STからSTIへの転換を掲げる~インド科学技術政策の展望②

2022年11月30日

松島大輔

松島大輔(まつしま だいすけ):
金沢大学融合研究域 教授・博士(経営学)

<略歴>

1973年金沢市生まれ。東京大学卒、米ハーバード大学大学院修了。通商産業省(現経済産業省)入省後、インド駐在、タイ王国政府顧問を経て、長崎大学教授、タイ工業省顧問、大阪府参与等を歴任。2020年4月より現職。この間、グローバル経済戦略立案や各種国家プロジェクト立ち上げ、日系企業の海外展開を通じた「破壊的イノベーション」支援を数多く手掛け、世界に伍するアントレプレナーの育成プログラムを開発し、後進世代の育成を展開中。

インドの科学技術政策を考えるうえで、その推進体制から見ていくこととしたい。インドの科学技術省(Ministry of Science and Technology)は基礎研究を司る、科学技術庁(DST: Department of Science & Technology)、バイオテクノロジーに特化して推進するバイオテクノロジー庁(DBT: Department of Biotechnology)、そして応用化学として社会実装を目指すミッションを帯びた科学産業研究庁(DSIR: Department of Scientific & Industrial Research)の、以上3つの組織によって構成されている。DSTが1971年と最も古く、その後、1985年にDSIRが、翌1986年にDBTが設置された。これらの体制を前提に、科学技術政策を展開するのであるが、各分野別でもいくつかの省庁で所掌が林立しているのが特徴である。例えば、人的資源開発省は高等教育を所管し、主に人材育成の観点から行政分野を構成する。また個別には、宇宙庁や原子力庁、地球科学省などもある。日本では経済産業省が所管となる新・再生エネルギー省や繊維省、環境省が所管する環境・森林・気候変動省、厚労省が所管する保健家庭福祉省、伝統医学省、総務省(旧郵政)が所管する電子IT省、また、国土交通省関係である鉄道省に分散している。

日本人の感覚から言えば、こうした省庁の林立状態は、いわゆるセクショナリズムやレッドテープを招き、行政の硬直化を招くのではないかという懸念もあるだろう。しかし、インドでは、多くの場合、政治レベルでは、1人の大臣が多くの省庁のトップに兼任して指導に当たる例も見受けられる。また、行政レベルでは、IASによる統治が大きな効果を生むだろう。IASとはIndian Administrative Serviceとよばれるインド高級官僚であり、日本のかつてのキャリア官僚(国家I種採用事務官)のような位置づけである。以前このシリーズでも紹介した通り、彼らはカーダー(State cadres)と呼ばれる各州の所属を得て、バッチ(Batch)と呼ばれる年次によって、厳格に仕切られる。毎年200人にも満たない数の採用者で、13億人に達しようとする人口を統治するのであり、大英帝国時代の統治機構から続いており、かつてマクロ経済学の始祖といえる経済学者J.M.ケインズ(John Maynard Keynes)も出仕した英国インド省の戦略の結果として、統治のレガシーといえるだろう。世界最大の民主主義国家と形容されるインドだが、「お上」のご威光も強く、インドの行政機構と仕事をした方ならよくわかるだろうが、どちらかといえば、「官尊民碑」のイメージが強い。令和の日本では考えられないような「厳格な」対応を経験した方もおられるだろうし、また小間仕えのような集団が、それぞれの官僚の下で働いており、かつての日本のように「下から根回しする」ということは全く意味がない。明治時代の帝国官僚の自伝や日記などを読むと、どうやらそのあたり時代の日本の官僚に近いイメージがある。

