2023年4月7日
樋口義広(ひぐち・よしひろ):
科学技術振興機構(JST)参事役(国際戦略担当)
1987年外務省入省、フランス国立行政学院(ENA)留学。本省にてOECD、国連、APEC、大洋州、EU等を担当、アフリカ第一課長、貿易審査課長(経済産業省)。海外ではOECD代表部、エジプト大使館、ユネスコ本部事務局、カンボジア大使館、フランス大使館(次席公使)に在勤。2020年1月から駐マダガスカル特命全権大使(コモロ連合兼轄)。2022年10月から現職
2月末にフォーリン・アフェアーズ誌Webサイトに科学技術に関する興味深い2つの論考がアップロードされた。同誌は、米国の外交評議会が発行している歴史ある外交・国際関係の専門誌だが、同誌のような外交専門誌に科学技術・イノベーション(STI)に関する論考が掲載されることは今では珍しくなくなった。STIは、複雑化する今日の国際関係を見極める上で不可欠のテーマの1つとなっている。
1つ目の論考は、エリック・シュミット氏(元グーグルCEO)による「イノベーション力:なぜテクノロジーが地政学の将来を決定するのか」 1、もう1つは、ダン・ウォン氏(テクノロジー・アナリスト)による「中国の隠された技術革命:中国はどのように米国支配を脅かすか」 2である 3。
STIを主要テーマとして扱いつつも、2つの論考の切り口は異なっている。後者は、もっぱら米中技術・産業競争という文脈において、米中双方の強みと弱みを比較しつつ、米国が中国に有効に対抗していくための道筋、特に中国が得意とするアプローチ(モノの製造拡大を通じて技術的なリードを拡大すること)から米国が学ぶことを提唱する。
前者は、現代ではイノベーション力が国家パワーの源泉になっていること、そのため国家間の技術・産業競争は地政学的競争の優劣に直結することを、ウクライナ戦争等を具体例に引きつつ、より一般的かつ包括的な形で論じているが、ここでもSTI分野での中国の急追に対する米国の問題意識と警戒感は鮮明で、中国に対抗するために米国がとるべき措置等についても幅広く論じている。
2つの論考は、STIを巡る米国から見た厳しい現状認識と米国が今後も技術覇権を維持していくために必要な施策について具体的に論ずるという点で共通している。
民間出身のシュミット氏は、オバマ政権下でPCAST(the United States President's Council of Advisors on Science and Technology)のメンバー、国防省の国防イノベーション諮問委員会(Defense Innovation Advisory Board)の議長、人工知能(AI)に関する国家安全保障委員会(National Security Commission on Artificial Intelligence)の議長等、政府関連の要職も務めてきており、現在は超党派の「特別競争力研究プロジェクト(SCSP, Special Competitive Studies Project)」を主宰している。彼はバイデン民主党政権下の政策動向にも少なからぬ影響力を有していると思われる。
シュミット氏の論考は、長文かつ論点は多岐に亘っており、そのすべてのここで紹介するのは紙幅の制約もあり難しいが、筆者が興味深いと思った論点に絞って挙げれば次のとおりである。
その上で、シュミット氏は、米国が引き続きイノベーション力を駆使して世界をリードするために米国政府が取り組むべきアプローチや施策を提示している。
シュミット氏は、「必要性が発明の母ならば、戦争はイノベーションの助産師だ」という。その上で、米国は平時においてこれまでにないスピードでイノベーションを達成しなければならず、それができなければ次の戦争を抑止し、あるいはこれに応戦して勝利する能力は浸食されると警鐘を鳴らす。「イノベーションに適切に対応しなければ、極超音速ミサイルは米国を無防備にし、サイバー攻撃が電力網を不自由にする可能性がある。中露等の権威主義国家が、アメリカ人の買い物の習慣や場所、さらにはDNAプロファイルに関する個人データを収集できる可能性があり、オーダーメイドの偽情報キャンペーン、標的型生物学的攻撃や暗殺すら可能になるかもしれない。こうした恐怖を回避するためにも、米国は確実に技術的な競争相手に先んじている必要がある」。ここでの問題意識と危機感は強烈である。
中国から猛追を受けつつも、米国は依然として世界の科学技術超大国である。その米国にしてこれだけ強烈な問題意識を有していることには、日本(残念ながら米国にかなり劣後している)から見て驚かされる。こうした問題意識と改革マインドも米国のパワーの源泉の一部といえようか。
特に、外国移民の積極的な導入によって、すでに多くの国が陥りつつある人口(労働力)減少のデメリットを免れ、それを国力の源泉の1つとしてきている米国が、「それでもまだまだ移民が足らない」と考えていることに驚かされる。少子超高齢化社会を世界的に先導する形になっている日本として、この点についてどう考え、どうすればよいか、改めて考えさせられる。日本政府も最近、外国人の高度人材を増やすための新たな受け入れ策(高収入の技術者や経営者が1年で永住権を得る制度の新設、世界の上位大学の卒業生が就職活動で最長2年、日本に滞在できるようにする等)を決定した 4。主要国は、国際的な頭脳循環からメリットを積極的に引き出そうとして激しい競争状態に入っている。
シュミット氏は、米国が技術的・軍事的優位性を維持するために、SCSPが「オフセットX戦略」と称する競争的アプローチに基づいて防衛政策の一部を抜本的に見直す必要も提唱する。具体的には、サイバー攻撃への効果的な対応、ドローン群攻撃に対抗する防御的砲撃とミサイルシステム、戦場認識の向上のためのAI搭載センサーのネットワーク、オープンソース・インテリジェンスの活用、軍事ユニットのネットワーク化と分散化、兵器調達プロセスの改善(現状では時間とコストがかかりすぎる)等を提案する。
シュミット氏がSTIの軍事的な重要性を強調するのは、STIの軍事用/民生用の区別と境目が益々曖昧になってきていることと関連している。今や戦場は、民生用途の可能性を持つものを含め、先端技術の実験場となっている観がある。
同氏は、「ウクライナは、人と機械が協働して戦い、勝利すると戦争という、未来の紛争の予告編を示している」という。また、AIによってネットワーク化され調整されたドローン群が、戦車や歩兵隊を圧倒する可能性があるとし、「黒海では、ウクライナはドローンを使用してロシア戦艦や補給船を攻撃し、弱小海軍しか持たないウクライナがロシアの強力な黒海艦隊を抑えることを助けた」と指摘する。また、「2022年4月、ウクライナ軍は600フィートのロシア軍艦「モスクワ」(7億5千万ドル)に2発のネプチューンミサイル(一発50万ドル)を発射し、撃沈した」とし、高額なプレステージ装備品に投資するよりも、低コスト品をより大量に購入する方が理にかなっていることを例証しようとする。こうしたウクライナの戦場における記述の臨場感と生々しさは、ウクライナによる攻撃が米国等から何らかの形で支援を受けている可能性すら暗示するほどである 5。
(㊦に続く)