第1回アジア・太平洋研究会「日本、中国、欧米の水素エネルギー事情と水素システム構築のための日中協力の可能性」(2021年6月29日開催/講師:杉田 定大)
杉田 定大(すぎた さだひろ)氏
一般財団法人日中経済協会 専務理事
略歴
1980年通産省入省後、88年~91年マレーシア駐在(日本大使館)。
1998年初代新規産業課長、この折にPFI推進法の制定やNASDAQ日本誘致、ストックオプション税制創設などにかかわる。
2002年通商政策局アジア大洋洲課長、その後通商金融・経済協力課長、内閣官房内閣参事官(知的財産戦略推進事務局)、07年経済産業省中国経済産業局長、08年~09年大臣官房審議官後退官。
この間、01年から07年まで日本の官民が立ち上げた日中経済討論会の企画推進に従事。これは日本で最初の中国民営企業に着目した対話活動であった。また、深圳、杭州、北京中関村、上海などでの日中スタートアップベンチャー交流等の活動も推進。
中国経済産業局長時代には水素の実用化に向け、山口県周南市において水素パイプラインの実証実験をリーダーとして行った。
この間、東京工業大学特任教授、早稲田大学で客員教授を務め、現在に至る。
16年6月より一般財団法人日中経済協会専務理事
第1回アジア・太平洋研究会リポート
「海外との連携で水素社会を 杉田定大氏が提言」
早くから水素活用の可能性を重視し、内外のエネルギー情勢にも詳しい杉田定大日中経済協会専務理事・東京工業大学特任教授が6月29日、科学技術振興機構(JST)アジア・太平洋総合研究センター主催の第1回アジア・太平洋研究会で「水素システムの実現」をテーマに講演した。多くの国で水素エネルギー活用に向けての動きが加速していることを詳しく紹介し、海外特に意欲的な中国との連携が日本の水素活用に大きな力になるとの見方を示した。
杉田定大日中経済協会専務理事・東京工業大学特任教授
50年後エネ消費の13%水素に
水素に対する関心が高まっているのはなぜか。杉田氏はまず国際エネルギー機関(IEA)の資料を基に解説した。温室効果ガスの削減目標を定めた国際的枠組み「パリ協定」を順守するには二酸化炭素(CO2)排出量を2070年にゼロにしなければならず、その時点で世界の水素需要は年間約5.2億トンと見込まれる。これは最終エネルギー消費量の約13%に相当する。このうち約6割は再生エネルギーから作り出した水素だが、残りは化石燃料に由来する水素となる。
こうしたIEAの見通しを紹介したうえで、水素社会の実現に立ちはだかる壁があることも杉田氏は注意を促している。最も好ましい水素製造法は、CO2を出さずに済む方法。化石燃料に由来する製法では、CO2の排出が避けられないからだ。再生エネルギーを利用した電気分解による水素製造法が有力視されているものの、まだ技術的な課題が残る。加えて、2050年までに5分の1に下げる必要があるとされている水素の価格低下。さらにCO2を出さないサプライチェーン(供給連鎖)の構築、という三つの壁を挙げた。
再生エネで先頭走る中国
各国で進む水素エネルギー活用に向けた動きの中で、杉田氏が特に詳しく紹介したのが中国の積極的な取り組み。水素製造の主役と期待される再生エネルギーの導入で世界をリードし、2017年の設備容量実績は約619万キロワット。米国の約230万キロキロワット、日本の約83キロワットを大きく引き離している。一方、中国西部では風力、太陽光、水力による再生エネルギーの生産能力が大きくなっているのに送電能力が追い付かない。こうした無駄をなくすため、需要地である東部への送電線の整備、さらには揚水発電という既存のエネルギー貯蔵能力の拡大や水素製造など、さまざまな畜エネ技術の開発促進が急がれている。
使われずに捨てられている再生エネルギー(「棄風、棄光、棄水」)をどう利用するかという課題を抱える一方、エネルギー消費地である東部を中心に石炭化学工業の副生物やコークス炉排ガスなど工業副生物からの水素生産が進む実態もある。生産能力は年間430万トンに上る。「中国は国内に膨大な水素生産のポテンシャルを持つ」。杉田氏は中国の力をこのように表現した。
(杉田定大氏講演資料から)
燃料電池車で日中連携会社
水素の有力利用法の一つとして期待が大きい商用燃料電池車(FCV)に対しても、中国の動きは速い。2018年5月には日中韓首脳会談で来日した李克強中国首相が安倍晋三首相(当時)とともに苫小牧市のトヨタ北海道工場を訪れ、燃料電池車の製造現場を熱心に視察している。昨年8月には、トヨタと中国の自動車メーカー5社が北京に「連合燃料電池システム研究開発(北京)有限公司」を設立した。商品企画から発電装置などの部品、システム制御、車両搭載などの技術開発をスタートさせている。
