「農業の半導体」デジタル育種に乗り出す韓国―食料安全保障と研究開発③

2023年8月9日 JSTアジア・太平洋総合研究センター フェロー 安 順花(アン・スンファ)

今回の「食料安全保障と研究開発」コラムでは、韓国を取り上げ、食料安保への懸念が高まっている現状と、食料安保に向けた新たな取り組みを紹介する。

危うい韓国の食料安保

人口およそ5,100万の韓国の食料自給率は、2021年時点で44.4%(生産額ベース)である。食料のうち、自給率が最も高いものは主食のコメである。韓国農村経済院の「2021年度主要食品自給率表」によると、韓国のコメの自給率は84.6%である。多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)によって一定のコメ輸入が義務付けられているので、それを考えるとコメは自給できる状況といえる。しかしコメ以外の穀物の自給率は深刻な状況である。小麦・トウモロコシの自給率はわずか0.7、0.8%であり、コメ以外の穀物はほとんどを輸入に依存している。飼料などを含めた総合的な食料輸入率は2016年の78.4%から2020年の80.5%と増加し続けている。

グローバル指標から見ても韓国の食料安保は危うい状況である。2022年の「食料安保指数(GFSI)」で韓国は113カ国中39位にとどまった。とりわけ、気候変動など持続可能性や食料確保、アクセスへの取組の項目が低く評価された。食料安保の危機は過去にもあった。ただし、洪水・干ばつなど一時的な自然災害に左右されることが多かった。しかし近年では、農作面積の減少、農業人口の減少に加え、ロシアのウクライナ侵攻による国際的な原材料価格の上昇、気候変動など恒常的、構造的な要因がある。

これらを背景として昨今、世界的に食料安保への重要性が増しており、韓国政府も食料安保や農業のグローバル競争力の向上に向けた方策を打ち出している。

韓国農林畜産食品部は2022年12月、「中長期食料安保強化方策」を公表した。同方策では、2027年までに食料自給率を55.5%へ引き上げ、小麦・大豆の自給率もそれぞれ8.0%、43.5%へ引き上げることを目標に掲げた。

また、「第8次農業科学技術中長期研究開発計画」の下、2023年度施行計画では、研究開発戦略としてグリーンバイオ中核技術の確保および農食品産業の活力向上(グリーンバイオ融合)や、食料主権確保と安全な食料供給基盤強化(食料主権確保)を取り上げている。グリーンバイオ融合の研究開発施策として注目すべきことが、農業遺伝資源の確保及び農作物・家畜のデジタル育種先導モデルの開発である。

「農業の半導体」種子技術

半導体は産業の中核を担うものとして「産業のコメ」と呼ばれているが、種子は「農業の半導体」に例えられる。グローバル種子市場規模はここ10年間2倍以上成長し、種子は食料安保のためにも、ひいては自国農業のグローバル競争力の向上のためにも、重要性が高まっている。しかし現在、グローバル種子市場で韓国のシェアはわすが1~2%に過ぎない。このような問題意識から韓国は2011年から2021年までの10年間、国産種子開発・普及および輸出による種子産業の基盤を構築する国家戦略型R&D事業「Golden Seedプロジェクト」を行った。今年からはその後続事業としてデジタル育種事業に乗り出した。

図1 育種法の変遷

*PF:プラットフォーム、MABC:迅速発育抗酸菌に分類される一群、GWAS:ゲノムワイド関連解析
(出典:韓国農村振興庁)

デジタル育種とは、ビックデータ分析や人工知能(AI)などの先端情報通信技術と、ゲノム編集技術などバイオテクノロジーが融合された育種技術である。場合によっては精密育種(Precision Breeding)とも呼ばれる。詳しくは遺伝体・表現体・環境情報など標準化された様々な学習ビックデータに基づき、ディープラーニングを通じてAIによる交配や優秀形質系統の予測選抜・推奨、育種家の交配及び優秀系統世代の短縮、優秀系統の再検証・品種化を支援することである。すなわち、特定機能を発現する遺伝子を効率よく選定し、超高速育種を実現することや、これまでにない形質(表現型)を持った新品種を作出することができる。

