【AsianScientist】HPC テクノロジーとリテラシーのギャップを埋める

高性能コンピューティング (HPC) テクノロジーとそのリテラシーは、密接にからまり合う関係にある。それぞれが互いに依存することでこの分野を進歩させ、可能性を最大限に引き出す。(2023年9月29日公開)

人類の歴史の中でも、この数十年間は地球上の時間のほんの一部にしかすぎない。しかし、この短い時間の中で進歩した技術により、宇宙の起源を求めて太陽系を越えて冒険する宇宙探査機から、精度の高い医療診断、新しい通信方法、効率的な再生可能エネルギーシステムを可能にする無数の人工知能 (AI) の革新に至るまで、人類は全く新しいことを経験した。

しかし、このように驚異的なスピードで成長したテクノロジーとその実装には代償が伴う。新たな変化に適応する社会の能力よりもテクノロジーの進歩が先を行くと、少なからぬ人々が取り残される。学習についていけなければ政策と労働市場の問題が生まれ、また、特に発展途上国では、既に存在する不平等がさらに続く。

高性能コンピューティング (HPC) は、特にこの問題の影響を受けやすい。計算機能が超高速であるため、人類は無数の科学的難題を解決できるようになったものの、次世代の HPC学者、専門家、一般大衆が急速に変化する環境に合わせてHPCリテラシーを保つには、この勢いを続けることが重要である。

エクサスケールコンピューティングの最近の成果と同時に多くの課題と疑問が浮上している。HPC テクノロジーの進歩とそれに対する私たちの理解とのギャップは拡大し続けているが、それを埋めるには、どのような教育戦略が必要なのか? HPC リテラシーを教育制度の優先事項にするにはどうすればよいか? そして最後に、なぜこのギャップを埋めることがそれほど重要なのか?

デジタル格差の原因を探る

HPCを利用すれば、パイロット核融合炉の運転から3D アニメ映画の制作まで、多くに適用することができ、強化することができる。今日のデジタル・ルネサンスの最前線では、多くの業界にテクノロジーが浸透しており、今後もイノベーションと進歩の基礎であり続けると想像できる。

HPCシステムは、超高速ネットワークと洗練されたアルゴリズムを介して相互接続されたいくつもの強力なコンピュータを配置しており、使いこなすには深い知識と高度な技能を必要とする。ハードウェア、ソフトウェア、専門分野の知識など幅広いスキルと専門知識が欠かせない。さらに、HPC は複雑なので、プログラミング言語と並列コンピューティング技術の熟練だけでなく、数値アルゴリズム、データ管理、最適化戦略の完全な理解も必要とされる。

まさにこのために、HPCに関する基礎的な理解を養うことが最も重要となる。ギャップがあると、HPC システムの可能性を最大限に活用し、その膨大な機能を長期的に活用する能力が脅かされるため、業界が現在直面しているギャップを拡大させる要因をまとめることが不可欠となってくる。重要な側面の 1 つは、HPC テクノロジーの進化のペースが速いことである。そのペースは、多くの場合、業界人や一般の人々が新しい知識を取得して適応する能力よりも速い。

当然のことながら、HPC リテラシーのギャップが拡大すればその影響は多岐にわたる。最も顕著であり最も一般的に見られる影響は、HPCリソースの利用が最適化されていないことである。多くのユーザーは、必要な技術的ノウハウが十分にないため、これらのシステムを完全には理解せず、そのためシステムの能力を完全に発揮させることができない。たとえば、生物情報学者が高性能クラスターでゲノムシュレーションを実行しても、使用するのは利用可能なコアの一部だけであり、マシンの計算能力のほとんどが利用されないかもしれない。

すると、とてつもなく広がる波及効果が出来上がる。企業や研究者はHPC の話、隠語、専門用語の海の中で溺れてしまい、成長は阻害され、研究開発は妨げられてしまう。HPC テクノロジーはますます複雑化し、そのため参入障壁がますます高くなり、リテラシーギャップはさらに悪化する。たとえば、画像処理装置 (GPU) をベースにした最新のシステムは非常に優れた並列処理能力を持つが、高度な技術的理解を必要とするため、初心者にとっては難しいであろう。この状況は、この分野における次世代のコンピュータサイエンス専門家のトレーニングと成長に大きな影響を及ぼし、必要なスキルと専門知識を習得することはさらに困難になる。

