スーパーコンピューティング界の重要なリーダーたちが、アジア太平洋地域、さらにその他地域における展望、進歩、可能性について語った。(2024年11月5日公開)
今はデジタル革命の真っただ中である。新興技術は新たに登場するだけでなく、変化を促進させる役割も担うため、可能性に対する人々の認識は明らかに変わっていく。人工知能 (AI) は、気候変動、健康、食糧安全保障などといった地球規模の課題への取り組み方を変え、従来のコンピューティングではもはや追いつけない速度で膨大なデータセットを処理している。
スーパーコンピューティングは大きく変わりつつある時代の中で不可欠な要素となっており、特別なタスクに必要な速度、メモリ、パワーを与えている。その先頭を行くのは、オーストラリアのポージー・スーパーコンピューティング研究センターのエグゼクティブ・ディレクターであるマーク・スティケルズ (Mark Stickells) 氏、タイのNSTDAスーパーコンピューティング・センター (ThaiSC) のセンター長であるピヤウト・スリチャイクル (Piyawut Srichaikul) 博士、日本の理化学研究所計算科学研究センターの所長である松岡聡教授などであり、彼らは未来を見据えている。
彼らは仕事を通じて、アジア太平洋地域をスーパーコンピューティングのホットスポットとして確立し、この分野で次に起こることについて、この地域と世界の両方で知見を共有しようとしている。
スーパーコンピューターは今まで気象モデリング、量子シミュレーション、大規模な天体物理学研究などビッグデータを課題として扱っていたが、常にその領域を広げ続けている。松岡教授は「産業革命以来、私たちは機械の性能を確実に向上させてきました」と述べ、スーパーコンピューティングも同じように進化すると示唆している。将来のシステムは、かつてない処理能力を誇り、急増する業界の需要を満たすこととなろう。
アジア太平洋諸国は、世界のスーパーコンピューティング競争において高い競争力を持ち、米国や欧州と並んで上位にランキングされることが多い。これは、アジア太平洋がコンピューティング科学の新たなフロンティアを切り開くために影響力を強め、尽力していることを物語っている。
かつて世界最速だった中国のスーパーコンピューター「神威・太湖之光」は、気候モデリング、生命科学、工業デザインなど、さまざまなアプリケーションにカスタムアーキテクチャを活用している。同様に、松岡教授が開発に携わった理化学研究所のスーパーコンピューター「富岳」は2020年に442ペタフロップスという記録を達成し、AI能力において他の主要なスーパーコンピューターを約10倍上回ることとなった。
松岡教授は、現在最も差し迫った課題はデータ移動の強化であるという。松岡教授は「スーパーコンピューターは、帯域幅、メモリ、相互接続速度の向上に重点を置き、膨大な量のデータを効率的に転送する必要があります」と説明する。最新AIアプリケーションの多くで、主に計算能力ではなくデータ転送の制約が障害となっている。
画像処理装置 (GPU)、フォトニクス、ウェハースケールアーキテクチャを組み入れてハードウェアを改革すれば、この制約を軽減することができる。松岡教授は、「たとえば、3Dメモリデバイスのスタックやインターポーザーの使用などといった技術を利用してデータの移動距離を短縮すると、大きなエネルギー節約につながります」という考えを語った。さらに、技術的な障害を克服できれば、中央処理装置 (CPU) 上またはCPU内で直接メモリを統合して、データアクセスを合理化できる。
スティケルズ氏は、ポージー・スーパーコンピューティング研究センターは最先端のGPUアクセラレーターをZythosやSetonixなどのシステムに統合し、従来のCPU中心の高性能コンピューティング (HPC) 手法から転換したことを述べた。このようなアップグレードは、エネルギー効率を維持しつつ計算能力を大幅に向上させる。世界ランキング15位のSetonixは最大50ペタフロップスという能力を持ち、ポージ―の以前のシステムであるMagnusとGalaxyの30倍のパワーを誇る。
また、データ量が膨れ上がると、効率性の高い最新ストレージと処理方法が必要になる。スティケルズ氏は「ポージーでは、データ消費を迅速化し、ストレージ需要を削減するために、現場データ分析と視覚化技術を模索しています」と述べた。
一方、スリチャイクル博士は、近いうちに大きな進歩が見られると予測している。「次世代スーパーコンピューターは、量子コンピューティング、ニューロモルフィック・コンピューティング、AI駆動型最適化アルゴリズムにより作られる可能性が高いでしょう」。量子コンピューティングは複雑な問題を前例のないスピードで解決し、ニューロモルフィック・コンピューティングは人間の脳を模倣してAIの効率性を高めることができる。
