【オーストラリア最前線】大学と政府、公共の利益の最大化に向け協力

2022年 10月28日

ポール・ハリス (Paul Harris)
大学イノベーション研究連合(オーストラリア)常任理事

2021年9月、大学イノベーション研究連合 (Innovative Research Universities :IRU) の常務理事に就任。IRUに参加する大学は、地域社会を進歩させる包括的教育と革新的研究に熱心に取り組んでいる。
それ以前は、在米国と日本のオーストラリア大使館で外交官として勤務。2017年~21年まで、ワシントン DC のオーストラリア大使館に置かれているオーストラリア国立大学北米連絡事務所所長。この間、ジョージタウン大学の安全保障・先端技術研究センターの非常勤フェローにも任命されていた。在東京のオーストラリア大使館は2014年~2017年まで勤務し、参事官として教育と科学を担当した。
2010 年~13 年までオーストラリア国立大学 (ANU) に勤務し、研究者と政策立案者の間の新しい提携を支える革新的なプログラムの作成に従事。オーストラリア公共政策国家研究所とANUのHC Coombs政策フォーラム副所長、オーストラリア政府に出向し、産業・革新・科学・研究・高等教育省の科学政策担当総責任者代理を歴任した。
オーストラリアの国家科学機関である連邦科学産業研究機構 (CSIRO) に7年間勤務し、そこでは政府・国際関係の総責任者であった。政策立案における科学者の役割と責任に関する経済協力開発機構(OECD)グローバル・サイエンス・フォーラム専門家パネルにオーストラリア代表として参加。オーストラリア議会の上院委員会や出版・ジャーナリズムの分野でも活躍し、フルブライト国際科学技術賞の選考委員も務めている。ANUで修士号(国際関係学)取得。

キーポイント:

  • 教育と研究を民営化する政策は、公共制度をゆがめ、社会が公立大学に期待する完全な便益を制限する可能性を持つ。
  • オーストラリア政府が発表した新しいオーストラリア大学協定は、国の制度の最近の構造変化を調査し、私的利益が公共の利益を犠牲にしていないことを確認する重要な機会を提供する。

米国では、私立の4年制高等教育機関の数は、公立機関の 2倍以上になっている。米国の制度の中で、上位 10位の研究大学はすべて私立大学である。エリート私立大学の最高幹部たちが、現政権の政策が気に入らない場合は、自分たちに関係することだけを行い、政策終了を待てばよいと言うのを何度も聞いた。そのために政府が資金提供を保留しても、米国のエリート大学は莫大な私費があるので生き残ることができた。

オーストラリアの状況は根本的に異なる。オーストラリアには、長期政策に基づき州政府と連邦政府の両方から資金を受けて構築された公立大学制度がある。20 世紀半ばまで、オーストラリアには わずか6 つの大学しか存在していなかったが、現在は全国に 42 の大学があり、その大部分は公立大学である。

現在、私はオーストラリア全土にある公立の研究専門大学のグループである大学イノベーション研究連合 (IRU) のために働いていることを誇らしく思う。IRUに参加している大学の歴史は、1960 年代から 1970 年代初頭までさかのぼる。当時、両主要政党の政権下で、国家のニーズを満たすために革新的な形態の大学教育と研究への投資が行われていた。IRU の大学は、オーストラリアで初めて、環境の持続可能性やアジアとの結びつきの強化など重要な問題に焦点を当て、新しい学際プログラムを策定した。

教育と研究の民営化の動き

今日、オーストラリアの発展した公立大学制度は、世界的にも高く評価されている。しかし、近年、教育と研究の両方を民営化しようという動きがみられる。この動きはオーストラリアの公立制度をゆがめ、社会が公立大学に期待し受け取るべき完全な便益を制限する恐れがある。新政権のオーストラリア大学協定への約束は、公共政策をリセットし、教育と研究の両方を通じて提供される共通価値を最大化させることができる。

