2023年7月19日 聞き手 科学技術振興機構(JST)参事役(国際戦略担当) 樋口 義広
国際頭脳循環シリーズの今回のインタビューでは、パリの社会科学高等研究院(EHESS)教授で、EHESSの日仏財団(FFJ)理事長を務めるフランスの経済学者、セバスチャン・ルシュバリエ博士に話を聞いた。
科学技術やイノベーションの最も重要な側面の1つは、それをいかに社会に応用できるかということである。Society 5.0の実現を目指す日本にとって、国際的な頭脳循環は、その実現に必要な知の結集を促す重要な要素である。社会科学者は、新しいテクノロジーを社会とすべての人に幸福をもたらすような形で結びつける重要な役割を担っている。
セバスチャン・ルシュバリエ博士は、大学院時代から日本との関わりが深く、社会科学と技術・工学の融合の推進に尽力している。インタビューでは、同博士が日本を好きになり、アジアの資本主義に関心を持つようになったきっかけ、国際頭脳循環の推進要因、社会科学と物理科学の統合に関する見解、現在進行中の研究プロジェクトについて話してもらった。
インタビューに応じるセバスチャン・ルシュバリエ博士。若手客員研究員として来日した際に日本で受けた歓待に感動し、日本の研究者への恩返しとしてFFJを創設した
私は経済学者だが、最初は労働経済学者としてスタートし、その後、生産性やイノベーション、テクノロジーなど、他のテーマにも手を広げてきた。フランス人の同僚の多くは、映画や文学、漫画やアニメなどの文化を通じて日本に興味を持つようになったが、私の場合は、失業問題という少し深刻なきっかけがあった。
私が若い頃、フランスの経済や社会の重要な特徴の1つは、失業率の高さだった。すぐに私は、自分がこの問題の軽減にどのように貢献できるかに関心を持った。私が博士課程に入ったころは、ヨーロッパとアメリカの労働市場を比較するのが一般的で、その結論はシンプルだった。私もアメリカとフランスの比較を始めようとしていたが、運良く、上司であるロベール・ボワイエ博士に出会った。彼は1980年代後半から90年代前半にかけて日本を発見し、とても好きになっていた。彼は私に、「ほら、素晴らしいケーススタディになりそうな国があるじゃないか」と言った。
小渕内閣の時、日本は厳しい金融危機に直面し、成長率もそれまでと比べると低かった。失業率は4%程度でしかなかったが、それでも日本国民は不満だった。小渕総理が失業率の高さについてテレビで謝っていた時、フランスではジョスパン首相はテレビに出て、「失業率は9%になった。これは大成功だ!」とアピールしていた。
これが私の日本との出会いだった。この25年間、日本の経済と社会を研究してきた。日本人の経済に対する態度、すなわち人々の間に一定の平等性を保とうとする態度に非常に興味を持った。このことは、現在の岸田内閣が提唱している「新しい資本主義」や、経団連が提唱する「持続可能な資本主義」という考え方にも受け継がれている。日本では、企業は利益を上げ、革新的でなければならないが、同時に従業員に対する責任もある。
現在、私は、Society 5.0のようなテクノロジーやイノベーションにより大きな関心がある。これは非常にユニークなビジョンで、イノベーションは社会福祉、高齢者のケア、社会問題の解決に捧げられる。おそらくこれは、アメリカやヨーロッパの多くの国では実現できないことではないか。私は、Society 5.0の出現に必要な条件を研究している。異なるタイプの知識を統合するのは簡単ではないが、やる価値はあると思う。
私は研究の一環として何度も日本を訪れているが、初めて訪れたときは、すべてが日本語で書かれていたため、完全に「訳がわからない」という感覚だった。にもかかわらず、日本の人々や厚生労働省や東京大学などの機関は私をとても温かく迎えてくれた。私に対して人々は、とても辛抱強く、データや書籍、情報にアクセスする際に手助けしてくれた。一人の若い外国人学者を歓迎するそのやり方に深く感動した。
FFJの設立は、日本に対する私の感謝の印であり、日本で享受した寛大さにお返しをしたいと思ったからだ。まだその1割ほどしか返せていないので、まだまだやるべきことはたくさんある。我々は、フランスを訪れる日本の学者を受け入れるために、ささやかな施設を提供している。当初は経済学者を招聘していたが、その後、さまざまな社会科学分野を統合すべく、研究者の範囲はテクノロジー、イノベーション、都市開発などの分野にも広がった。FFJにおける日仏の研究者の共同作業の成果として、2019年に「テクノロジーを超えるイノベーション」をテーマにした出版物を出した。
ルシュバリエ博士は、日仏の学術協力の促進を目的とするFFJの理事長を務める
(提供:FFJ)
