お互いフォーラム②~産業補完クラスタ・マッチングのためのお互いコンクレーブ

2021年11月10日

松島大輔

松島大輔(まつしま だいすけ):
金沢大学融合研究域 教授・博士(経営学)

<略歴>

1973年金沢市生まれ。東京大学卒、米ハーバード大学大学院修了。通商産業省(現経済産業省)入省後、インド駐在、タイ王国政府顧問を経て、長崎大学教授、タイ工業省顧問、大阪府参与等を歴任。2020年4月より現職。この間、グローバル経済戦略立案や各種国家プロジェクト立ち上げ、日系企業の海外展開を通じた「破壊的イノベーション」支援を数多く手掛け、世界に伍するアントレプレナーの育成プログラムを開発し、後進世代の育成を展開中。

前回お話したタイ王国公益法人お互いフォーラム(以下「お互いフォーラム」。)は現在も日々更新して、活動を展開している。前回お話したとおり、2011年から構想し、2021年で10年を経ており、政策的な継続性が認められる。ややもすると、政策の寿命は1~3年周期で終わりになることが多い。担当者が異動になると、そのままフェイドアウトしてしまうということが多い。筆者は行政官時代、民間の方々から、政策立案は良いが、きちんと長続きする仕組みをつくりように、「技の掛け捨て」は止めるように指導いただいたことがある。このような中で、お互いフォーラムの取り組みは、著者は密かに一定の貢献を尽くしていると自負している。

お互いフォーラムは実は、2011年の日本の東日本大震災とタイ大洪水に端を発したが、2011年から2013年の草創期(緊急事態としてのBCP(Business Continuity Plan)期)と、2013年から2015年のお互いコンクレーブ期(国境を超えた産業クラスタ相互補完期)、そして2015年以降のお互いフォーラムとしてのオープン・イノベーション(open innovation)期に分けることができる。

前回解説したとおり、お互いフォーラムは、「まさかの時はお互いさま」という「お互い様」の精神が端緒となっている。2011年当時、著者はタイの内閣官房に相当する、国家経済社会開発委員会(National Economic & Social Development Board:NESDB)のアーコム・タムピタヤパイシス(Arkom Termpittayapaisith)長官のところで政策顧問として従事していた。アーコム長官はその後、プラユット政権下で運輸大臣、財務大臣を歴任された大の親日家である。当時はタイに大きな社会経済的変革をもたらし、CEO型首相と形容されたタクシン・チナワット(Thaksin Shinawatra)首相の妹にあたるインラック・シナワトラ(Yingluck Shinawatra)首相率いる政権であった。このインラック政権下で、首相の懐刀と言われたニワットタムロン・ブンソンパイサン(Níwáttamrong Bunsongpaisăan)が首相府大臣として、メコン地域開発などを担当しており、インラック政権が軍のクーデターの動きに向かう中で瓦解したあと、2014年5月7日、臨時に首相となり暫定内閣を樹立したが15日で政権が軍主導に移っていった。このニワットタムロン首相が当時我々によく語っていたのが、「危機」とは何かという教えである。「ピンチはチャンス」とよく言われているが、中国語で「危機」という字を書くと分かりやすい。つまり、前段の「危」の字は、'danger'であり、後段の「機」の字は、'opportunity'であり、今回の洪水は新たな展開の機会になるという話を教わった。この話は現下進行中の新型コロナウィルス感染拡大というコロナ禍の深刻化のなかでも大変示唆的な言葉であった。ちなみに、この言葉には原典があり、最初は第35代米国大統領であるジョン・F・ケネディ大統領の言葉だという("The Chinese use two brush strokes to write the word 'crisis. ' One brush stroke stands for danger; the other for opportunity. In a crisis, be aware of the danger--but recognize the opportunity.")。

このニワットタムロン首相は、ミャンマー南部ダウェイ(Dawei)の深海港湾を中核とした日泰緬(日本、タイ、ビルマ=現ミャンマー)3カ国による総合開発計画で大変お世話になったが、一度仏門に帰依し、還俗して政治家に復活し、インラック政権を支えたという。日本でいえば、室町将軍の様な話であるが、このタイ政府の中に入って、タイ政治史や東南アジア政治外交史の裏側についてもいろいろ示唆を得るという貴重な経験となったものである。

