「米国からの制裁が中国AIの隆盛につながる」──香港上場のAxera Technology
2026年04月16日

高須 正和: 株式会社スイッチサイエンス Global Business Development/ニコ技深圳コミュニティ発起人
略歴
コミュニティ運営、事業開発、リサーチャーの3分野で活動している。中国最大のオープンソースアライアンス「開源社」唯一の国際メンバー。『ニコ技深センコミュニティ』『分解のススメ』などの発起人。MakerFaire 深セン(中国)、MakerFaire シンガポールなどの運営に携わる。現在、Maker向けツールの開発/販売をしている株式会社スイッチサイエンスや、深圳市大公坊创客基地iMakerbase,MakerNet深圳等で事業開発を行っている。著書に『プロトタイプシティ』(角川書店)『メイカーズのエコシステム』(インプレスR&D)、訳書に『ハードウェアハッカー』(技術評論社)など
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生成AIの普及により、AIをどこで動かすかという問題が現実的な制約として現れてきた。NVIDIAのGPU価格は高騰し、クラウド利用料も増え続けている。AIは使えるようになったが、その運用コストは無視できない水準に達している。
こうした状況に対し、中国のスタートアップ「愛芯元智(Axera Technology)」は、クラウドではなくエッジ側でAIを動かすという選択をした。エッジ、すなわち端末側でAI推論を実行するための専用チップを開発し、計算コストを下げることを狙うものだ。Axeraの活動からは、中国のAIが、ソフトウェアだけでなくハードウェア側やICチップを含めて発展している様子がうかがえる。
Axera Technologyは2019年に創業。2026年2月には香港証券取引所に上場し、時価総額は約165億香港ドルとなった。法人登記は浙江省の寧波だが、最大の開発拠点は北京で、他に車載の強い重慶や、ロボット/IoTの強い深圳などにもオフィスを置く。
2019年、制裁で生まれた空白
Axeraが創業された2019年は、中国のAI半導体産業にとって転換点となった年である。この年、米国政府の輸出規制により華為(Huawei)をはじめ、いくつかの企業が影響を受け、それまで監視カメラやスマートシティ分野で広く使われていたAI機能を持つSoCが一気に市場から減少した。
同時期に、中国のAI専用チップ企業である寒武紀(Cambricon)は、サーバ・クラウド向けの高付加価値領域に軸足を移していく。結果として、エッジAIの領域には供給と需要の間にギャップが生まれた。
AxeraはこのタイミングでエッジAIチップに参入した。AIの将来を予測したというよりも、「空いた市場に最短距離で入る」という判断だったと見るほうが実態に近い。
なぜクラウドではなくエッジなのか
同社がエッジAI端末側でAIを動かすことに注力したのは、スタートアップとして合理的な選択だと感じる。クラウドAIはGPUを中心とした競争になり、巨大な資本と製造能力が必要になる。さらに、制裁の影響を直接受ける。一方でエッジAIは、用途ごとに分散した市場が存在し、それぞれに異なる要件があって、単一の企業が支配する構造にはなりにくい。
Axeraはこの違いを前提に、エッジを主戦場として選択した。同社内部では、約4TOPSを境に製品を分類しており、それ以下を「ターミナルAI」、それ以上を「エッジAI」と位置付けている。一般的な感覚よりも低い水準だが、これは画像認識や軽量LLMといった実用アプリケーションがすでにこのレンジで成立していることを反映している。
AIのオープンソース化が同社を後押し
そして、そのターミナルAI/エッジAIと呼ばれる領域は、中国のチームを中心に、多くのモデルがオープンソースの仕組みで公開されている。それによって製品にAIチップを組み込む各社がどういう状況に向けて最適化するかをチューニングする。Axeraはこの流れに対応し、有名なAI公開サイトHugging Faceで、対応済みのモデルを公開している( リンク )。
同社が公開している対応済みモデル(スクリーンショット)
ここには、非常によく使われるオープンソースのAIモデル、例えば、
● DeepSeek-R1 Distill(1.5B / 7B / 14B)
● Qwen 2.5シリーズ(0.5B〜14B)
● LLaMA 3.2(1B / 8B)
● ChatGLM3-6B
● Google Gemma2-2B
● Microsoft Phi-3 mini
といった、2024年以降に広く使われている軽量LLMがそのまま列挙されている。数年前までエッジAIはYOLOのような物体検出モデルが中心だったが、ここで列挙されているのはほとんどがLLMやVLMであり、エッジ側で扱うモデルの性質そのものが変わっていることがわかる。
さらに、OpenMMLab系の視覚モデルや、VLM(画像+言語モデル)にも対応しており、画像検索、物体検出、セグメンテーションといった処理をエッジで実行できる。
ここで重要なのは、単に「対応している」と書くのではなく、実際に動作するモデル名とパラメータ規模が明示されている点である。
AX8850シリーズの設計思想
同社の主力製品であるAX8850シリーズの構造(筆者撮影)
さらに高性能なチップも開発中だ。現在の主力製品であるAX8850ではArm Cortex-A55を8コア搭載し、NPU、DSP、画像処理(AI-ISP)、動画処理(H.264/H.265)を単一のSoCに統合している。
NPUは最大で24TOPS(INT8)クラスの性能を持ち、INT4では72TOPS相当の推論処理が可能とされている。消費電力は5W未満に抑えられており、ファンレスでの運用が前提となっている。インターフェースとしてPCIe、USB3.0、HDMI、Ethernetなどが用意されており、監視カメラ、ロボット、産業機器などに直接組み込める設計になっていることがわかる。