オーストラリア国立大学のNational Computational Infrastructure (NCI) のショーン・スミス (Sean Smith) 所長は、Supercomputing Asia誌とのインタビューで「高等教育レベルで STEM 教育を受けた博士号の学生が得た知識と、コンピューティング技術の最先端の開発に必要なエンジニアリングとの間には依然としてギャップが存在します」と語った。「多くの場合、ギャップ解消のために現場研修が利用されますが、それは偶然実施されるにすぎません」とスミス教授は付け加えた。

ソフトウェア面では、GPUを多用する構成を活用する科学的領域が増えており、そのためには多くのアルゴリズムとソフトウェアプラットフォームの再設計が必要となる。

スミス教授は「これは、とりわけ気候や気象モデリングなどの分野では広範なソフトウェア プラットフォームの開発に数十年を要するため、特に困難になる可能性があります。最も効率的なハードウェアを活用するために、そのためのコードを再構築することは簡単な作業ではなく、多くの分野に重大な障害を作ります」と述べる。

橋を建設しアクセスを促進する

現代の多くの問題と同様、産学官にまたがる多くの関係者の参加や協力など、多面的なアプローチが鍵である。

教育研修プログラムが効果的に実行されたならば、HPCリテラシー育成のための強力なツールとして機能する。たとえば、スーパーコンピューティングアジア 2023 (SCA23) カンファレンスで発表された「シンガポールAI & HPC対応の教育と人材開発」イニシアティブでは、シンガポール国立スーパーコンピューティング センター (NSCC)、技能教育研修所 (ITE)、共和理工学院 (RP)、AI シンガポール (AISG)、シンガポール・ポリテクニック (SP)、シンガポール工科大学 (SIT)、シンガポール技術者協会インキュベーター & アクセラレーター (IES-INCA) などいくつもの機関が国民の中に HPC人材を育成しようと力を合わせている。

この協力は、HPC、AI、データサイエンス、分析、高度シミュレーション・モデリングなどの分野で新しいカリキュラム、トレーニングコース、ワークショップ、学生コンテストを確立することを目的としている。これらの分野の人材を育成することで、人々が関連分野を支え、HPC の複雑な状況を乗り切る備えが強化される。

ITE の最高経営責任者であるロウ・カー・ゲク (Low Khah Gek) 氏は、NSCC との提携により、学生が HPCの活用について学び、スーパーコンピュータを使用して直接の経験を積むという貴重な機会が提供されることを強調した。学生はこの協力を利用してHPC分野で需要の高いスキルを身につけ、将来、実社会に入ったときの実務に備えることができる。

以前、ITE は NSCC と協力して、参加者に HPC の基礎知識を教えシンガポール初の国家ペタスケールスーパーコンピュータにアクセスさせる「スキル将来能力証明 (SkillsFuture Certificate of Competency) (CoC)」というコースを提供したことがある。そこではITEの講師とNSCCの専門家が協働してトレーニングを提供し、学生は HPC システムをリモートで利用して複雑な計算を高速で実行し、ディープ ラーニングを用いたAI アプリケーションの開発促進方法を学ぶことができる。

同様に、SPの校長兼最高経営責任者であるソー・ワイ・ワー (Soh Wai Wah) 氏は、職員と学生の間でHPCリソースに対する意識を高め、大規模で複雑な問題に効率的に取り組むことのできるHPC の可能性を示すというSPの熱意を強調した。

教育研修プログラムに加えて、高度HPC リソースへのアクセスを提供すれば、学界のHPC分野での競争条件を平等にすることができる。SCA23 カンファレンスでは、シンガポールの次世代国家スーパーコンピュータであるペタスケール・イノベーション研究事業用高度スーパーコンピュータ2A (ASPIRE 2A) の稼働が始まり、シンガポールの研究分野での利用が可能になることが発表された。

スーパーコンピュータ・リソースへのアクセスを許可することで、地元の教育機関は AI や機械学習などの分野の教育を推進できる。このイニシアティブは最先端のHPCリソースを使用してスキルを磨く機会を提供するので、高度な研究や IT の専門家にも利用価値がある。

