シンガポールの南洋理工大学(NTU)リーコンチアン医科大学(LKCMedicine)の研究チームは、記憶をつかさどるニューロン(神経細胞)間の情報伝達が加齢に伴い障害を負い、さらにこの現象は中年期から始まる可能性があることを実証した。1月22日付発表。研究成果は学術誌Nature Communications誌に掲載された。
今回の発見は、人間の心の老化プロセスに関する新たな洞察を提供し、高齢者の精神的幸福を維持するための治療法への道を開くものである。
助教授の神垣司氏(手前中央)、リサーチフェローのヤドル・ランジバル・スラムルー氏(後列左)、リサーチアシスタントのヒ・ルー・チョン氏らリーコンチアン医科大学の研究チーム
加齢が脳の機能に与える影響について長年研究が進められている。高齢になると記憶力が低下することはよく知られているが、個々の脳のニューロンレベルでどのような変化が起こるのかについては明らかにされていなかった。
前頭前皮質の興奮性ニューロンは蛍光色で表示される
(出典:いずれもNTU)
これまでは、死亡した被験者のニューロンを用いて研究が進められていたが、リーコンチアン医科大学の研究チームは生きたマウスの個々のニューロンの活動をリアルタイムで測定した。測定には最近発表された光イメージング技術を採用し、記憶をつかさどるニューロンに関連した神経活動を計測した。若年、中年、老年の3つの異なる年齢群のマウスのニューロンが、記憶を必要とする課題にどのように反応するかを調べた結果、若年のマウスに比べて、中年および老年のマウスは、新しい課題を学習するために、より多くのトレーニングが必要であることがわかった。さらに、高齢マウスのニューロンには変化もみられた。
同研究を主導した神垣司助教授は東京大学大学院医学系研究科博士課程を修了。同科特任研究員、米カリフォルニア大学バークレー校ハワードヒューズ医学研究所博士研究員を経て、2019年に現在のリーコンチアン医科大学助教授に就任した。
神垣氏はSPAPの取材に対し、この研究のきっかけについて「私は2019年からシンガポールのNTUでラボを主催し、マウスと光学的計測法を駆使して高次認知機能の神経メカニズムを研究しています。この研究はその一環で、記憶維持や実行機能を実装する脳システムが、老化に付随してどのように脆弱になっていくかを知りたくて始めました」と話した。
この研究の意義は、「短期記憶の維持といった高次機能に前頭葉が重要であることは知られていましたが、実際に個々のニューロンレベルでの仕組み、そしてそれが老化によってどのように変化するかは未知でした」としたうえで、同研究では、「マウスが課題に取り組んでいる最中のリアルタイムの神経活動を観察することにより、前頭葉内に短期記憶をコードするニューロンが多く存在して互いに強く連絡を取り合っていること、そしてその連絡が中年期に入ると弱くなり、神経回路の機能が脆弱になっていることが分かりました。つまり、このニューロン同士の連絡は、認知老化の危険信号とみなすことができ、その強化、維持することを目標とした介入が重要であると示唆されます」と説明した。
最後にシンガポールでの研究の楽しいところを聞くと、神垣氏は「シンガポールは、世界的にも高い教育水準と治安の良さ、食事事情の良さから住みやすい国としても認知されており、安全安心に住むことができています。自分のやりたい研究テーマを掲げる自由度が与えられ、研究室メンバーや同僚の協力を得ながら、未知のサイエンスの問題に取り組むことができるのはこの上ない喜びです」と語った。
サイエンスポータルアジアパシフィック編集部