【AsianScientist】 脳内の分子「ブロッカー」がうつ病治療の鍵を握る可能性

韓国の研究チームは、特に高齢患者について、脳の自然な抗うつ反応を阻害するかもしれない「Numb」と呼ばれるタンパク質を発見した。(2026年3月2日公開)

大うつ病性障害 (MDD) は、あらゆる年齢層の人々の気分や思考に影響を与える複雑な精神疾患である。その原因は遺伝的・生物学的・環境的要因が絡み合っているため、治療は困難である。世界で最も一般的な精神疾患の一つであるにもかかわらず、その背後にある正確な分子機構は未だ十分に解明されていない。

最近、韓国科学技術院 (KAIST) の研究チームは、うつ病に関連する新たな分子経路を発見した。チームは、自殺した人の脳組織を検体として、RNAシーケンシングと免疫組織化学分析を行った。

また動物モデルを使い、光遺伝学技術を用いて光で細胞活動を制御すると神経回復を助けるシグナル伝達経路を変えることができ、抗うつ効果が回復できることを証明した。

この研究結果はExperimental & Molecular Medicine誌に発表された。

チームは、記憶と感情を司る脳の部位である海馬、特に歯状回 (DG) に注目した。DGは海馬への情報の入り口であり、新しい記憶の形成、ニューロンの生成、感情の調節に重要な役割を果たす。これらのプロセスはいずれもうつ病と密接に関連している。

研究にはうつ病マウスモデルとして確立されているコルチコステロンストレスモデル及び慢性予測不能ストレスモデルという2つのモデルが用いられた。チームは、ストレスが発生するとDGの中でシグナル伝達受容体FGFR1(線維芽細胞増殖因子受容体1)の発現が著しく増加することを発見した。FGFR1は成長因子 (FGF) からのシグナルを受け取り、細胞の増殖と分化を制御する。

その役割をさらに詳しく調べるため、チームはFGFR1遺伝子を欠損させたコンディショナルノックアウト (cKO) マウスを使用した。これらのマウスはストレスに対する感受性が高く、うつ病症状の発現が早かったことから、FGFR1が神経系の安定性と回復力の維持に不可欠であることが示された。

チームは次に、光でFGFR1を活性化するために、オプトジェネティクス技術を用いる「optoFGFR1システム」を導入した。FGFR1受容体を欠損させた、うつ病傾向を持つマウスのFGFR1を再活性させたところ、抗うつ効果が回復した。この発見は、FGFR1シグナル伝達を活性化するだけでうつ病行動を改善できることを示した。

しかしながら、高齢のうつ病マウスモデルでは、optoFGFR1システムを用いてFGFR1シグナル伝達を活性化しても抗うつ効果は得られなかった。

詳しく解析を行ったところ、Numbと呼ばれるタンパク質が高齢マウスの脳で過剰発現し、FGFR1シグナル伝達を阻害していることが明らかになった。

さらに、ヒト脳組織の死後解析を行ったところ、Numbは高齢のうつ病患者において特異的に過剰発現していることが確認された。研究チームがマウスを使い、遺伝子サイレンシングツール (shRNA) を用いてNumbを減少させると同時にFGFR1シグナル伝達を活性化させたところ、高齢マウスであっても神経新生と正常な行動が回復した。

これらの発見は、NumbがFGFR1シグナル伝達の「ブロッカー」として作用し、海馬が本来持つ抗うつ作用の発動を阻害し、さらにNumbがうつ病治療の新たな標的となる可能性を意味している。

KAIST生物科学部のウォン・ド・ホ (Won Do Heo) 教授は「本研究は、うつ病は単純な神経損傷を原因とするだけでなく、特定の神経シグナル伝達経路の調節不全によっても引き起こされることを明らかにした点で意義深いものです。特に、抗うつ薬が高齢患者に効果を発揮しにくい理由が分子レベルで解明されたため、Numbタンパク質を標的とした新たな治療戦略開発の手がかりとなると期待しています」と語る。

また、「さらに、本研究はKAISTの神経科学の専門知識と国立科学捜査研究院の法医学的脳分析技術を組み合わせた学際的なものであり、精神疾患の基礎研究と臨床応用の橋渡し研究となることが期待されます」とも述べた。

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