インド駐在時、どのようにしてIASが、少数で統治機構を持続的に運営しているのか関心があり、ことあるごとにいろいろなIASの方々について回ってその生態を観察していたことがある。その結果分かったのは、日本に比べ、「自分にしかできないことしかしない」という原則である。つまり、あくまで判断に徹し、それ以外の作業は、小間仕えのような方々が対応する。場合によっては業界団体を巻き込んで、指示を出しつつ、データやエビデンスを集め、場合によっては、政策そのものの素案を求め、これらを吟味するところに注力しているようである。ある意味、統治機構としては極めて合理的であり、無駄がない。地方分権と中央集権の絶妙なバランス。各省庁の調整とインセンティブ構造を制度的にきちんと設計している点など、日本の行政改革の模範として検討して欲しいと思うほどである。

インドの科学技術政策において、「イノベーション」に言及されるようになってきた過程が特徴的である。2020年という年は、世界的に新型コロナウィルス感染症によるパンデミックによって大きな転換点となってしまった。しかしインドの科学技術政策にとっては、この2020年は重要なマイルスストーンとして位置付けられてきた。前政権であるマンモハン・シン(Manmohan Singh)首相当時の2013年1月、国家イノベーション評議会(National Innovation Council)の創設に併せてインド科学技術省が発表した「2013年科学・技術・イノベーション政策」のなかで、2010年からの10年間の見通しを示したものである。ここでインド政府の方針としては、2020年までに世界第5位以内の科学大国になることを目的にしており、科学技術やイノベーション・システムであるSRISHTI (Science, Research and Innovation System for High Technology-led path for India の頭文字の略である)の構築を表明している。因みにこの"SRISHTI"という言葉は、サンスクリット語で「神による生きとし生きるものの世界の創造」を意味している。ちなみに、インドでは、こうした略称を使用することが好まれる傾向にある。

さらにその後継として、2020年、インド科学技術庁は、新たな科学技術イノベーション政策文書(Science Technology and Innovation Policy (STIP) 2020)ドラフトを発表している。そこでは、科学技術イノベーション(STI:Science & Technology and Innovation)を、経済成長と人間開発の主要な推進力と位置づけ、科学技術とイノベーションに関するシステム構築を進める方途を示している。

そこでは大きく3つの点が注目される。

第1は、研究データベースの整備である。これまでの公的資金による研究成果をIndian Science and Technology Archive of Research(INDSTA)という専用ポータルを構築して共有する。これまでの政策的支援による成果を一般に公開することによって、情報の流通を活性化していく。

第2として、教育・人材育成のため、高度教育研究センター(HERC)や共同研究センター(CRC)、さらに教員のスキル向上を目指す、教育学習センター(TLC)の設立が謳われ、教育の質の向上を主眼に科学技術・イノベーション政策を推進していくという。これら矢継ぎ早に各センターを設立することで、実施機関を充実させることを狙っている。

第3は、官民連携による資金調達を目指す、革新的研究エコシステムの高度なミッション(ADMIRE)イニシアチブである。そして、その先には、資金調達環境の体系的なガバナンスを確保するためにSTI開発銀行の設立が展望されている。同時に、技術移転やインド国内での技術の自立にも目配せされ、民間セクターに科学技術やイノベーションの開発意欲を誘因する戦略的技術開発基金(STDF)を目論んでいる。

これらを踏まえ、遂に、今後10年でインドを世界トップ3の科学超大国に押し上げるという目標を鮮明にするとともに、人間を中心の科学技術・イノベーション・エコシステムの強化、常勤の研究者数倍増などを目指すこととしている。

つまり、科学技術(ST)から科学技術イノベーション(STI)への転換というポイントが重要になる。参考の表にみるような科学技術政策文書の変遷を遂げており、2013年以降、科学技術とイノベーションが唇歯輔車(しんしほしゃ)の関係として、取り組みが現実味を帯びてきている。

発表年 発表内容
1958年 科学政策決議 Scientific Policy Resolution of 1958
1983年 技術政策声明 The Technology Policy Statement of 1983
2003年 科学技術政策 The Science and Technology Policy of 2003
2013年 科学技術とイノベーション政策2013 Science Technology & Innovation Policy 2013
2020年 科学技術イノベーション政策2020ドラフト Science Technology and Innovation Policy (STIP) 2020 Draft
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