外国から日本への人材流動性の話をする前に、これに関連するものとして、日本から外国への流動性についても一言述べたい。より多くの優秀な日本人研究者が海外で研究経験を積めば積むほど、彼らは日本に来る外国人研究者との協力により積極的になるだろう。ハーバードなど海外の一流大学に行く日本の若手研究者が減っていると聞いて心配しているし、日本政府関係者が「若い世代には海外に出る意欲がない」と嘆いているのもよく耳にする。日本人が国外に出る流動性は確かに下がっているかもしれないが、それでも海外に出る日本の若手研究者を過小評価してはならない。パリの自分のところで受け入れている日本人研究者は優秀だ。数は少し減ったとはいえ、彼らの仕事のレベルや質は依然として素晴らしい。このような研究者たちが日本に戻って、自分の知識や経験を共有することで、海外の研究者との交流を活性化する条件が作られることになるだろう。
海外から日本への人材流動性については、新型コロナまでの過去20年間、日本は学術界と高等教育を外に開き、国際化するための措置をとってきた。物事は良い方向に進んでいた。このことは、海外機関との協力協定や研究人材の流動性、外国人教授の採用数などに表れていた。このような重要な進展について、私はかなり楽観的に考えていた。
ところが新型コロナが広がり、突然、すべてがストップしてしまった。日本は完全に閉鎖された。これは他のアジア諸国でも起こったことだが、ヨーロッパでの対応とはまったく対照的だった。我々は、国民を守る努力をしながらも、特に学術分野では門戸を開けたままにした。新型コロナの期間はそれほど長くはなかったが、日本の国際化プロセスにマイナスの影響を及ぼしたと思う。我々はこのことから教訓を得るべきだろう。
現在、日本は再び外に開かれたが、私がアドバイスしたいのは、「新型コロナの期間は終わり、日本は国際化プロセスを継続し、海外の協力者を招きたいと思っている」という強いメッセージを示すことである。私は今、慎重に楽観視している。
私が見たところ、日本は図書館やデータなどの研究インフラが充実している。フランスでは、パリの北部に「コンドルセ・キャンパス」という社会科学専門の真新しいキャンパスができたが、図書館の質という点では今のところ、アメリカや日本のレベルには達しておらず、まだ多くの施設が不足している。
私自身の経験から言えば、日本の研究者は非常にオープンで、自分の研究成果を議論し共有することに積極的で、互いの研究に好奇心が強いと思う。外国人研究者にとってプラスになるのは、自分の研究に集中する機会と、他の人と議論する機会の間でバランスがとれていることだ。最高の研究環境は、この2つの機会が混在していることだと思う。
もちろん、引き続き改善すべき点はあるだろう。例えば、外国人研究者にとっては、日本語以外での情報にアクセスしやすくなることは有益なことだ。英語が科学分野での世界共通語である以上、より多くの情報を英語で入手できるようにすることは重要だ。この点は改善すべきかもしれない。
次に、少し矛盾するかもしれないが、学術研究において言語に起因する特異性を失わないようにすることも重要だと思う。日本語を、教育や研究のための言語として残しておくべきだ。ある概念をある言語から別の言語に翻訳することは可能だが、常にそうとは限らない。英語や他の外国語をもっと使うべきだが、同時に、日本語での研究を続け、その翻訳を進めていくことも重要である。
もう1つのポイントは、英語によるコミュニケーションという問題だが、日本の若い世代は英語で議論や意見交換ができるまで大きく進歩していると思う。日本の若者は海外に出たがらないからと批判されることもあるが、自分がセミナー等の現場で見たところでは、言語そのものが問題になっているわけではない。むしろ一般的に問題視されているのは、彼らが議論やディベートに対してあまりオープンな姿勢でないことだと思う。
このことは、日本内外の人的移動が交わるところで生じる問題なので、特に重要である。日本の若者がもっと海外で国際的な経験を積めば、帰国後の研究生活においても、さまざまなコミュニケーションにより積極的に取り組むようになることが期待できる。これが、相手への尊敬をもった対話やディベートに、あるいは異なる視点を議論する能力の向上に、つながることが期待できる。日本にはまだ改善の余地があり、このような文化を促進することで、学術・科学界がさらに活気づくと思う。
FFJは、日本人研究者をフランス・パリに迎え入れ、海外での研究活動を支援している。ルシュバリエ博士は、多くの優秀な日本人研究者がキャリアアップのために渡航していると述べ、日本から外国への人的移動と外国から日本への人的移動の相互関連と、そのことの国際頭脳循環にとっての重要性を強調した