スリチャイクル博士は最後に「高度電子センシングとAIを融合させれば、自律システムやスマートシティの進化に不可欠なリアルタイムのデータ処理が可能になるでしょう」と語り、「今後のことについては、ただ待つしかありません」とつけ加えた。
今までのスーパーコンピューターの問題は、大量のエネルギーを消費することだった。Cray XT5「Jaguar」は約7メガワットを消費した。これは、数千世帯の家庭のエネルギー使用量に相当する。今日、研究者たちはスピードとパワーで新たな高みに到達するだけでなく、環境に優しい稼働にも同様に力を注いでいる。
スティケルズ氏は、ポージーのSetonixスーパーコンピューターは、よりパワフルであると同時に、驚くほど環境に優しいと語る。Setonixにはクローズドループ・テクノロジーを備えた直接液体冷却システムが採用され、大量のエネルギーを消費するエアコンを使わず熱を効率的に除去する。
さらに、独自の地下水冷却システムは実際に地下水を無駄にすることなく熱を再循環させ、「冷却塔で蒸発するはずだった年間約700万リットルの水」を節約しているとスティケルズ氏は説明した。この施設は、排出ゼロの冷却システムをサポートし、二重外皮断熱材でエネルギー保持を最大化する120kWのソーラーアレイを使い、二酸化炭素排出量をさらに削減している。
日本には、世界で最も環境に優しいスーパーコンピューターがいくつかある。松岡教授が説明してくれたが、理化学研究所の富岳は、高度な冷却システムと政府が管理するカーボンフリー電力により、エネルギー費用と排出量を大幅に削減している。富岳は、前任コンピューターである京の約70倍の性能を持ち、電力効率はほぼ50倍である。松岡教授はまた、研究者が省エネ慣行を育むことの重要性を強調した。理化学研究所の利用者がエネルギー消費量を規定値以下に維持した場合、ジョブスケジューリング・キューでの優先順位が高まるクレジットを受け取ることができるのだが、これが研究所のエネルギー効率化のインセンティブとなっている。
ポージーも同様に、スーパーコンピューティング・エコシステムにおける環境意識を促進している。2021年、ポージーは「異機種スーパーコンピューターのためのエネルギー会計モデル」という論文を発表した。スティケルズ氏によると、この論文はサービスユニットをエネルギー使用量に、タスクをリアルタイムのグリッドデータにつなげることを説明しており、研究者がプロジェクトの環境影響を理解する上で有益である。
「力を合わせれば強くなる」という精神は、アジアのスーパーコンピューティング界のリーダーたちの間で深く浸透している。これはASEAN-HPCタスクフォースの共同議長も務めるスリチャイクル博士も認めるところである。加盟国はタスクフォースのような取り組みを行えば、どの国も単独では対応できない大規模な技術的障壁に対応できる。
たとえば、COVID-19 HPCコンソーシアムは、パンデミックの緊急性に押されて2020年に結成された。このコンソーシアムにはオーストラリア、日本、シンガポール、米国のHPCリソースが集まり、研究活動は加速した。この前例のない国際協力により、600ペタフロップスを超えるコンピューティング能力が生み出され、世界中の研究者がデータと専門知識を共有できるようになり、パンデミックとの戦いは大きく前進した。
スリチャイクル博士は「インフラ、専門知識、データを共有することで、リソースをプールし、冗長性を減らし、全体的な効率を高めることができます。これはASEAN HPCの成功にとって欠かせません」と主張し、スーパーコンピューティング・ソースの影響を最大化するために団結と相互利益の精神を育むことの重要性を強調した。
松岡教授も同じ考えを持っている。彼は、変革的なスーパーコンピューティング技術の開発には集団意識と多様な専門知識が必要であると述べた。松岡教授は、世界は競争から協力に大きく変化し、この動きは好ましいと考えている。「状況は今、大きく変わりました」と彼は述べ、理化学研究所の国際プログラム・パートナーたちは、以前よりも早めに、包括的に関与している、と付け加えた。
スティケルズ氏が講演を行ったのは、世界で最も辺鄙な都市のひとつであるパースのポージーである。彼は、つながりの重要性も強調した。「私たちは非常に緊密につながっています。地元の大学や世界的組織と協力して研究を強化し、最高のインフラへのアクセスを確保しています」
このネットワークへの投資は、オーストラリアの競争力を高めるだけでなく、世界の量子研究と持続可能性に関するリーダーシップの確立にもつながっていく。