同年9月には中国政府がFCVモデル事業に奨励金制度を設けた。FCV産業チェーンの構築、重要部品・技術の研究開発などに取り組む地域を選定し、奨励金を支給する制度だ。FCVは電気自動車に比べ、難しい技術が多いため、普及が遅れているのが現状。しかし、今後は中国の商用FCV普及のスピードは速まる、との見通しを杉田氏は示した。
先行する電気自動車に関しても、次世代充電規格を制定する覚書に、日本の自動車メーカーや電力会社などから成る「チャデモ協議会」と、中国の電力業界団体「中国電力企業連合会」が署名している。ChaoJiと呼ばれる日中共同開発の急速充電規格は2022~2023年に実用化する見込みだ。
東南ア・太平洋諸国とも連携
中国に加え、欧州、米国でも水素エネルギー活用に向けた動きが進む。さらに東南アジア、太平洋諸国との間で進行中の協力も詳しく紹介された。いずれも杉田氏が三つの壁の一つとして挙げた「CO2を出さないサプライチェーンの構築」に必要な技術開発と実証を目的としている。オーストラリアでは、水素エネルギーに関心を持つエネルギー、海運、重工業など7社から成る日本の企業団体「技術研究組合 CO2フリー水素サプライチェーン推進機構」の意欲的な取り組みが進行中だ。
目的は、オーストラリアで採れる褐炭から現地で水素を製造し、日本に輸送・貯蔵し、利用する「CO2フリー水素サプライチェーン」の構築。褐炭をガス化して水素を製造する施設と、水素を液化し、日本に送り出す液化・積荷基地がオーストラリアに、液化水素を受け入れる荷役基地が神戸に昨年、それぞれ完成している。液化水素専用運搬船「すいそ ふろんてぃあ」もすでに完成し、2019年12月に川崎重工神戸工場で命名・進水式が行われた。今年秋には、世界初の液化水素大規模海上輸送が予定されている。2030年ごろの商用化を目指す。
ブルネイとの間では、日本の総合エンジニアリング、海運、商社4社でつくる「次世代水素エネルギーチェーン技術研究組合」による国際水素サプライチェーン構築の実証事業も進む。海外で作られた水素を日本に輸送して利用するという目的は同じだが、液化水素よりはるかに扱いやすいメチルシクロヘキサンという炭化水素に変えて船舶輸送するのが特徴だ。ブルネイには2019年11年に水素化プラントが開所しており、そこで水素にトルエンを加えてメチルシクロヘキサンを製造、これを川崎の脱水素プラント(昨年4月完成)に海上輸送し、水素とトルエンに戻す。トルエンはブルネイに戻してメチルシクロヘキサン製造に再利用される。こうした世界初となる国際サプライチェーンの実証試験が昨年5月に始まった。
液化水素は、セ氏零下253度という極低温のため、輸送・貯蔵に必要な設備に求められる技術ハードルが高い。メチルシクロヘキサンのほかにも取り扱いが容易なアンモニアに変換して輸送・貯蔵し、利用直前に水素に戻す方法やアンモニア自体を燃料として利用する方法が有力視されている。東京電力と中部電力が出資する発電会社「JERA」は、マレーシアの国営石油大手ペトロナスと提携し、水力などの再生可能エネルギーを使ってアンモニアを製造する計画を進めている。天然ガスから取り出した水素を原料にする現在のアンモニア製造法と異なりCO2が発生しない。JERAは2040年代にはアンモニアだけを燃料とする発電設備を稼働させる計画で、将来は水素燃料の製造も目指す。
海外特に中国との連携強化を
日本政府は、昨年12月に公表した「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」で、成長が期待される14分野の産業を指定している。水素産業はその一つとして特に日本が優位な水素発電タービン、FCトラックなどの商用車、水素還元製鉄といった分野を中心に国際競争力の強化が図られている。
2030年度に温室効果ガスを46%削減する。世界に約束したこの目標を日本が達成するには水素に注目せざるを得ない。杉田氏はこう指摘した上で、水素を国内で自ら作り出す能力が十分あるとは言えない日本にとって、海外で生産された水素を国内に輸送し、利用する意義は大きいことを強調した。海外との協力、中でも連携を強める必要があるとしたのが中国。今後、日本が水素社会に向かう中で、さまざまな新しい規制がつくられると予想される。技術開発で勝っても、厳しい国内規制のため事業化で後れを取る。こうした事態を避けるためにも、中国との連携を強化する意義は大きい。両国で協力して水素利用の国際基準をつくりあげることで、日本の企業の国際競争力強化も期待できる、と杉田氏は指摘した。
(文: 科学記者 小岩井 忠道)