オーストラリアの大学生の場合、2020 年の Job-Ready Graduates (JRG) パッケージ政策が、高等教育への資金提供を大きく変えた。1989 年に有名な HECS制度が導入されて以来、政府は学生の学費を一部負担し、それが私的利益と公的利益の両方をもたらすと考えられていた。しかし、JRGの導入により学生は学費の多くを負担することとなり、学費の値上げが行われた分野もあった。

これによって、女性や先住民族など一部の学生たちが受けた影響は不公平なものになった。また、教育程度が高く熟練した社会(そこには21世紀の課題と機会に挑戦しようという気構えを持つ若い市民が存在している)が受ける実質的な公共の便益はあまり重視されなくなった。

政府予算に対しては聞くに値する要望が数多く存在するため、公的資金は紛れもなく逼迫している。しかし、公的資金の配分においても、目立たないが重要な変化が進んでいる。たとえば、オーストラリア政府が教育と訓練に提供する総支出の割合だが、2022 年の予算報告書は、大学への資金提供が 2016 年の28%から 2026 年の22%に減少したことを示している。その一方、私立学校への資金提供は32%から37%に増加している。

同時に、高等教育へのアクセスと公平性は滞っている。すべての人、特に恵まれない環境の学生が大学に通い、成功するチャンスを得られるようにするためには、やるべきことはまだ数多くある。IRU 全体の学生の うち50% は、家族の中で初めて大学に進学する者たちである。公平性の改善は正しいことであり、社会全体に広範囲かつ長期的な公共便益をもたらす。また、短期的には、コロナ後の人材不足への対応に役立つ。

研究に関して言えば、大学は政府の政策により、民間部門とのパートナーシップに重点を置き、特許や商業化などの指標を通じてその影響を測定するよう奨励されている。過去 10 年間で、IRU に参加する大学は産業界とのパートナーシップを 250% 以上増加させた。

大学は地域社会とつながるという意味で、大企業であれ小企業であれ、企業との関わりを使命の一部としなければならない。しかし、政策と資金提供は、他を犠牲にしてまで 1 つのつながりを優先すべきではない。オーストラリアの公立大学は、地域社会のグループや地方、州、連邦政府と提携して、新しい知識を最大限の公共の利益にするという重要な役割も担っている。

新研究商業化プログラムは継承

新研究商業化プログラムは前政権により発表され、新政権により実施される。このプログラムをオープンなものにし、社会全体の中でパートナーシップの完全な多様性と知識の移転を可能となるようにすべきである。特許をさらに重視して、大学の知的財産が生み出す経済的・社会的波及効果が生産性を向上させるようにすべきである。

長期的に見れば、IRUが社会に貢献できるものは単なる経済的利益以上のものであるが、公共の利益の測定は困難である。新しい大学協定の基盤の一部として、この困難に協力して取り組めば、優れた一歩を踏み出せる。

新政権は豪州研究会議 (ARC) の見直しも発表した。ARC は、国の制度の中で医大以外の大学の研究に資金を提供する主要な機関である。2001 年に ARC が設立されて以来、世界では研究とイノベーションのシステムが大きく変化したため、これは良い考えである。しかし、ARCがオーストラリアの制度のさらに広い枠組みの中でうまく機能するのかを見極める必要があり、また、基礎研究と応用研究、さらには科学技術 (STEM) 分野と人文科学、芸術、社会科学 (HASS) 分野の正しいバランスについて考える必要がある。

新しいオーストラリア大学協定に期待

将来、最大数の人々に最大の利益をもたらすイノベーションを成功させるには、分野と研究形態の多様性が欠かせない。新しいオーストラリア大学協定の手続きは、このような大きな問いを投げかけ、正しいバランスをとるための適切な場となる。

米国の制度とは異なり、オーストラリアの大学と政府は、公的制度から得られる公共の利益を最大化することを目指して結びついている。協定の手続きは過去数十年間に国内制度で起こった大きな構造変化を検証し、私的な利益が公共の利益を犠牲にしていないことを確認する重要な機会を提供する。

キャンベラ大学のキャンパス

グリフィス大学のキャンパス

ジェームズクック大学のキャンパス

ラ・トローブ大学のキャンパス
(提供:いずれもポール・ハリス氏)

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