ASPIRE 2Aにアクセスすれば、すべての研究者は気候変動、生物医学、スマート国家活動などの分野にまたがるプロジェクトでスーパーコンピュータのリソースを利用できる。このように HPCリソースへのアクセスが増加し、HPC 関連分野の人材を育成するための協働が増えれば、HPCリテラシーのギャップを埋め、先進テクノロジーが推進する未来に備える前向きなアプローチの例となる。

HPCリテラシーを育むという使命を担うのはシンガポールだけではない。タイには、国立科学技術開発庁 (NSTDA) スーパーコンピュータ センターが存在する。これは一般にはThaiSCとして知られている。ThaiSCはタイの研究開発分野に最先端のHPCサービスを提供するだけでなく、特化された様々なサービス、プログラム、ワークショップ、イベントを通じて、現在および将来の HPC ユーザーと積極的に関わっている。

NSTDAスーパーコンピューティングセンターのピヤウット・シュリチャイクル (Piyawut Srichaikul) 所長はSupercomputing Asia誌に対し、「HPC における意識を高め、知識を共有し、ベストプラクティスを促進するために、私たちは業界パートナーや学術機関を扱うウェビナーを定期的に開催しています」と説明した。 「当センターの最新LANTA スーパーコンピュータは、ヒューレット・パッカード・エンタープライズの高度なコンピュータ・アーキテクチャを利用しています。教育を目的として学校や教育機関からの訪問も受け付けています。」

学習エコシステムの繁栄に向けての提携

オーストラリアの NCI では、エンジニアが HPCとAI テクノロジーを活用できるようにするため、アウトリーチ活動と内部研修プログラムが実施されている。NCI はユーザー全体を対象とした包括的な調査を行い、社会人になるにあたり専門分野からHPCに移行する学生の間には、知識の大きなギャップが存在することを明らかにした。

調査対象の学生の多くは科学または工学を学びはしたが、かなりの数が正式なコンピュータサイエンスの訓練を受けていなかった。NCI は対象を絞った介入を行いこのギャップに対処し、それまでの大学の教育とは異なるソリューションを提供している。

スミス教授は「私たちは、オーストラリアの研究者向けデジタルスキルトレーニングの大手プロバイダーであるIntersect Australiaのような機関と提携し、ユーザーが入門レベルのプログラミングに慣れるよう支援しています」と説明した。「上級レベルのトレーニングに関しては、全国の専門研究グループと協力してカリキュラムを作成します。その多くは、そのグループの専門知識を活用したインターンシップ プログラムとなります」

スミス教授は、産学官の連携はHPC リテラシーを育成する上で重要な触媒であると強調する。相乗的なパートナーシップは多様な機関が専門知識やリソースをまとめることのできるプラットフォームを生み出し、HPCの教育と研究をさらに強化させることができる。

政府に関して言えば、オーストラリアで連邦政府から資金提供を受けてHPCリテラシーのギャップを埋めている研究機関はNCIだけではない。パースに所在するポージー・スーパーコンピューティング・リサーチ・センターという機関もHPC リテラシーを向上させるための積極的なスキルトレーニング・プログラムを提供している。

オーストラリア研究データコモンズも政府が資金を提供する別のプロジェクトであり、国内のさまざまな分野におけるデータリテラシーのスキルアップに焦点を当てている。これらの協調的な取り組みを通じて、オーストラリア政府は 積極的にHPC とデータリテラシーのギャップを埋めようとしている。HPCに関する協力は国境を超えて広がっている。NCIとNSCCシンガポールが共催した第5回地域APAC HPC-AI学生コンペティションが最近終了した。このイベントには地域全体から大学院生、修士・博士号取得者、学部生が集まり、6 カ月間にわたる充実した期間を過ごした。

このコンペティションは、参加者が一連のスキルを習得し、HPCおよびAI テクノロジーについての理解を深め、同時にこれらの分野の習熟度を国際舞台で披露する機会を提供した。

