2024年10月3日 斎藤 至(JSTアジア・太平洋総合研究センター フェロー)
人工知能(AI)技術は、学習効率の向上や情報の種別を問わない処理能力の平準化など、技術的課題の克服が世界の研究機関で目指されている。その急速な社会実装に伴い、社会における信頼性担保も各国で大きな課題となっている。マレーシアでは9月20日、マレーシア科学技術省(MOSTI)がAIガバナンスと倫理規定(AIGE)を発表した1。本稿では、急速に進展する同国のAI制度整備の最先端を紹介する。
AIの利便性を活かしつつ、その適正な利用に向けた指針が求められる
(写真はイメージ)
マレーシアは、最近10年ほどの学術論文データから見ると、ASEAN諸国内ではグリーン・サステナビリティ科学や木質材料で国際評価が高い(世界のトップ10%論文数で世界シェアが高い)と言える。またAIの研究開発でもシンガポールに次いで国際評価が高いため、アジア・太平洋地域内では注目に値する。多くのASEAN加盟国と同じく、近年は中長期にわたる関連政策を発表しており、2021年には国家AIロードマップ2021-2025(AI-RMAP)を策定した。2023年12月にはその統括的担い手としてデジタル省を設置し、配下に5つの政府機構(デジタル庁、個人データ保護庁、デジタル経済庁、サイバーセキュリティ・国民番号庁、等)を設けて国のデジタル化推進に注力している。
AIGEで示された7原則は、以下の通りである。
この原則の下、ガイドライン本文では、エンドユーザー向け、産業界の利害関係者(設計・開発者、供給者)向け、政策立案者向けなど、対象者ごとにその含意を具体的な局面に即して翻案し紹介している。またAIGEは国民の6割強(2023年統計)が信仰する国教であるイスラームの原則とも照合を行っており、その原理がAIの倫理的発展の指針となること、また逆に7原則がイスラームの実践に沿ったものであり、AIの含意を分析する基礎として用いうることを述べている。
グローバルな、ないし広域的な政策的呼び掛けとAIGEはどのように整合するのか。グローバルには、2021年11月「AI倫理に関するユネスコ勧告」が、ユネスコ社会・人文科学局の主導により、新興技術であるAIに関する世界初の倫理規範として全会一致で採択された2。このユネスコ勧告を支持するため、マレーシア政府は2022年8月に7つのAI原則を導入した。この原則はAI-RMAPにも含まれ、AIGEは同原則を敷衍したものである。東南アジア地域でも、2024年2月にASEANが国際機構としての共通ガイドラインを制定し、加盟国のAIガバナンス強化を推奨した。ここで掲げられた7原則は「透明性と説明可能性」「公平性・衡平性」「セキュリティと安全性」「堅牢性・信頼性」「人間中心性」「プライバシーとデータガバナンス」「説明責任・公正」であり、AIGEでも忠実に踏まえられている。以上から、マレーシアのAIGEは「信頼性と責任あるAI」の実現を目指し、OECD、ユネスコ、欧州委員会などで確立された原則に沿って、アメリカやイギリスで先行する内容をベンチマークとしつつ提案されたものである。
AIGEの策定背景や内容は、先行するグローバル動向やASEANの指針を踏襲しており、格段の新規性はない。但し、国内産業界からは一定の反応があり、マレーシアIoT協会のダトゥク・P・スリ・ガネス副会長はその発表を歓迎し「倫理的で責任あるAI環境の構築に向けた重要な一歩」と評価する。同時に同協会は政府に対し、AI技術の利用が安全かつ適切であり続けるよう、AIGEに関する国家ガイドラインを継続的に更新するよう求めている3。
ベトナムなどの近隣諸国でも法整備が急がれるなか、マレーシアの動きはどう位置付けられるのか。AIGEでは、AI技術を通じて「経済成長を支え」「ハイテク国家を目指す」旨が随所に強調され、その実現には、包摂性、経済的公正、社会的公平、持続可能性の原則を踏まえねばならないという認識が根底に置かれている。科学技術と経済(成長)の連動性を明文化したのが、2020年発表の「10-10マレーシア科学技術イノベーションおよび経済フレームワーク (10-10 Malaysia Science, Technology and Innovation and Economic Frameworks:10-10 MySTIE)」であり、それを実現するための要件を明文化したのが、今回発表されたAIGEの7原則と言える。
同原則に基づき、今後の法規制はどう展開してゆくのか。AI技術分野における技術発展の速さに照らし、ビジネス・ローの見地からは、特別法の制定による規制(ハード・ロー)と政策や指令による規制(ソフト・ロー)の二層を使い分けた規制アプローチの採用がマレーシアにとって実質的に有効であると示唆されている4。こうした示唆も踏まえつつ、技術や社会の動向に即した機動的な措置が必要になると思われる。