シンガポール、細胞農業技術の振興で安定供給へー食料安全保障と研究開発②

2023年6月16日 JSTアジア・太平洋総合研究センター フェロー 斎藤 至

アジア・太平洋の食料安全保障を考える第2回は、国際比較の指標で上位にランクインした諸国の中から、シンガポールの取り組みを紹介する。

シンガポールは食料供給の9割を輸入に依存しており、食料の安定的な供給は国民の生存を左右する最も根本的な課題である。近隣国との関係では、2022年6月にマレーシアによる食鶏の輸出禁止措置が採られ、供給の逼迫が大きく報じられた1。ラクサをはじめ、もともと甲殻類を食材として多用する食習慣から、エビやカニの消費量が多かったが、近年、国外でも需要が高まるにつれ、供給の更なる安定化が期待されている。

ラクサはエビを出汁にしたスープ麺で、シンガポールの代表的な料理の1つ
(写真はイメージ)

手厚い研究開発支援、供給網は極めて不安定

まず、本シリーズの第1回で触れた食料安全保障指数(GFSI)からシンガポールの特徴を振り返ってみよう。2022年には世界28位(アジア・太平洋地域では5位)、2019年には世界1位となっている。下表から評点の内訳を見ると「農業の研究開発」(「入手可能性」のサブカテゴリー)では83.2(世界平均47.1)と評価され、公的費用の支出を十分に行い、革新的な技術へのコミットメントを行っている。

ただし、シンガポールは「持続可能性と適応」が44.3(世界平均対象の113カ国中92位)、特に「災害リスク管理」が0と、他の3項目に比べ極めて低い。これはマレー半島の突端に位置し南シナ海に面する島国という特性も大きな一因と考えられている。2017年のGFSI報告書では「天然資源と気候(海面上昇や気候変動)のリスクに対して(世界で)最も脆弱」と特記されており、双方のリスクを加味した調整係数を適用すると、2017年の世界順位は4位から19位へ大きく低下すると推計されている2。安定的な食料供給網の確立は、シンガポールにとって最も困難な社会課題の1つと言えるだろう。

表 食料安全保障指数(GFSI)で見るシンガポールの概況
(出典:Global Food Security Index 2022から筆者作成)

「3つのバスケット」戦略と国民への広報

シンガポール政府は、GFSIから浮き彫りになるこれらの課題を既に強く認識しており、セーフティネットプログラムや政策的支援を相次ぎ打ち出している。シンガポール食品庁(SFA: Singapore Food Agency)は「3つのバスケット」戦略を打ち出し、(1) 食料源を多様化する必要性、(2) 国産の食料源の強化(Grow Local, "30by 30": 2030年までに食料自給率を30%に向上)、(3) 海外での食料培養機会を模索すること(Grow Overseas)、を掲げている3。その中で代替タンパク質を工業的に培養することで安定・効率的に生産する「細胞農業技術(cellular agriculture technology)」である4

国の科学技術政策を統括する科学技術研究庁(A*STAR)は、既に1990年から生体処理工学研究所(BTI)を設けていたが、2020年には食品・生物工学イノベーション研究所(SIFBI)を新たに設け、「微生物工学」「生体内変換」「食品プロセス工学」「栄養学」など6つの領域で研究開発を進めている。2021年からは3年間、国営企業のテマセクと共に3,000万シンガポールドル(約31億円)以上を投じて、食品系スタートアップの事業(特に代替タンパク質の研究開発)に対する支援を開始した5

現在シンガポールは、無血清の培養肉の食用販売(2023年1月)、昆虫食の食用利用(2023年4月)を相次いで法的に認可した世界唯一の国家となっている。また2021年4月には食品安全規制ハブ(FRESH)6を立ち上げ、食品・化学添加物安全性の研究開発を推進するなど、GFSIが世界平均に比べて低い「食品の安全性」向上にも力を入れている。

またシンガポールは、国際的な意識調査によると、オランダなどと並び、回答者の中で培養肉の導入に関して肯定的な意見の多いことが明らかになっている7。政策的なルール形成とともに、新食品の導入に対する不安を払拭し、社会的認知度を高めるための広報活動を進めてきた結果が反映されていると推察できる。

注目スタートアップも積極的に事業展開

政府の振興策に後押しされ、様々なスタートアップ企業が研究開発を積極的に進めている。中でも、A*STARのポスドク研究者2名が2018年8月に起業したシオック・ミーツ(Shiok Meats)は、甲殻類から幹細胞を分離する独自技術を持ち、第1回日経アジア・アワードを受賞するなど、各界から注目を集めるバイオベンチャーだ。同社は培養エビのミンチ肉を2024年中に国内で商業販売することを目指し、事業を展開している、

世界的な健康志向の高まりから、海産タンパク質食品は肉食を主とする欧米諸国でも需要が高まっている。これを受け、シオック・ミーツは培養・加工技術のみならず流通技術に関しても知見の連携を進めている。2020年10月1日には、シリーズAの資金調達で、エンタープライズ・シンガポール(ESG)や日本の東洋製罐グループを共同出資者に含む国内外約5社から総額1,260万米ドルの資金を調達し、パイロット・プラントの建設資金に充てた8

シオック・ミーツは国外市場を見据えた連携にも積極的だ。2023年3月12~15日にテキサス州オースティンで開催されたSXSW(サウスバイサウスウェスト、先端技術やスタートアップの集結する世界的展示会)では、東洋製罐グループと共同出展した9。米国は2022年に食品医薬品局(FDA)が培養鶏肉の流通を法的に認可しており、将来の有望な国外市場となることが見込まれる。

シンガポールではこのほか、アジア初の培養魚肉企業アバン(Avant Meats)や低糖質食品開発を行うヌトリエント(Nutrient)などのスタートアップが顕著な成果を挙げている。産官学各界が力を結集して取り組む同国の食料安全保障に、世界の注目は更に高まる。

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