3,000年も後のことです」