2025年9月29日 斎藤 至(JSTアジア・太平洋総合研究センター フェロー)
シンガポールは建国以来、科学技術発展に際して人材の育成・確保を重視し、経済発展の礎としてきた。急速なキャッチアップを実現すべく、諸外国の卓越研究人材を、徹底した能力主義に基づく好待遇で抜擢してきた。またシンガポール人に対しては、多様な奨学金制度を設けて外国での研鑽・研究を促すと共に、人材流失を避けるべく、国内研究開発コミュニティへの引き留めや呼び戻しを通じて、確保を図ってきた。
世界的に研究開発競争の進む人工知能 (AI) に関しても、専門人材の不足は課題であり、国内需要も急速に高まっている。シンガポール情報メディア開発庁 (IMDA) の年次調査によれば、高度デジタル人材の就労者数は19.2万人(2019年)から21.4万人 (2024年) へ増加したという。
シンガポールでは従来から、様々な省庁および関連機関が、AI人材のリスキリング・プログラムを継続的に実施してきた。例えば「Tech Skills Accelerator (TeSA)」は、IMDAが主導し、シンガポール労使局 (Workforce Singapore)、国家労組協議会と連携した高度デジタル人材の育成施策である。また「AIシンガポール」は、2017年5月、NRFを含む政府6機関の提携によって設立された共同研究プログラムである。
特に「AIシンガポール」では、産業界との連携を念頭に、AI人材の集中的育成がなされてきた。具体的には、人材育成に係る「ラーンAI (Learn AI)」という柱の下で「AI見習工プログラム (AIAP: AI Apprenticeship Program)」が設けられ、既にAIの基礎知識と技術を身に付けた人材 (多くはSTEM系の学部出身者) を対象に、実社会でAIを用いたプロジェクトへの参加機会を与え実地訓練を施している。プログラムは、大規模言語モデル(LLM)、コンピュータビジョン、自然言語処理の習得を主とした3ヵ月の「高度職能訓練」と6ヵ月にわたる産業界での「実地訓練」(OJT) で構成される。
2025年9月、政府による新たなAI人材育成プログラムとして「Skills Pathway for Cloud」の立ち上げが発表された。シンガポール計算機科学会 (SCS) が主導し、IMDAと「SkillsFutureシンガポール」(人材開発省による生涯職業能力開発プログラム) との連携で実施される。端的に言えば、これはアカデミア主導によるクラウド・コンピューティング分野およびAIを駆使する人材向けの職能向上プログラムであり、2024年7月からサイバーセキュリティ分野を対象に実施された「Skills Pathway for Cybersecurity」に続く取り組みである。ジョセフィン・テオ (Josephine Teo) デジタル開発・情報相は、このプログラムの目的を「職務即応型人材の強固なパイプラインの創出によって、AI駆動型の社会変革(AIX)を支援すること」だと述べている。
「Skills Pathway for Cloud」では、「インフラ」「開発・セキュリティ・運用 (DevSecOps)」「ソフトウェア」「ソリューション構築」という、需要の高い四事業分野について、レベル1 (見習工) とレベル2 (導入レベル職務) の二つのレベルを設け、各レベルの職業訓練を修了した者には認定証を交付する。レベル1の修了者は参加企業のインターンシップに参加する権利を得られる (選考は別途発生する)。レベル2は「コアスキル」と「専門スキル」の二つの認定枠に分かれており、各スキルに関連した3ヵ月の職務経験と6ヵ月のインターンシップを必修とする。レベル2の修了者は、上述した四事業分野の企業において、フルタイム労働者としての雇用機会が得られる(選考はレベル1と同じく別途発生する)。
シンガポール計算機科学会で「Skills Pathway for Cloud」の統括を務めるEdward Chen氏は、本プログラムについて「労働需要に即した人材開発戦略の構築に成功したと共に、産業界のキーパーソン、政府機関、雇用者、職業訓練提供者という異なるステークホルダーの連携にも成功した」と自己評価している。
シンガポールは、リスキリング施策を通じてAI人材の育成に取り組んできており、AI産業の拠点および市場としての可能性が期待されている。東南アジア諸言語に対応した独自のAIモデル開発に関しても、多くの日本企業が連携や共同開発に乗り出している。業種は総合電機メーカー、金融、技術系スタートアップ等多岐にわたる。またGAFAMと呼ばれる欧米の多国籍企業の一部も、現地での研究開発拠点を相次いでシンガポールに設置している。
現在シンガポール政府で策定中の国家5カ年計画「研究・イノベーション・企業 (RIE) 2030」では、AIを核心に据える方針が示されている。これに先行して、「スマート・ネイション2.0」 (2024年10月発表) ではスマート国家の建設にAIの活用が鍵を握るとして「信頼」「成長」「連帯」の理念が掲げられた。技術水準の高度化のみならず、その技術を駆使できるAI人材の開発と確保が進むことで、シンガポールの将来の発展は一層確固たるものとなるに違いない。