科学分野での規範作りとグローバル報告書の作成―③ユネスコによる科学分野での取り組み

2023年2月22日

樋口義広(ひぐち・よしひろ):
科学技術振興機構(JST)参事役(国際戦略担当)

1987年外務省入省、フランス国立行政学院(ENA)留学。本省にてOECD、国連、APEC、大洋州、EU等を担当、アフリカ第一課長、貿易審査課長(経済産業省)。海外ではOECD代表部、エジプト大使館、ユネスコ本部事務局、カンボジア大使館、フランス大使館(次席公使)に在勤。2020年1月から駐マダガスカル特命全権大使(コモロ連合兼轄)。2022年10月から現職

ユネスコの活動の特徴に、規範・ルール作りや啓発・アドボカシーがあることについては先に触れたが、科学分野でもこれらについて様々な具体的成果が示されている。

ユネスコによる科学分野における規範作り(勧告等)

近年のユネスコ総会で採択された科学分野に関連する勧告(Recommendations)としては、「科学及び科学研究者に関する勧告(1974年採択の「科学研究者の地位に関する勧告」を2017年に改訂)」、「オープンサイエンスに関する勧告(2021年)」、「人工知能(AI)の倫理に関する勧告(2021年)」等がある。

「オープンサイエンスに関する勧告 1」は、世界的な関心が高まっているオープンサイエンスに関する政策と実践のための国際的な枠組みを提供するもので、オープンサイエンスの定義、価値観と基本指針、取り組むべき実践項目等を規定している。同勧告は、「オープンサイエンスとは多様な運動及び実践を組み合わせた包摂的な構成物であって、多言語の科学の知識を全ての人が自由に利用し、アクセスし、及び再利用することができるようにし、科学及び社会の利益のための科学の協力及び情報の共有を拡大し、並びに伝統的な科学コミュニティを越えた社会的関係者に対して科学的知識の創出、評価及びコミュニケーションに関する過程を開放することを目的とするもの」と定義している。

この勧告は加盟国に対して法的拘束力をもつものではないが,加盟国は勧告の進捗状況について4年毎の報告が求められる。勧告の国内実施を支援するためのツールキットも提供されている 2。オープンサイエンスの推進は、サステナブル・サイエンスの推進と並んで、現在ユネスコが科学分野において特に重視するテーマであり、勧告の策定はこのテーマにグローバルな推進力を与えるものである。

オープンサイエンスに関するユネスコ勧告

オープンサイエンスの考え方(ユネスコ勧告より)

「AIの倫理に関する勧告 3」は、人工知能の領域に関連する倫理的問題に対処するための規律を提供するもので、AIの開発や利用にあたって尊重すべき価値や原則について規定している。ユネスコ事務局では、社会・人文科学局がこの勧告の作成を主導した。新興テクノロジーであるAIやメタバースをどのように統治すべきかについては国レベルと国際レベルで検討が行われている。先進国の集まりといわれるOECD(経済協力開発機構)で2019年にAIに関する原則(理事会勧告)が採択されているが 4、ユネスコ勧告はAI倫理に関する世界で初めてのグローバルな規律である。こうした新興技術のガバナンスとそれに付随する倫理規範の重要性は今後益々高まってくるものと思われる。

「科学及び科学研究者に関する勧告 5」は、科学が実践される目的と価値システムを体系化するとともに、科学の発展に必要となる支援と保護のあり方を示したもので、個人や組織が科学に関する知見や能力を高めるために政策上及び組織上求められるポイント等に関してチェックリストを提供する。科学データの自由な流通や科学研究者に十分な予算的・組織的支援を提供することの重要性等を謳っており、特に開発途上国が科学研究に関する体制を整備していく上で有益な参照文書として役立つことが期待されている。

科学分野に関するユネスコ報告書

教育や文化等、所掌する主要分野に関するグローバルで包括的な報告書を定期的に発行し、重要課題の現状等について情報を提供し、分析を加え、加盟国政府の政策立案・実施に供するとともに、世界中の人々の関心を高め、問題意識を喚起し、必要があれば警鐘を鳴らすといったこともユネスコの重要な「知的協力」活動の1つである。科学分野についてもこれまで数多くの報告書が作成され、公表されている。ここ数年の報告書の中から代表的なものをいくつかを紹介すれば以下のとおりである。

●「ユネスコ科学報告(UNESCO Science Report)」6

ユネスコが数年に1度の頻度で発行している世界の科学と技術の動向に関する包括的な報告書である。「よりスマートな開発に向けた時間との競争」と副題された7回目の報告となる最新版(2021年版)は、全体で758ページに及ぶ読み応えのある報告書となっている。

