北陸企業とインド連携③~能登里山里海DXコモンズ構想を実践中(前編)

2021年9月16日

松島大輔

松島大輔(まつしま だいすけ):
金沢大学融合研究域 教授・博士(経営学)

<略歴>

1973年金沢市生まれ。東京大学卒、米ハーバード大学大学院修了。通商産業省(現経済産業省)入省後、インド駐在、タイ王国政府顧問を経て、長崎大学教授、タイ工業省顧問、大阪府参与等を歴任。2020年4月より現職。この間、グローバル経済戦略立案や各種国家プロジェクト立ち上げ、日系企業の海外展開を通じた「破壊的イノベーション」支援を数多く手掛け、世界に伍するアントレプレナーの育成プログラムを開発し、後進世代の育成を展開中。

北陸企業とインド連携②鶏卵をコールド・チェーンで輸送へ

インドと北陸の関係は、これまで話をしてきたとおり、現代のものと思いきや、実はもっと古いものがある。なんと!1300年以上前からの「お付き合い」なのである。

北陸三県の真ん中に伸び上がった能登半島(石川県)がインドと密接な関係があるということはご存じだろうか?「のとのくに」の「のと」を漢字で書くと「能登」。これは字義通りには「能く登る」ということになるが、どのような意味かご存じだろうか? 諸説あることを前提に、天に登ったのは、今から1300年近く前の養老年間に中国や韓国を経由して日本に渡ってきた法道(ほうどう)仙人というなんとインド(当時日本では「天竺」と呼ばれていた)から来た仙人だそうである。この仙人は、能登半島だけではなく、播磨国、現在の兵庫県でもいくつかの伝説を残しているが、修行によって空を飛ぶことができたとされる。さらに天皇の皇子が病に倒れたとき、そのスピリチュアルな力で治癒させることができたという伝説も残されている、古代史のスーパースターである。能登には、この法道仙人の足跡として、修験道の聖地である石動山があり、中世まで天平寺を中心に大伽藍を構えていた。つまり、北陸はインドと強い絆を持つ土地柄であり、今様に空飛ぶ法術とは、「オンライン環境」とすると牽強付会が過ぎるだろうか。

実はこの法道仙人の伝説は、能登半島の一番鼻の部分に位置する珠洲市で「聖域の岬」という年間20万人以上の観光客が訪れるというパワー・スポットのあるランプの宿(https://www.lampnoyado.co.jp/ )(外部リンク)でお聞きした。このランプの宿は、最も予約するのが難しい高級旅館であるが、創業が実に1579(天正7)年という。本能寺の変より3年前という、桁外れの老舗旅館である。さらに単に老舗旅館というだけでなく、地域全体に様々な仕掛けが配されている。この「聖域の岬」の下には、法道仙人が、まさに天に登るにあたって、スピリチュアルなパワーを取得したパワー・スポットである「青の洞窟」が存在する。イタリア・カプリ島の「青の洞窟(Grotta Azzurra)」に比肩する神秘的な空間が広がる。 法道仙人の伝説、そして「能登」のいわれがインドから導かれたという衝撃の事実を教えていただいたのは、珠洲商工会議所会頭で、このランプの宿㈱の刀祢秀一社長である。刀祢社長こそ、このランプの宿の第14代当主にして、地域のクリエーティブ・デザイナー、プロデューサーとでもいうべき人物で、法道仙人ゆかりのインドとも交流を深めている。実際、2021年1月に珠洲を訪問して刀祢社長にお伺いしたところ、インドにおけるスマート・シティ(Smart City)の開発に協力し、その観光開発の部分を担当しているというのだ。同社長は日本IR(Integrated Resort)協会を創設され、能登半島にカジノを誘致する計画も検討しておられるという。兎に角、アイデアと行動力の塊のような経営者である。著者が、2006年から2010年までの5年間インド駐在経験があり、現在もインドの優秀なIT人財との連携や、インド企業との連携など、幅広くインドとの交流を進めていることをお伝えすると大変喜んで頂いた。