このような「危機」から始まり、新たなサプライチェーン強靭化から出発したプロジェクトであり、当初は「お互い様」プロジェクトとして立ち上げた。2012年2月には、早くもアーコム長官から、当時のパス(Pasu)工業省産業振興局長に、具体的な実施に向けタスクアウトがなされた後、関係者を招聘し、具体的な連携を進めるための体制整備を行った。いわば、短期の対処療法としての洪水対策後、危機に対する強靭化を目指す根本治癒をはかろうという戦略であった。実は、当時タイ政府のなかでは、工業省を中心に、「中進国の罠(middle income trap)」からの解放に向けた政策対応が進められていた。「中進国の罠」とは、経済成長により、中進国、中所得国に進んできた新興国が直面する課題である。ここで中進国とは、一人当たり国内総生産(GDP)が3千米ドルから1万米ドルあたりの水準である。

一方でそれまでの強みであった低賃金労働による国際競争力が確保しきれなくなるなか、他方で日本を含む先進国のような技術的な躍進や特許製品、或いはイノベーションが興るまでには産業全体が質的な進化を遂げていない状況を指す。このような状況は、経済発展の過程では避けて通れない課題であり、日本や欧米の先進国はその「中進国の罠」に陥ることなく、ブレークスルーを実現することができたというわけである。特に日本の場合は、1973年のオイル・ショックやニクソンショックを前後する時期に、1960年代の低賃金労働の強みを生かした高度経済成長が終焉を迎え、1970年代以降の低成長軌道に移行したとされる。

旧来の産業構造を卒業し、「中進国の罠」を回避できる方法は何か。これがタイ政府の課題であった。そこで、このお互い様をうまく活用することで、産業代替を促進する政策を展開することが希求されたのである。実際、タイNESDBと工業省の意向を受け、日本とタイの産業補完調査を行い、次世代に向けて特にタイが取り組むべき産業セグメントを抽出することに成功した。これら、タイの次世代分野を「産業ミッシングリンク(industrial missing links)」と命名し、実際の政策課題として展開、その内容が第2段階の「お互いコンクレーブ」が目指す、日泰の協力テーマであった。産業ミッシングリンクについていえば、鉄鋼産業において、高炉が存在しないことから電炉技術が独特の進化を遂げたタイでは、軽量化・強靭化に向けた鍛造を中心としたメタルファブリケーション技術について大きな課題がみられ、また自動車産業でいうと車載用部品として電装化部品が必要となる転換点であった。制御システムが、それまでの油圧式のシステムから電子制御に変わるという時期であり、大きなニーズが期待された。これらが生産代替分野として日本とタイとの産業クラスタ間の連携につながっていった。

こうした具体的な産業クラスタ間の連携を進めるべく、2013年4月より、国際開発協力機構(Japan International Cooperation Agency:JICA)の協力を得て、日本とタイのそれぞれの産業クラスタを、BCPの観点を中心に産業補完連携を結ぶための国際フォーラム、「お互いコンクレーブ(Otagai Conclave)」が始まった。第1回は東京で開催されたが、その後、第2回鳥取、第3回東大阪、第4回山梨など、それぞれの産業集積を念頭に、タイとの連携を主眼に協力体制を議論し、実践するものとなった。このコンクレーブという命名は、ご存じの通り、ローマ・カトリック教会において、枢機卿の間で次期ローマ教皇を選出するための会議、コンクラーベが語源であるが、インドなどでは、濃密な会議体をコンクレーブと呼ぶことから、新たな産業クラスタ連携を見つける会議という意味で、この命名となった(下記、表参照)。実際、製造業における産業クラスタ連携のみならず、観光業や金融業、第1次産業などにも展開していくとともに、東京とバンコクという大都市を結ぶプロジェクトではなく、日本の地域とタイ、さらにはタイの地方を結ぶというグローカル(glocal)な国際連携を実現してきた。その意味で、このお互いコンクレーブの動きは、サプライチェーンが寸断された現下のコロナ禍の状況においても、有用なアプローチでないかと考えている。