これは、現在の私の研究の中核をなす非常に重要な問題だ。イノベーションというと、我々はエンジニアや技術提供者を思い浮かべがちだが、あまりにも長い間、我々は技術にのみに焦点を当て、実用的、社会的、経済的な意味合いを超えたところにあるテクノロジーの倫理的な観点を見落としてきた。私の考えでは、社会科学がイノベーションに貢献するためには、単に技術を市場につなげるだけでは不十分である。EUの研究資金を受ける際の重要な基準のひとつに、その研究における社会科学の位置づけがある。社会科学とテクノロジーの融合を高めることは、きわめて重要である。
こうした方向に向けての変化は喜ばしいが、まだ課題もある。以前は、社会科学者は「テクノロジーは自分の問題ではない』という意見を持っていた。しかし今は、イノベーションやテクノロジーは技術的なアイデアだけでなく、社会的な価値観にも関わってくると考えられている。同じ技術を異なる環境で開発する2つの技術者グループがあった場合、そこには異なる信念や価値観、優先順位が盛り込まれるため、成果に異なる特徴が生じる。
このことは、1990年代以降の日本の科学技術基本計画の変遷を見れば明らかだ。社会と社会科学の重要性はこの数十年の間に高まり、今ではSociety 5.0のビジョンの中で目に見える形にとなっている。社会科学者が貢献できることは明らかだ。しかし、具体的にどのような形で貢献できるのか。進歩を遂げることは重要だが、社会科学と工学をどのように統合できるだろうか。避けるべきなのは、社会科学者をプロセスの最後になってはじめて関与させることだ。テクノロジーを開発するエンジニアは、プロセスの最後になって、我々社会科学者のところにやって来て、「どうすればこの技術が社会に受け入れられるようにできるだろうか」といった話をすることが多い。
私は現在、ロボット工学と、高齢者介護が典型であるヘルスケアへのその応用を研究している。技術者にありがちな視点は、「自分が開発したこの技術は、この産業で使われていた。これを改造して、新しい分野に適用すればいい 」というものだ。これはベストのやり方ではない。社会科学者とエンジニアの協働は、最初の段階から始めるべきだ。我々は、同じ目標を持っていても、コミュニケーションの難しさがある。これは学際的研究における課題である。Society 5.0のような急進的な目標に向かって進む場合、社会科学はプロセスの最後ではなく、最初に位置づけられる必要がある。
私は、フランスと日本の研究者による大規模なコンソーシアムの一員として、「ケア主導型イノベーション」と呼ばれるプロジェクトに参加している。これはテクノロジーを超えたイノベーションの連続性に関する問題だ。重要なのは、技術イノベーションと、ケアに関連する問題、人と人との関係をどのように組み合わせることができるかということである。高齢者ケアにおいて、人間の幸福(ウェルビーイング)の多様な源泉をどのように特定できるだろうか。高齢者ケアの観点から新しい技術の利用を評価し、本来は主観的で個人によって異なるものである幸福を測定しようというアイデアだ。
現在、医師、政治学者、社会学者、経済学者等の専門家と対話を実施しているが、最初の1年間は、もっぱら幸福の基準や研究課題について合意することに充てられた。このプロジェクトは、社会科学と工学を建設的な形で相互連関させるべきことを示す好例だと思う。
このプロジェクトには、日本の複数の大学と、パリ、トゥールーズ、マルセイユ他にあるフランスの研究機関が参加している。このプロジェクトが向こう数年でどのように発展していくのか、楽しみだ。我々の野心はきわめて高く、最終的にどうなるかはわからないが、ベストを尽くしたい。我々は互いに同じ言語を話すわけではないので、現段階では、その道のりがいかに困難なものかということがわかるだけだ。問題は、言語的なものだけでなく、概念的な、学際分野に特有な言語の問題でもある。このような学際的な国際共同研究に実際に身を投じるのは、なおさら困難なことだ。
ルシュバリエ博士は、Society 5.0というビジョンと、日本のイノベーションに対する姿勢の独自性に惹きつけられた
ヨーロッパでは、そしておそらく北米でも、誰もが皆、アジアのことを知っていると思い込んでいるが、そこにはアジアの多様性を過度に単純化する傾向がある。フランスやヨーロッパについて、私の役割は、アジアの多様性を正しく理解するために、人々がアジアにもっと触れるようにすることだ。