現在筆者は、能登半島の里山里海の自然を生かしDX(Digital Transformation)化を進める過程で、暗号地域通貨(SATO)(仮称)を介した新たな経済システムの建設、「能登里山里海DXコモンズ構想」を実践している。このキックオフとして、著者は、2021年2月12日には、大林重治・七尾商工会議所会頭との間で、茶谷義隆・七尾市長と北陸経済連合会・杉山正樹事業強化部長の立ち会いのもと、「DX産業化推進パートナーシップ協定書」を締結させていただいた(下記写真参照)。七尾は能登半島の中心地であり、律令時代の能登国・国府が置かれた場所である。戦国時代には日本五大山城の一つである七尾城(https://www.nanaojyou.com/ (外部リンク))が築城され、能登国守護で室町三管領である畠山氏が治める「小京都」として、日本水墨画の最高峰である長谷川等伯を輩出するなど殷賑を極めた。この文化的、社会的遺産を前提に、七尾を中心にした能登の里山里海の豊饒な恵みをもたらしている。

金沢大学と七尾商工会議所とのDX協定署名式の模様。前列左が筆者=2021年2月12日

実はこの「里山里海」は、いわゆる「入らずの森」(1次的自然地域)ではなく、人間の営みとして農業、漁業、林業、畜産業などにより長年持続可能な形で維持されてきた自然、2次的自然地域である。この1次的自然地域のような人間の手つかずの自然を保護するという方法ではなく、「適度な人間の関与」によってむしろ持続可能なかたちで自然を維持して行こうという立場を新たに提起したのが「里山里海」のコンセプトではないだろうか。実際、2015年のCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)では最終的に、生物多様性を追求する名古屋議定書(Nagoya Protocol)された。その際、日本が主張してこの「里山里海」コンセプトを前提にして、2次的自然の荒廃による世界的な生物多様性の危機を解消するための対策が、「SATOYAMAイニシアティブ」として提案された。この「SATOYAMAイニシアティブ」では、世界各地の農村漁村、中山間地などに点在する、いわゆる「ローカル・ウィスダム(local wisdom)」として蓄積されてきた自然を持続可能に利用する社会経済システムを包摂した自然との共生社会のベストプラクティスを集めて共有し、共通の理念を構築して行こうという試みである。これらは「生態系勘定」などの生態学や環境学の知見が応用されている学際的な試みであるが、実は著者が所属する金沢大学も、この「里山里海」とは深い関係にある(https://www.crc.kanazawa-u.ac.jp/meister/history/) (外部リンク)。金沢大学教授(当時)で生態学がご専門の中村浩二先生が主導され、金沢大学の分校である「能登学舎」では、能登半島・里山里海自然学校が創設され(http://www.satoyama-satoumi.com )(外部リンク)、実践中である。この里山里海自然学校では、当該地域の持続可能性を支えるローカル・アントレプレナーを育成するための「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」( https://www.crc.kanazawa-u.ac.jp/meister/ ) (外部リンク)が開校されており、30以上のローカル・ビジネス事業の案件形成に貢献している。本プロジェクトを進めておられた宇野文夫先生から、能登半島に展開する様々なローカル・ビジネスや地元で活躍される方々をご紹介頂いたが、能登半島全体が、「里山里海」の「ショーケース」、或いは「テスト・ベッド」として、将来にわたる2次的自然地域が今後どのように持続可能性を確保しつつ、拡大していくかを示す様々なポテンシャルを秘めている。実際に、金沢から能登半島への自動車専用道は「のと里山海道」、能登空港も「のと里山空港」と命名されているほどである。さらに、2011年6月には、国連食糧農業機関(FAO:Food and Agriculture Organization)から世界農業遺産(GIAHS)に認定され、今年2021年には、11月25日から3日間の日程で、世界農業遺産認定10周年記念の国際会議が、七尾市で開催されることが予定されている。

「能登里山里海DXコモンズ構想」とは、これまでの能登半島で10有余年に亘って構築されてきた「里山里海」という人と自然が共生してきた2次的自然地域の持続可能な展開について、今般のDX化の先端科学技術を活用し、これまでの人間を主語とした里山里海保護から、「里山里海」そのものを主語とし、この地域の維持のための個人や法人、組織等の様々な貢献を、地域暗号通貨「SATO」を通じて「見える化」し、その価値の分配や交換を媒介するという試みである。今後、七尾商工会議所の皆さんと進めている「能登里山里海DXコモンズ構想」では、最終的にインドを中心に、世界的な展開を図ることを目指している。次回(後編)はその詳細を説明したい。

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