専門家は、スーパーコンピューティングが現実世界に深く大きな影響を及ぼすと予測する。スリチャイクル博士は、地域規模で見ると、スーパーコンピューターはインフラ計画の精度を向上させ、交通管理を最適化し、食糧安全保障を守り、災害対応システムの強化を可能にすると考えている。
しかし、このような利益はシームレスな統合があってこそ実現する。「HPCクラウド、持続可能性、エネルギーコストの複雑な要求に対応するバリューチェーンにスーパーコンピューティングを組み込んだ『統合メカニズム』を設計する必要があります」とスリチャイクル博士は警告した。
松岡教授は、「ポストムーア」時代には産業や日常生活が変わっていると想像している。その時、コンピューター能力の向上はトランジスタの小型化から量子コンピューティングやニューロモルフィックコンピューティングなどといった新技術の活用に移行している。
コンピューティング能力が劇的に向上すれば、たとえば、デバイスはさらにスマートになり、ヘルスケアの枠組みは改善され、デジタル・エクスペリエンスはさらに強力なものになる。リアルタイムのデータ処理と意思決定機能を備えたAIは、自律システムやスマートシティに欠かせない。市生活と繋がれば、交通管理やエネルギー管理はさらにスマートになり、環境に優しく効率的な生活空間を作り出すことができる。
「これらの技術がエネルギー効率や材料科学の向上と組み合わされば、スーパーコンピューターが提供できるものの限界と要求を広げることができるでしょう」とスリチャイクル博士は断言した。
大幅なコスト削減によって、HPCの普及は勢いを増している。松岡教授は、クラウドコンピューティングの進歩、効率性の高いアルゴリズム、低コストのハードウェアの可用性の向上により、AIのトレーニングと使用はさらに手頃になり、中小企業や個人はこれらのテクノロジーにアクセスしやすくなっていると語った。これにより、かつては大企業に限定されていた新しいイノベーションが生まれる機会があるかもしれない。
とは言え、スーパーコンピューティングを日常生活に組み込むためには、堅牢な倫理的枠組みを必要とする。スティケルズ氏は、スーパーコンピューティングでは責任をもってAIを使用しなければならず、進歩が潜在的なリスクを最小限に抑えつつ社会に利益をもたらすことができる枠組みが必要であると力説した。
このことを認識したオーストラリア政府は、AIの責任ある使用を支援するために業界の会合に関わっている。2024年、政府は「オーストラリアにおける安全かつ責任あるAIに関する協議」という公開協議を開催し、社会重視のアプローチと透明で協力的な規制の枠組みを提唱した。
スーパーコンピューティングが進化しても、その中心にいるのはやはり人間である。ポージーでは、多様性を受け入れることにより、科学的課題や技術的課題に対するアプローチは豊かで、革新的で、効果的なものとなった。この哲学は、性の多様性を高め、包括的な職場文化を育む採用プロセスを作り上げた。スティケルズ氏は時代遅れの固定観念が打ち砕かれたことを目の当たりにし、そして「ポージー・チームの少なくとも半数はオーストラリア国外で生まれ、4分の1以上は女性なのです」と語る。
この地域における教育イニシアチブは、熟練した人材の育成に対するこの部門の熱意を示している。スリチャイクル博士は「EU-ASEAN HPCスクールは、それが可能であることを証明しました」と述べ、国際パートナーの貢献が、東南アジアにおける強固なスーパーコンピューティングの人材プールを作る基礎を築いたと評価した。現在ASEAN HPCスクールとして知られるこのスクールは、2023年と2024年にインドネシアで開催された。これからもASEAN加盟国間の持ち回りで開催される予定となっており、活気を呈している。
タイでは、ThaiSCがAI人材能力開発イニシアチブを支援しており、AI人材の再教育とスキルアップを目的としたスーパーAIエンジニア・プログラムにコンピューティング・リソースを提供している。このプログラムは現在4シーズン目を迎えている。これらの取り組みにより、タイはAIとHPCの分野で競争力を強化した。だが、スリチャイクル博士は、さらに統合を広め、AI開発環境を広範なものにすることを提唱している。
国際的には、スーパーコンピューティング・センター同盟(米国とヨーロッパにメンバーハブを持つ知識共有協会)などといった協働ネットワークがスーパーコンピューティング・センター間のアイデアの交換と支援を促進している。
「新興国であっても、地域に与える影響に焦点を当て、世界のパートナーシップを活用することで、特定のAIアプリケーションでリーダーになることができます」とスリチャイクル博士は述べた。これにより、次世代のASEAN研究者が、この地域におけるスーパーコンピューティングの革新のレガシーを継承することが保証される。