韓国新大統領と科学技術政策の行方

2025年6月6日 安 順花(JSTアジア・太平洋総合研究センター フェロー)

6月3日行われた韓国の大統領選で李在明(イ・ジェミョン)氏が当選した。前大統領の罷免による補欠選挙だったので、李大統領の任期は投票翌日の4日からスタートした。

2024年12月3日尹錫悦前大統領の非常戒厳宣布により国政混乱に見舞われた韓国は、政権交代による新政権の発足で、様々な政策変化が予想される。ここでは、李大統領の科学技術関連の選挙公約と主要論点に基づき、新政権の科学技術政策の方向性と課題をとりまとめる。

10大公約

李大統領は大統領選で優先すべき10大公約を以下のように掲げた。

  1. (経済・産業)世界を先導する経済強国となる。
  2. (政治・司法)内乱克服とK-民主主義(韓国型民主主義)の立ち位置を回復することで民主主義強国となる。
  3. (経済・産業)家計・零細事業者の活気を高め、公正経済を実現する。
  4. (外交・通商)世界秩序の変化に実用的に対処する外交安保強国となる。
  5. (司法・行政・保健医療)国民の生命と安全を守る国となる。
  6. (行政・経済・産業)世宗(セゾン)市を行政首都とし、「5極3特(5つのメガシティと3つの特別自治道(県))」を推進することで国土均衡発展を成し遂げる。
  7. (教育・経済・福祉)労働が尊重され、すべての人々の権利が保障される社会を創る。
  8. (経済・福祉)安定した暮らしで児童・若者・年寄りなど皆が豊かな国とする。
  9. (教育・福祉)少子・高齢化の危機を乗り越え、子供から年寄りまで一緒に助け合う国とする。
  10. (環境・産業)未来世代に向けて気候リスクに積極対応する。

上記の10大公約のうち、科学技術に関わる 1 と 10 について主要論点を中心で紹介する。

AIに100兆ウォンを投資

李大統領は「世界を先導する経済強国」を最も優先すべき課題として掲げた。そのためにAIなど新産業の重点育成を通じて新しい成長基盤を構築すると明らかにした。具体的な目標として、AIトランスフォメーションを通じた「AIトップ3」への跳躍を掲げて、以下のような施策を示した。

  • AI予算を主要先進国レベル以上に増額し、官民投資100兆ウォン時代を開く
  • AIデータセンター建設を通じて「AIハイウェイ」構築及び国家革新拠点の育成
  • 高性能GPU5万枚以上を確保、国家AIデータ集積クラスターを造成
  • 「みんなのAI」プロジェクト推進及び規制特例を通じたAI融合・複合産業の活性化
  • AI時代を主導する未来人材育成教育の強化

また、このようなAI政策を推進するために、現在の大統領直下の「国家AI委員会」の役割を強化し、国家レベルのAIトランスフォメーション戦略を策定・推進するための「AI戦略機構」を設置する案も含まれている。併せて、大統領室に「AI政策首席」を新設するなど、強力なリーダーシップに基づいた組織体制で積極果敢な政策実行を予告している。

ただし、投資財源となる100兆ウォンの調達方法について具体的な触れておらず、AI基盤モデルの国産化を通じて全国民に無料で生成AIサービスを提供するという「みんなのAI」プロジェクトについてはその実現可能性を疑う声もある。

脱原発・再生可能エネルギー移行に拍車

今回大統領選で最も争点となったのは環境・エネルギー政策だった。 李大統領は公約を通じて気候リスクへの対応及び脱炭素産業構造への転換を掲げた。そのために、先進国としての責任に相応しい温室ガス削減目標の設定、再生可能エネルギー中心のエネルギーシフトの加速化、エネルギー・ハイウェイの構築を挙げて、その方策を示した。主な内容は以下の通りである。

  • 〇 先進国としての責任に相応しい温室ガス削減目標の設定
    • 2030年までの温室ガス削減目標達成、より詳細な科学的根拠に基づき2035年以降の削減ロードマップを策定
    • 2028年「気候変動枠組条約締約国会議(COP33)」の誘致など
  • 〇 再生可能エネルギー中心のエネルギーシフトの加速化
    • 2040年までに石炭火力発電所を閉鎖
    • 太陽光・風力年金(地域の太陽光・風力発電など再生可能エネルギーからの収益を住民と共有する地域型年金)の拡大、農家太陽光設置による住民所得増大及びエネルギー自立を実現
    • 太陽光離隔距離規制及び再生可能エネルギー電力購入契約(PPA)の改善など
  • 〇 経済成長の大動脈「エネルギー・ハイウェイ」の構築
    • 2030年までに西海岸に、2040年までに韓半島(朝鮮半島)にエネルギー・ハイウェイ(水素・再生可能エネルギーなど電力を広域的に輸送するための基幹インフラ)建設
    • 分散型再生可能エネルギー発電を効率的につないで運営する「知能型電力網」構築など
  • 〇 カーボンニュートラル産業への転換による経済と環境の調和的発展
    • 太陽光・風力・EV・バッテリ・水電解・ヒートポンプなどカーボンニュートラル産業の国産化及び輸出競争力の向上
    • RE100産業団地造成により、輸出企業の気候通商への対応力を支援
    • 気候テックR&D予算拡大など

李大統領は世界的な潮流に合わせて、脱原発、再生可能エネルギーへの迅速な移行を強調した。そのために、気候・エネルギー省の新設も検討しており、今後脱原発・再生可能エネルギーへの移行は加速化すると予想される。ただし、原子力産業育成を重点的に推進した前政権の政策をひっくり返すことで、混乱を招きかねない。また、地理的制約、発電コスト、安定的電力供給、経済安全保障の観点から、急進的に進めてはいけないという声もあり、難航が予想される。

他にも李大統領は前政権でのR&D予算削減に対する批判を受けて、科学技術研究開発予算を大幅拡大し、自治体が自律性をもってR&D投資の方向性を決める「地域自律R&D制度」も積極推進すると明らかにした。

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