シンガポール国立大学リサーチ コンピューティングでアソシエート・ディレクターを務めるリッキー・プルボジャティ (Rikky Purbojati) 氏は、スーパーコンピューティングアジア誌に対し「このコンペティションは、現代の具体的な一連の課題に向けて、学生、研究者、業界人たちを一つにまとめました。これは、とりわけ気候変動やAIなど、今日の重要な問題の多くに取り組むにあたり、HPCシステムの可能性と機能について業界の重要な人々を教育する、優れたプラットフォームとなっています」と語った。

シュリチャイクル博士はASEAN HPC タスクフォースにおける積極的な役割など、ThaiSC の世界的な取り組みについても教えてくれた。昨年末、タイは欧州連合の支援を受けて、HPCとその応用科学研究への適用に関する1週間の集中コースである第2回EU-ASEAN HPC スクールを主催した。

シュリチャイクル博士は「これらのイベントは、さまざまな機関がHPCリソースを共有し、技術的問題とガバナンスの問題の両方に対処して利用可能性のギャップを埋める方法を模索するプラットフォームを提供します」と付け加えた。

さらに遠くを見据えて

HPC 業界以外を注目するとよいことがある。他の業界から必要な知恵を収集し、確立されたフレームワークを真似すれば、HPC業界は類似の難題をうまく解決した官民パートナーシップや学際的な取り組みの実証済みモデルを活用することができる。

スミス教授は、量子コンピューティング分野の人々を例に挙げる。彼らは一般大衆に対し量子コンピューティングとは何か、そしてその機能と限界について教えようとして、セミナー、ワークショップ、一般普及プログラム開発を飛躍的に改善させた。

スミス教授は「一般大衆のリテラシーを高めることも同様に重要です。HPC を含むさまざまな分野の研究に対する意識、関心、支援が大きく促進されるからです」と付け加えた。「このような例から学べば、テクノロジーと一般大衆の理解の間にあるギャップを埋めるのに役立ちます。」

一般大衆にHPCに関する教育を行う場合、ストーリーテリングの力を活用すれば、HPCの知識を楽しく魅力的な方法で広める効果的な手段となる。ソーシャルメディアと組み合わせるという戦略を用いればテーマが分かりやすく説明され、HPC につきものの技術的な煩わしさ故に遠ざかっていたかもしれない多くの大衆の好奇心を呼び起こすことができる。

この方法を採用すれば、動的で対話型の学習方法を受け入れる傾向がある若い世代に特に魅力的なものとなる。これにより、HPCを理解する道を切り開くだけでなく、新しいテクノロジーの出現に対する準備を整え、この分野の発展に合わせて適応力と情報力を持ち続けることができる。

HPC の道を照らす

HPC の未来は、この分野での変革をさらに起こそうとする刺激的かつ新しいトレンドやテクノロジーで溢れている。エクサスケールコンピューティングから量子コンピューティング、高度なAI技術に至るまで、かつてないコンピューティング力が約束された未来では、人々が複雑な科学的、工学的、社会的な課題に対処する能力は大きく変わる。

このような技術の進歩とともに、HPCリテラシーを向上させるための継続的な取り組みは、明らかにこれまで以上に重要になっている。HPCの分野が進化し続けるならば、HPCリテラシーを支えるリソースも進化し続けなければならない。

最新の HPCの発展を常に把握し、教育とトレーニングを積極的に推進すれば、現在のユーザーも将来のユーザーも、新しいテクノロジーを効果的に活用するために必要な知識とスキルを備えることができる。

プルボジャティ氏は、技術進歩の最前線にとどまりたいならば、「 HPC 関連の公開物を常に追いかけ、関連するSNSをフォローし、学術雑誌に目を光らせてさらに詳しいことを知るようにすればよいでしょう」と述べた。

プルボジャティ氏は「業界は定期的なニュースレターを配布する団体を結成したり、ユーザーグループの会合などといった楽しいイベントを主催したりして、重要な役割を果たすこともできます。現在のテクノロジーや将来起こることについて誰もが知ることができるようにするのです」と付け加えた。

産学官の戦略的コラボレーションを促進し、学際的アプローチを使いHPC業界を強化し、その総力を結集すれば、HPCその他の分野の才能を育成し、イノベーションを促進する、活気に満ちた支援的なエコシステムを育成することができる。

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