先進各国ではデジタル育種、精密育種に対する研究開発と同時に、産業化のための関連法制度の整備も進められている。英国では今年3月、食料安保のための重要なツールとなる遺伝子技術法が成立した。米国、オーストラリア、日本などは既に同様の法律を制定している。

グリーンバイオ産業の核心技術として重点育成へ

今年2月に公表された韓国農林畜産食品部の「グリーンバイオ産業育成戦略」では、農業および関連分野に付加価値を創出する新産業としてグリーンバイオ産業が位置づけられ、重点すべき6大分野の1つに種子が選ばれた。さらに12大核心技術のうち共通基盤技術として、マイクロバイオーム、合成生物学、遺伝子編集技術とともにデジタル育種が選ばれた。狙いはデジタル育種技術の高度化および産業化を通じて、自国の種子企業の品種改良の効率性を高めることで、グローバル競争力を確保することである。

また、同月の「第3次種子産業育成総合計画(2023年~2027年)」では、技術革新を通じた種子産業育成に向けて今後5年間で1兆9,410億ウォン(約2,100億円)を投じると明らかにした。同総合計画には、デジタル育種など新育種技術の商用化など5大推進戦略が盛り込まれている。

表1. 第3次種子産業育成総合計画の主要内容
戦略
および
課題
5大戦略 細部推進課題
1. デジタル育種など新育種技術の商用化 ①作物別デジタル育種技術の開発および商用化
②新育種基盤技術および育種素材の開発
2. 競争力のある核心種子開発への集中 ①グローバル市場を狙い10大種子開発の強化
②国内需要に合わせた優良種子の開発
3. 3大核心インフラの構築強化 ①(人材)育種-デジタル融合専門人材の育成
②(データ)育種データの公共・民間の活用性の向上
③(拠点)「K-Seed Valley」の構築および国内採種の拡大
4. 企業の成長・発展に合わせた政策支援 ①R&D方式を官主導から企業主導へ改変
②企業需要に合わせた設備・サービスの提供
5. 食料種子の供給改善および育苗産業の育成 ①食料安保向け種子の生産・普及体系の改善
②食料種子・無病苗の民間市場の活性化
③育苗業を新成長産業化

(出典:韓国農林畜産食品部)

このような計画の下、デジタル育種転換技術開発事業も行われている。同事業では、育種核心技術の高度化を通じた事業化促進およびデジタル育種転換基盤構築に向けたデータシステムの構築を目指している。重点支援分野は、デジタル育種基盤構築に向けた核心技術の開発、データ連係デジタル育種活用システムである。

併せて、デジタル育種の構成要素である育種素材の確保、資源・ビックデータの構築、AI模型開発など、技術の多様性により技術の水準別定義が確立されていない現状を踏まえて、技術水準別デジタル育種のレベルも定義した。韓国農村振興庁は忠南大学と共同で、デジタル育種技術を技術水準に合わせて0から5まで6つのレベルに分けてそれぞれの定義を整理した統一案を提案した。

表2. デジタル育種の技術水準別段階(レベル)定義の統一案
レベル 定義 主要デジタル技術 適用育種技術 特徴
0 デジタル技術使用なし 伝統育種 育種家の経験に依存
1 育種にデジタル技術を導入 ビックデータ 分子育種 育種にデジタル技術を導入
2 人工知能(AI)技術を導入 ビックデータ、
初期AI技術
分子育種 技術限界で質的形質中心の適用
3 AI技術を導入 ビックデータ、
線型AIモデル
遺伝体育種 数量など量的形質育種可能
4 AI技術を積極活用 ビックデータ、
ディープラーニング(非線型)
遺伝体育種 育種に環境要因 反映可能
5 ディープラーニング技術を積極活用 ビックデータ、
ディープラーニングなど最新AI技術
AI育種(仮称) AIによる育種手順のデザイン

(出典:韓国農村振興庁)

これまで韓国は種子市場規模が小さいが故、伝統的な育種法が主流であった。他方、グローバル市場ではゲノム編集やデジタル育種など新技術の研究開発や商用化が急速に展開されている。先の図表1からも伺えるように、韓国政府はこれまで蓄積してきた植物遺伝資源や得意の情報通信技術力を活かした、デジタル育種の研究開発事業を拡大することで、食料安保とともに輸出主導の種子開発によるグローバル競争力の強化を目指している。

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