2025年10月10日 光盛 史郎(JSTアジア・太平洋総合研究センター フェロー)
インドの政府系シンクタンクNITI Aayogは9月15日、"AI for Viksit Bharat Roadmap: Opportunity for Accelerated Economic Growth"と題する「先進国インド」実現のためのAIロードマップを発表した。同ロードマップは、2047年までの先進国入りを目指すインドの国家ビジョン「Viksit Bharat(先進国インド)」の実現に向けて、AIの可能性を具体的な成果につなげるための行動計画で、①あらゆる業界におけるAI導入の加速、②AIを活用した研究開発の変革、の2点に焦点を当てて取り組むべき道筋を提示している。
ロードマップには、昨年3月にインド政府が公表したAI戦略「インドAIミッション」を補強する観点も含まれており、インドのAIを巡る取り組み動向や今後の方向性を理解する上で参考になると考えられることから、以下に主要ポイントを概説する。
ロードマップを公表したNITI Aayog CEOのB.V.R. Subrahmanyam氏は、「はじめに」において、「インドがViksit Bharatの実現に必要な年間8%の成長率まで加速させるには、経済全体の生産性を大幅に向上させ、イノベーションを通じて新たな成長を切り開く以外に選択肢はない」とした上で、AIはそのために決定的に重要な梃子(lever)となり得ると述べている(現在の成長率5.7%と目標の8%を比較した場合、2035年に1兆7000億ドルの成長ギャップが生じると予測されている)。
ロードマップでは、前述した2点、すなわちAI導入の加速とAIを活用した研究開発の変革がAIの潜在能力を最大限に引き出し、成長ギャップを大幅に埋めるための梃子であるとし、具体的には、①AI導入の加速により2035年までにインドのGDPを5000億~6000億ドル押し上げ、②AIを活用した研究開発の変革により、同じく2035年までにGDPを少なくとも2800億~4750億ドル増加させる可能性があるとの予測結果を示している。
AI主導による価値創出は、インフラ、ガバナンス、産業、人材育成等に跨がる戦略的イネーブラーの構築にかかっているとし、以下の点を強調している。
インド政府が2024年3月に承認したAI戦略「インドAIミッション」(5年間で1000億ルピー超を投入)について言及し、同ミッションの取り組みが堅牢なインフラ基盤の整備に役立つとする一方、AIの潜在能力を最大限に引き出すためには、人材パイプライン、セクターレベルでのAIの導入、持続的な実行、エコシステムの連携も重要であるとしている。
同ミッションでは、インドがAI競争で成功するために必要な要素として、コンピューティング能力/AIインフラ、データ、人材、研究開発、資本、アルゴリズム、アプリケーションの7つの柱を設定するとともに、独自の大規模基盤モデルの開発促進が打ち出されている。
しかし、これまでの取り組みについては、AIインフラの構築に重点が置かれ、人材、データ、研究開発には十分なリソースが投入されていない(米カーネギー国際平和基金のインドの政策シンクタンク、カーネギー・インディア)と指摘する声も出ていた。今般のロードマップは、これまでの取り組みをさらに補強し、特にAIの潜在力をインドの成長に結びつけるための具体的な道筋が示されたものと捉えられる(「インドAIミッション」を含むインドのAI関連政策動向ついては、文末の関連記事に挙げた弊所調査報告書「アジア・太平洋主要国における人工知能(AI)の政策と研究開発動向」(2025年3月)に詳しいので参照されたい)。
ロードマップでは、さらに成長に貢献し得る潜在的なアウトカムとして、インドの世界のデータ首都化、AIスキル育成エコシステムの開発支援、ターゲットを絞ったAIの導入、雇用と産業の大規模変革、の4点を挙げている。また、前述の2つの梃子がもたらし得る効果について以下の分析結果を示している。
16業界、850以上の職種を対象に2100以上の業務活動を検証した結果、AIの導入により人的資源をより高付加価値な業務に再配分することで、2035年までにインドのGDPを5000億~6000億ドル押し上げる可能性がある。
業界別では、2035年までに金融サービス市場で現在の業界の推定成長率を上回る500億ドルから550億ドル規模、製造業でインドの現在の成長率を上回る850億ドルから1000億ドル規模の経済効果を生み出す可能性がある。
選定されたグローバル成長分野18分野のうち、10分野でAIが飛躍的な成長のための最も重要なドライバーであると特定された。商業化の加速、既存バリューチェーンの破壊、永続的な競争優位性の創出といった画期的イノベーションにより、10分野全体で、2035年までにインドのGDPを少なくとも2800億~4750億ドル押し上げる効果をもたらす可能性がある。代表分野として、医薬品と自動車業界を取り上げAIがもたらす機会について以下のように分析している。
ロードマップは、インド経済におけるAIの潜在的な影響の全体像を可視化することは困難とした上で、これは出発点であり、本アプローチが物流、建設、小売業など他のセクターにも適用し得るとしている。また、インドがAIを導入する上で労働力の移行が重要な役割を果たすとし、そのための課題として、高度なデジタルスキルやAIスキルを備えた人材の育成と機会の確保、職を失った者のスキルアップ、再配置と有益な雇用の確保を挙げている。さらに、インドは国内需要を拡大するとともに、グローバル・バリューチェーンへの参加を強化する必要があるとし、そのためには(国内の)産業政策と(対外的な)貿易政策との整合性が求められるとしている。
ロードマップを発表したNITI Aayogは、インド電子情報技術省(MeitY)、科学技術庁(DST)とともに、インドのAI関連政策を立案してきた政府系シンクタンクである。この時期に「Viksit Bharat(先進国インド)」実現に向けたAIロードマップを公表した主要な背景要因には、米国との貿易摩擦による国内経済への影響と先の見通せない不透明感があるものと推察される。
このような状況下において、インドにとってAIは、経済全体の生産性を大幅に向上させ、新たな成長を切り開くうえで「決定的に重要な梃子」(NITI Aayog CEOのB.V.R. Subrahmanyam氏)であり、成長ギャップを埋めるいわば切札として死活的に重要性を増しているものと捉えられる。インドAIミッション下で開発が進む独自のAI基盤モデルやロードマップの2つの梃子(AIの導入加速とAI活用による研究開発の革新)の実践により加速するインドのAI動向について、より解像度を上げて注視していく必要がある。
NITI Aayogは、今回のロードマップと同時に第3の梃子として"Frontier Tech Repository"を発表した。ロードマップがセクター別の実践的な行動計画であるのに対し、"Frontier Tech Repository"は、各州や地区が技術を社会に役立てるための基盤整備を支援するもので、ロードマップを補完するものとしている。インドの農業、医療、教育、国家安全保障の4つの分野において、州政府やスタートアップが人々の生活を変革するためにAIを含むテクノロジーをどのように活用しているのか、200件以上のユースケースをインパクトストーリーとしてポータル上で分かりやすく紹介しているので、ロードマップと併せて参照されたい。