韓国で続く「医学部定員増加反対集会」から見る教育業界の闇

2024年3月8日 松田 侑奈(JSTアジア・太平洋総合研究センター フェロー)

昨年6月に開催された「医者人力需給推移に関する専門家フォーラム」で、韓国では2050年には2万2千人の医者不足となる見込みとの分析がなされ、医学部定員の拡大が不可避な課題として浮上した。

文在寅・前政権時に一度失敗した医学部定員拡大政策であるが、尹錫悦・現政権では「今回は絶対譲らない」と、政策を貫く強い意志を示し、2024年2月、医学部定員2千人増加を正式に発表した。すなわち、2025年から医学部の定員が現在の3,058人から5,058人に増加する。地方の医師不足を解決するため、増加する2千人のうち6割は「地方限定募集」になる。

ただ最近、大韓医師協会の主導の下、既得権益層(医師)からの反対集会が日々エスカレートしている。延世大学の保健行政学科のチョン・ヒョンソン教授は、「医学部定員の増加を理由に医師達が反対集会を行う国は韓国しかない。日本も医者の定員拡大があったが、社会需要からという点を皆さん理解し、業界から反発が起きたりはしていない。他国では、年俸の増加を目的に集会が行われたケースはあったが、医者不足による患者さんの被害を前提にもっと稼ぐため、集団行動に踏みこむ国はなかった。実に恥ずかしい」1と語った。

今日まで1万人以上の研修医らが辞表を出し、職場を離れた人も9千人余りである。医師の突然の不在で、救急搬送された患者さんが適切な措置を受けられない、また約束されていた手術の日程が無期限延長されるなど、医療崩壊の場面も出ている。政府は、2月末までに復帰するように指示し、3月になっても復帰しない医師に対して医師免許停止を行うとし、集会の主導者らに対しては刑事罰も念頭に置いていると警告した。

そして3月4日、政府は復帰期限が過ぎたにもかかわらず仕事に復帰していない医師に対し、医師免許停止の行政処分を命じた。一旦停止期間を3カ月にしているが、反発が続く場合は、更に重い処分がなされる予定である。

経済開発協力機構(OECD)が公開した人口千人当たりの医師人数で韓国は常に下位圏に位置する。また、地方の深刻な医師不足、「小児科オープンラン(開店前から駆けつける)」と言われるほどの小児科医師不足2等により、医者数の拡充は必要な措置だと共感する人が多い。それなのに医師らはなぜ反対しているのか。その理由をまとめると下記の通りである。

  1. ① 医師が増えるとしても人気のある分野と首都圏だけに集中する傾向は変わらない。地方の医療環境の改善が先である。
  2. ② 医師が増えると医師の所得が低くなる。週80-100時間の体制でも我慢しているのは、未来が保障されているからである。今回の政策は不安を造成する政策である。
  3. ③ 狭き門を突破するためあれだけ苦労してきたのに、簡単に医者になれるのはアンフェアである。
  4. ④ 医師が増えると国民の医療費負担が増えるだけであり、根本的な問題は何一つ解決できない。

政府と既得権益層の対立が激しい中、医学部定員による教育業界の動きにも要注目である。

動き① 医学部定員増加により理工系で目立つ人材流失

チョン路学院(大手入試塾)の発表によれば、2024年にソウル大学に合格した2181人のうち228人(10.5%に相当する)が辞退している。そのうち85%が元々理工系に進学予定であったが、他大学の医学部に進学した学生である。

また就職率100%保障で人気を誇っている理工系の契約学科も辞退率が去年の2倍以上となった。チョン路学院の代表イム・ソンホさんは「契約学科に受かる人は理工系の上位1%に相当するほどの優秀な人である。だからあれだけの高待遇で募集を行っているわけだ。これを辞退するなら、他大学の医学部という選択肢しかないだろう。」3とコメントした。

理工系の教授達は、元々学部の人気順でいうと医学部>理工系学部>人文社会系学部であるため、医学部の定員が増えれば、理工系の上位圏は医学部に流れていくことは想定した。このため、大きく動揺する必要はないとしつつも、理工系人材の流失が長く続く可能性も否定できないので、今の段階から対策は必須であるとした。

動き② 文系の就職難は更に深刻化

理工系より深刻な問題を抱えているのは人文社会系である。

韓国には「ムンソンハム二ダ(文系ですみません)」というフレーズがあるほど、人文社会系、特に人文系の人気が低い。大学入試制度の改革(理系文系の交叉出願を可能にした改革であるが、実質理工系進学に有利な制度と言われている)、理工系人材育成政策、医学部の定員増加策に伴い、人文社会系の人気の無さはますます深刻になっている。

全国の4年制大学をリサーチした結果、この9年間で無くなった人文系学科は155に上る。大学関係者は、「大学への評価指標に就職率が含まれている。人文系は就職率が低いため、他学科と統合されたり、廃止されたりするケースが多い。特に純粋学問、人文学がそうである。定量性の大学評価制度が改善されない限り、このような現象は続くだろう」4とした。

深刻な就職難で卒業を延期し休学している学生も増えている。チョン路学院の発表によれば、2022年の首都圏の大学の休学者のうち54.5%が人文系の学生である。卒業してもすぐに就職先が見つからないため、休学を選択し、必要な資格を取得する学生が増えている。

韓国教育部のR&D支援規模を見ても、人文社会系の課題数は2016年の74件から2020年には45件に、予算は270億ウォンから180億ウォンに減少された。半導体人材15万人育成政策や契約学科等、様々な対策が講じられてきた理工系とは対照的である。

自身の利益のため集会を行う医師らに対し、人々は猛烈な批判を展開している一方、皮肉なことに、医学部定員増加の発表に伴い、医学部進学希望者が殺到している。

今年の大学入試も医学部と理工系に人材が集中される見込みである。私立高校(上位圏の学生が集まるとされる)の3年生のうち7割が医学部か理工系に進学予定である。教育部長官イ・ズホ氏は「現存の大学入試制度が多少アンフェアであることを認める。個人の特性、適正、興味中心ではなく、入試に有利な科目を選択するように誘導している形となって、数学等理系科目が得意な学生に有利な仕組みになっている。2028年からはフェアな制度を目指し改革に取り組んでいる」5と明かし、医学部や理工系に集中される現象の改善を期待していいとした。

ただ、ほぼ毎年変わる入試制度に人々は不信感を隠せない。政府は文系を重視するとしつつも、実際打ち出される政策は依然として理系に集中されている。韓国においては理系集中現象が暫く続くと予想する。人文系が競争力を保つためには、評価指標の変更と予算支援と投資が不可避であるが、いずれも実施の目途が見えないからである。

上へ戻る