ユネスコ科学報告2021

【ユネスコ科学報告2021サマリー】

  • 所得水準の区別に関係なく、世界中のすべての国にとって、開発のための優先課題が、過去5年間に「デジタル」と「グリーン」の2つのテーマに揃ったのは驚くべきことである。この「二重の移行(Digital and green transition)」は、2030年までのSDGs達成に向けて時間が迫っていること、そして各国の将来的な経済競争力が、いかに速やかにデジタル社会に移行できるかにかかっているという二重の要請を反映している。
  • 本報告は、科学ガバナンスの観点から、現在進行中の社会的変化の現状と、何らかの対応を講じなければ社会的な不平等が悪化するリスクについて詳述している。本報告は、このデジタル/グリーン化に成功するには、研究とイノベーションにさらなる投資を行う必要があることを明らかにしている。SDGs達成へのコミットメントに沿って、30カ国以上の国が2014年以降、研究支出を増大させているが、世界の国の8割はいまだ研究にGDPの1%以下の予算しか支出していないため、外国の技術への依存が永続化している。
  • デジタル/グリーン化は民間セクターが牽引する必要があるが、各国は、企業が投資を決める前にテストを行うことができるデジタル・イノベーション・ハブのような新規の政策措置を通じて民間イノベーションを促すべく努力を行っている。いくつかの国の政府は、給与引き上げやその他の手段を通じて研究者の地位を改善しようとしている。2014年以降、世界の研究者数は増加した。
  • 新型コロナ禍は、知識生産システムを活性化させるとともに、国際的な科学協力の強化に向けた流れを加速した。これはコロナや、気候変動、生物多様性の喪失等の他のグローバルな課題への対応に向けた良い幸先となった。しかし、各国はグリーン技術への投資を増やしてはいるものの、学術出版の観点では、サステナビリティ・サイエンスはまだ主流化していない。

本報告書は、グローバルなトレンド分析と共に、各地域と主要国毎の科学政策動向の分析も行っている。アジア太平洋については、南アジア、インド、中国、日本、韓国、東南アジア・大洋州にそれぞれ一章ずつ(第21章から第26章)が充てられている。

なお、SPAPでは2021年9月に、このユネスコ科学報告に関するAsian Scientistの記事を紹介している 7

地域・国別の国際共著論文の割合(2015年と2019年、ユネスコ科学報告2021図1.4より)

●「ユネスコによる生物多様性のための行動:自然との和解(2022)」8

生物多様性の保護に関連するユネスコの様々な活動(世界自然遺産、「文化的景観」の考え方、生物圏保存地域(ユネスコエコパーク)、ユネスコ世界ジオパーク、環境教育等)に関する包括的な報告書である。ユネスコは、関連事業の実施を通じて、2022年12月のCOP15で採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組」の実施をモニターしつつ支援していくとしている 9

●「国連世界水開発報告書2022」

世界の水問題もユネスコが取り組む優先テーマの1つである。2022年3月にセネガルのダカールで開催された第9回世界水フォーラムで、ユネスコはUN-Water(国連水関連機関調整委員会)を代表して、「地下水:見えないものを見えるようにする(Making the invisible visible)」と題した国連世界水開発報告書の最新版を発表した 10。地球上に存在する液体の(凍結されていない)淡水の99%を占めながらも、いまだ十分きちんと理解されず、適切に管理されず、濫用されている地下水に焦点を当てたユニークな報告書である。

飲料水や灌漑用水など、現在人類が消費する水の約半分は地下水から来ている。特にアジア太平洋地域には、世界で最も多くの地下水を利用している10大国のうち7カ国が集中しており、これらの国だけで世界の地下水利用の約60%を占めているという。向こう30年間に亘って水消費は毎年約1%ずつ増加すると見込まれているが、気候変動によって地表水の利用が制限されれば、地下水への依存がさらに増すことが予想される。

本報告は、現在および将来の地球上の水危機に対処するため、適切かつ効果的な地下水の管理およびガバナンス政策の開発を各国に呼びかけており、具体的には、データ収集、環境規制の強化、人的・物的・予算的資源の強化を提案している。

●「行動のための数学(2022)」

科学や科学的思考の基礎となる数学の重要性をハイライトした出版物である。2022年、ユネスコが定めた「国際数学デー」(3月14日)に合わせて、「行動のための数学:科学に基づいた意思決定のために」と題した報告が公表された 11。32名の数学者等による共同執筆によりSDGsの各目標に関連する課題への対応における数学的手法の役割の有効性と重要性を示し、政策決定者に向けてエビデンスに基づく意思決定を支援することを意図した政策ツールキットである。

新型コロナウイルス感染症のパンデミックの経験を通じて、「流行曲線の平坦化(flattening the curve)」、「基本再生産数(the basic reproduction number (R0))」、「集団免疫(herd immunity)」といった数学的概念がニュース等をはじめとして、我々の周りで日常的に使われるようになった。このことは、我々が直面している様々な課題への対応において、数学的な思考と手法がいかに重要かを再確認させている。

このユネスコ報告は、26の具体的な事例を通じて、SDGsの達成に向けて我々が取り組む課題において数学的手法がいかに有効かつ重要であるかについて説得力をもって例示しようとしている。例えば、AI技術を活用しつつ、携帯電話、通信衛星、SNS等による非伝統的データを伝統的データと組み合わせることで貧困マップの精度を向上させ、貧困削減政策のターゲットをより正確に絞り込むことが可能となるといった試みが取り上げられている。

このテーマと関連して、ユネスコはSTEM(科学・技術・工学・数学)教育の促進、STEM教育におけるジェンダー・ギャップの解消に向けた取り組み等にも力を入れており、関連する報告等も発行している 12

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