この研究結果は、がんの早期予防戦略の開発に役立つかもしれない。(2025年11月17日公開)

インドのベンガルールの研究チームは、特定の変異がヒトの肺の腫瘍を引き起こす原因を発見した。しかし、同じ変異であってもヒトの乳房では腫瘍を形成せず、がんの発生リスクは低下する。
eLife誌に発表されたこの研究を実施したのは、インド理科大学院の生物工学部と物理学部の研究チームである。
チームはヒトの上皮組織に注目した。上皮組織は重要な臓器を覆う薄い細胞層である。だが、なぜ上皮組織なのか?生物工学部の博士課程学生で研究論文の筆頭著者であるアムラパリ・ダッタ (Amrapali Datta) 氏によると、「ヒトのがんの80%は上皮組織から発生する」ためである。
ダッタ氏は、上皮細胞は体の第1バリアとして機能し、常にストレス、損傷、変異にさらされていると説明した。実際、肺と乳房の上皮組織はどちらも「がんに対する上皮防御」、つまり腫瘍細胞に対する上皮の自然な働きを表す。そのため、チームは乳房と肺の上皮組織の両方に発生する特定の癌性変異を調べた。
乳房上皮組織と肺上皮組織が明らかに異なっていることは、昔から知られていた。乳房上皮は比較的安定している。細胞は密集し、強固な接合部が形成され、小さくまとまっている。一方、肺上皮は呼吸のたびに伸縮するため、細胞は柔軟性が高く、細長く、結合は緩やかである。
チームは、ライブイメージングとコンピューターモデルを組み合わせることで、こうした差異が乳房上皮よりも肺上皮の方が腫瘍を増殖しやすい理由に直接関わっているという結論を出した。
乳房組織でがん性変異が発生すると、単一遺伝子変異細胞は押し出され、細胞群はくっつきあう。肺組織では同じ変異細胞であっても広がりやすく、指のような形を作る。
チームは、正常細胞と変異細胞が「綱引き」のような力を作り、その力ががん細胞の除去、補足、又は増殖を決定することを発見した。つまり、細胞力学は組織特異的ながんリスクの説明に使える。ダッタ氏は「細胞力学が変異細胞の抑制や拡散を直接決定することを知ったとき、驚きました」と語った。
乳房上皮では、腫瘍の周囲に帯状構造が形成される。するとこの帯状構造が張力を高め、変異した細胞の塊を締めつけ、単一遺伝子変異細胞を押し出すことは珍しくない。このようにして、帯状構造は腫瘍を抑制する。
肺上皮の細胞は細長く、運動性が高く、結合が弱いため、帯状構造は形成されない。したがって変異細胞は生存し、成長を続け、組織内に拡散する。
しかし、ダッタ氏は、力学と組織の生物学的挙動の直接の関係について、チームはまだ証明するに至っていないと念を押した。そもそも、変異細胞と非変異細胞の境界が力学的に緩んだり、引き締まったりする原因ははっきりしていない。
この関連性を証明するには、肺上皮細胞の能力を高め、変異細胞の周りに帯状構造を形成して変異細胞を抑制できるようにしなければならない。「それが実現できれば、組織の力学が変異細胞の運命と相関しているだけでなく、実際に制御していることの強い証明になることでしょう」とダッタ氏は述べた。
チームの研究により、変異が腫瘍、そして最終的にはがんへと増殖するのを防ぐ経路が実証された。この経路は、健康な細胞が周りにある異常な細胞や不適合な細胞を物理的に感知し排除する能力を利用している。「したがって、この力学的バランスを強化又は維持することで、がんの定着を予防できるかもしれません」とダッタ氏は述べる。
一方、慢性的な炎症、喫煙、又は汚染物質への曝露により、肺細胞のがんに対する自然防御力が弱まることがある。炎症を抑制し、環境による損傷を回避して組織の健康を維持することで、上皮細胞の抗がん防御力を保つこともできる。
体内の生体組織に同じ力学が当てはまらない可能性があるため、さらに研究を進める必要がある。ダッタ氏は「長期的には、研究で得た力学的知見を早期がん予防戦略に応用することを目的としています」と語った。