アジアというと、30年、40年前は日本が中心だった。日本がアジアを完全に支配しており(それは一部正しかった)、みんな日本のやり方に従うというのが、その当時、圧倒的に見られた思考回路だった。しかし、ここ数年来、中国がそのポジションを奪った。多くの人はアジアと中国を同一視し、ベトナムのような他の国のことを忘れている。私は、ヨーロッパの人たちに、アジアの多様性をちゃんと見てもらいたいと思う。アジアでは物事が目まぐるしく進展しており、これをステレオタイプにとらわれず、ちゃんと見て正しく理解しようとすることには価値がある。私のところには、インドネシアやマレーシアなど、東南アジアの国々から来ている学生もいて、彼らから多くのことを学んでいる。ベトナムは急速に成長しているし、韓国は非常にダイナミックで、私の愛する日本は、超高齢化社会などいくつかの困難に直面している。私は、日本の「衰退」について話すつもりはない。もしそうなら、ヨーロッパも衰退していると言わなければならないからだ。それは、世界の他の地域が成長しているという事実の反映に過ぎないと思う。
ヨーロッパの視点からいえば、だからこそ、すべてのアジア諸国と、特に民主主義国家に焦点を当てて、対話をする必要がある。フランスやヨーロッパの人たちと話すときに私がアドバイスしたいのは、これらのアジアの民主主義国から来た仲間たちとの科学的対話を大切にするということだ。もちろん、中国の友人たちのことも忘れてはならない。数学や理論物理についてはわからないが、社会科学の分野では、中国人研究者が研究を行う条件が悪化しているのがわかる。これは大いに問題だと思う。
私の意見をまとめれば、アジアとの対話は、社会科学者が政府の干渉を受けずに民主的な環境で研究ができる国と行うべきだということだ。学問の自由は我々が日本と共有している基本的な価値観である。
その通りだ。個々の学術研究を含め、この総論からすべての教訓を引き出す必要がある。私はこの問題についてEHESS学長と議論しているし、フランス最大の研究機関であるCNRS(フランス国立研究センター)でも、この問題が議論されている。あらゆる国と協力を続けるべきだが、協力の仕方を差別化すべき根本的な理由があるということだ。
聞き手、 樋口義広・JST参事役(国際戦略担当)
インタビューは2023年5月19日、JST東京本部にて実施。
ルシュバリエ博士の日本愛とアジアの経済情勢に対する深い関心は、今回の取材の中で強く伝わってきた。異国での研究を理解し、そこから得た教訓は、FFJでの仕事を通じて、彼が国際的な研究流動化や頭脳循環に貢献することを可能にしている。広くアジアに目を向け、その多様性を理解しつつ、そこに見られる違いから教訓を得ることは、優秀な研究者を日本に呼び込む上で重要な要素の1つである。社会科学と物理科学の融合に向けた彼の業績がさらに発展することを期待したい。
セバスチャン・ルシュバリエ(Sébastien Lechevalier):
経済学者、パリ社会科学高等研究院(EHESS)教授、EHESS日仏基金(FFJ)理事長。
アジアの資本主義と日本に強い関心を持ち、日本の様々な大学等で研究経験を持つ。また、FFJ(日仏基金)の創設者かつ理事長でもある。最近は、キヤノングローバル戦略研究所(CIGS)の国際シニアフェローとしても活動している。
<EHESSについて>
EHESSは大学院のみの研究機関で、幅広い文化的・歴史的文脈の中で見られる様々な現代社会の研究に取り組む研究者を世界中から受け入れている。社会科学と人間科学のあらゆる分野において、博士号取得レベルまでの学生を育成する。留学生と外国人教員の割合が高いため、EHESSはユニークなグローバル学術ネットワークを構築している。また、年間1,000回を超えるラウンドテーブル・セミナーでは、教員や招へい研究者が最新の研究内容を発表し、学生たちと議論しており、EHESSはフランスの知的生活の中心的地位を占めている。
EHESSホームページ: https://www.ehess.fr/en
<FFJについて>
2009年にEHESSに設立されたFondation France-Japon(FFJ、日仏財団)は、日仏間の学術協力を促進し、日本に対する理解を深めるために、官民のパートナーとのネットワークを通じて対話と交流を強化することを目的としている。FFJは、人文・社会科学の学際的なアプローチを奨励しており、主な活動として、日本人研究者や日本の専門家を対象としたフランスでの招聘プログラムの実施などがある。
FFJホームページ: http://ffj.ehess.fr/
【国際頭脳循環の重要性と日本の取り組み】
国際頭脳循環の強化は、活力ある研究開発のための必須条件である。日本としても、グローバルな「知」の交流促進を図り、研究・イノベーション力を強化する必要があるが、そのためには、研究環境の国際化を進めるとともに、国際人材交流を推進し、国際的な頭脳循環のネットワークに日本がしっかり組み込まれていくことが重要である。
本特集では、関係者へのインタビューを通じて、卓越した研究成果を創出するための国際頭脳循環の促進に向けた日本の研究現場における取り組みの現状と課題を紹介するとともに、グローバル研究者を引きつけるための鍵となる日本の研究環境の魅力等を発信していく。