同社はおおむね1.5〜2年の周期で新世代チップを投入しており、AX650(2023年)からAX8850(2024~2025年)へ、さらにその次としてAX8860系が提示されている。次期モデルとして提示されたAX8860シリーズでは、128TOPSクラスの性能やLPDDR5X対応が示されており、製造プロセスも6nmクラスへの移行が進んでいると見られる。6nmはつい最近の最先端で、設計できる会社は限られる。スマホやハイエンドのAI/クラウドチップがさらに微細化をすることで製造ラインが空いているところではある。同社の技術力と、機をうかがう能力の高さ、柔軟さが伺える。
価格と普及の戦略
Axeraは比較的高い推論性能を持つチップを、非常に低価格で提供している。12TOPSクラスのチップが約10ドルという価格帯で販売されており、これは同クラスの製品としては極めて低い。
中国国内では価格競争が激しく、利益率を高く設定することが難しい。そのため、Axeraは価格を下げて導入障壁を下げ、まず市場を取る戦略を取っている。
エコシステムとして市場に入る――M5Stackとの連携
Axeraの戦略を見ていると、単にチップを売る企業ではなく、「どうやって市場に入るか」を強く意識していることがわかる。その中で象徴的なのが、M5Stackとの連携である。
M5Stackは、ESP32をベースとした開発キットを展開し、教育用途からプロトタイピング、さらには実運用まで幅広く使われているハードウェアプラットフォームだ。特に日本や欧米では開発者コミュニティとの接点が強く、「まず触ってみる」ための入り口として機能している。
AxeraはこのM5Stack上で動作するエッジAIモジュールの提供を進めている。
同社の資料にもM5Stackの製品 AIpyramidを用いたデモが紹介されている。(筆者撮影)
従来であればPCやクラウドを必要としていた処理が、デバイス単体で完結する。
この連携が意味しているのは、単なるハードウェア統合ではない。AxeraにとってM5Stackは、「開発者への入口」として機能している。自社のチップをいきなり採用してもらうのではなく、既存の開発環境の上に乗せることで、導入のハードルを下げる。
実際、同社はHugging Face上でのモデル公開やSDKの整備と並行して、「まず触れる環境」を重視している。M5Stackとの組み合わせは、その具体的な実装の一つだ。
中国国内では、監視カメラやスマートシティ用途のように、比較的クローズドな形での導入が多い。一方で海外市場、特に日本においては、開発者コミュニティを経由した普及が重要になる。M5Stackとの連携は、その違いを踏まえた戦略でもある。
チップ単体ではなく、開発環境、モデル、そしてハードウェアプラットフォームまで含めて市場に入る。この構造を取っている点が、Axeraの特徴の一つである。
ツールチェーンと開発環境
ハードウェアだけでなく、開発環境も重要な要素として位置付けられている。SDK、AIアルゴリズムパッケージ、モデルデプロイ環境が一体で提供され、「最短1時間でAIモデルを実装可能」と説明されていた。
ツールチェーンの開発は同社のミッションとして組み込まれている。(筆者撮影)
また、同社はHugging Face上に公式ページを持ち、複数のモデルを公開している。開発者はモデルをダウンロードし、そのままエッジデバイスに実装できる。ビジネスモデルとしてはハードウェア産業で、収益はチップの販売から得るが、会社としてはチップ単体ではなく、開発フロー全体を提供する形になっている。
想定されている用途
現状で同社のAIチップが最も使われているのは画像認識だ。
● スマートシティ(交通監視、人物検出)
● 小売(来店者分析、在庫管理)
● 工場(品質検査、異常検知)
● 農業(生育監視)
● ロボット(視覚認識、行動制御)
さらに、テキストから画像を検索する機能や、複数画像から最適な1枚を選ぶ機能など、実際のユースケースに直結したデモが提示されていた。
NPUの用途は画像認識を中心に幅広い。(筆者撮影)
ただし、同社はまだ発展途上にある。インタビューでも、海外展開は本格化しておらず、ツールチェーンも改善の余地があると述べている。中国国内でも競争は激しく、すべての製品が成功しているわけではない。
それでも、創業から6年で上場に至ったスピードは異例であり、戦略の方向性が市場と一致していることを示している。また、最先端技術であるAIについて、ハードウェアの形で実現したうえ、アルゴリズム・ツールチェーンを含めて、広い範囲で実現し続ける姿勢は世界でも珍しい。
制裁が生んだ構造変化
2019年の制裁は、中国の半導体産業にとって大きな制約であった。しかし同時に、既存プレイヤーがいなくなったことで市場に空白が生まれ、新しい企業が参入する余地ができた。また、同社が開発するチップは一桁nm~16nmという、ほぼ最先端の領域で、この微細度のチップ設計は、より小規模なスタートアップでは難しい。一方でNVIDIAやAppleなどはさらに微細化したチップを求めるため、一種の空白地帯になっている。
Axeraはその空白に入り込み、エッジAIという領域でポジションを確立した。AIの進化はアルゴリズムだけでなく、それをどこで動かすかという問題でもある。Axeraの動きは、その問いに対する一つの現実的な解答になっている。
AIへのハードウェア・ソフトウェア両面の研究に加え、チップ設計と製造のノウハウ、オープンソースエコシステムの理解と、技術と経営の両面で最適地を見つける企業戦略は、ほかの場所で見つけるのは難しい、今の中国ならではのスタートアップといえる。
