2023年11月30日 聞き手 科学技術振興機構(JST)元参事役(国際戦略担当)樋口 義広
国際頭脳循環シリーズの今回のインタビューでは、理化学研究所の于秀珍(Xiuzhen Yu)チームリーダー(CEMS電子状態マイクロスコピー研究チーム)に話を伺った。
参考: 「発見の喜びを原動力とする最先端研究を人類の未来につなげる」:理研・五神真理事長に聞く
于秀珍チームリーダー
于秀珍さんは、国内外の賞をいくつも受賞するなど世界的に注目される数物分野の研究者である。2023年11月には、恩師の十倉好紀氏とともに江崎玲於奈賞に選ばれた。中国で修士号を取得した後、来日。産総研や物質・材料研究機構(NIMS)で研究活動を行うとともに、2008年に東北大学で博士号を取得。2011年から理研で研究員を務めている。近年は、特に電子顕微鏡を使ったスキルミオン結晶の観察で大きな成果を出している。
生まれは中国山東省の青島。家庭環境もあり、小さい時から科学者になりたいと思っていたという。半導体や超伝導がブームになっていたこともあり、当時、中国でナンバーワンと言われた半導体専門家が在籍する吉林大学で電子科学を専攻した。
当時は、半導体で日本が世界をリードしていた時代で、于さんも日本での研究に憧れた。大学の同級生だった夫は、日本の文科省の国費留学生として東大に留学したが、1年後、彼女も修士取得後に日本に向かった。日本に来たところまでは順調だったが、それからは波乱万丈だった。言葉のバリアがあったし、女性が研究者として十全に活躍するには学位が不可欠だったが、博士号の取得には時間がかかった。
転機は、十倉好紀東大教授が主宰するJSTのERATOのスピン超構造のプロジェクトに参加した時に訪れた。「とても幸運でした。そこで5年ぐらいがんばり、研究の楽しさを覚えました。博士号が取れたのも十倉先生の支援のおかげです」と于さんは述べた。
その後、NIMSで先端電子顕微鏡について学ぶとともに、十倉教授が理研で新たなプロジェクトを立ち上げたことに伴い、于さんも2011年に理研に入所、2013年からは十倉教授がセンター長を務める創発物性科学研究センター(CEMS)の研究員を務めている。「十倉先生は、研究頭脳が優れているだけでなく、人間性も素晴らしく、彼の下で一所懸命働けばあとは心配ないという安心感があります。本当に尊敬の念しかありません」
グループ内で大学院生らの面倒を見ながら、自分の研究に取り組んでいた于さんの成長を十倉教授はしっかりと見守った。2017年には、無期契約のPI(研究室主宰者)に昇格し、チームリーダー(電子状態マイクロスコピー研究チーム)に任命された。
于チームリーダー
理研での于さんの主要な研究は、電子顕微鏡の中でスキルミオンを生成し、観察することだ。
スキルミオンは、1962年にイギリスのトニー・スキルム博士が、電子とは別の粒子の性質を説明するために考案した。スキルミオンの「オン」はギリシャ語で粒のことで、スキルミオンは「スキルム博士の粒」という意味だ。具体的には、固体中の電子スピンによって形成される、大きさが数十~数百ナノメートルの渦状の磁気構造体を指す。
磁石の中にスキルミオンが存在することは理論的に予言されていた。2009年にドイツの研究グループが、マンガンとケイ素の合金の中にあるスキルミオンの格子を確認したが、それは1個ずつのスキルミオンではなく、スキルミオンの内部の電子スピンの配列も分からなかった。ドイツ・グループの論文を読んだ十倉教授は、すぐに于さんに、電子顕微鏡でスキルミオンを直接観察するように指示した。このナノメートルの世界を観察するには、倍率が大きい透過型電子顕微鏡を用いるが、十倉教授が「神の目を持っている」と賞賛する于さんは、NIMSの松井良夫博士の下で電子顕微鏡を研究したこの分野の第一人者だ。
当初、于さんは、これはとても難しい挑戦だと思った。安定なスキルミオンを電子顕微鏡の装置の中で生成し、直接観察するのはきわめて難しく、試行錯誤がしばらく続いた。そして、鉄、コバルト、ケイ素の合金を厚さ20nmほどの薄片にし、その薄片に極低温下で磁場をかけてスキルミオンを生成し、ローレンツ電子顕微鏡法により直接観察する実験を始めた。暗い部屋で独りモニターを見続けるという、高い集中力を要する実験だった。開始から3カ月たったある日、ついに小さな斑点がモニターに現れた。スキルミオンを直接観察することに世界で初めて成功したのだ。2010年のことだ。これにより、薄膜の中でスピンの渦巻き構造を持つスキルミオンが1個の粒子として安定に存在することが確かめられた。その後は、さらに広い範囲の温度で安定なスキルミオン結晶の設計や製作が行われている。
スキルミオンが大きく注目されているのは、その高密度な磁気渦の性質を応用して、ハードディスクのような記憶装置などに使う高感度の磁気センサー素子への応用をはじめ、これまで存在しなかった新しい物性を持った材料として、スピントロニクスの分野に新たな道を開くことが期待されているからだ。「いろいろな物質を観察して、スキルミオンの存在を確認し、その情報に関する応用研究を行う研究者に共有していくことが私の役目です」と于さんは述べる。(文末注)
2010年に初めて直接観察されたスキルミオン結晶
(出典:RIKEN NEWS)
于さんのチームリーダーへの昇格は、女性PIを増やしたいという理研の方針にも沿っていた。
「外国人の私がチームリーダーになる利点には、国際的なチームの中でコミュニケーションが取りやすいことや、海外から若手の研究者をリクルートしやすくなることがあると思います」
彼女のチームは、アルゼンチン、マレーシア、中国、欧州、米国、日本などの出身者で構成され、国際色が豊かだ。チーム内のコミュニケーションは英語がメインだが、于さんは、チームメンバーに、「間違ってもかまわないから日本語を大胆に喋った方がよい」と勧めている。「私も日本に来た時は、『こんにちは』くらいしか分からなかったですが、コミュニケーションのツールですから、やればできるはずです」
チームリーダーは、苦労もあるが、やりがいが大きいという。「日本に初めて来た外国人研究者は、『日本にはなぜこんなにルールが多いのか』と尋ねます。確かに、日本には他の国と違うルールがいろいろあります。コロナ下でのマスク着用の厳守等、些細なことでも時間をかけて一人一人が納得するまで説明するようにしています。やはりチームが仲良くないとよい研究に結びつきません。最初はいろいろありますが、時間をかけてコミュニケーションを取ることで、理解してもらえるようになり、研究もスムースに進むようになります。今はみんな本当に仲がいいです」
グローバル人材を育成しているという実感は、チームリーダーとしての大きなやりがいだ。于さんのチームに来るメンバーは、博士号を取ったばかりの若い研究員が多く、チーム滞在期間も比較的短い。中国でもトップレベルの女性ポスドクが来た時には、当初、日本の学生と比べてやや基礎力が足らないと思われたため、基礎から教育した。1年後には彼女は劇的に進歩し、着実に研究力を身につけた結果、今春、北京大学のテニュアトラックのポジションを獲得した。「言葉のバリアを含め、二人三脚でがんばって、彼女のよいところをプロモートできたのはすごくうれしかったです」
また、英語をつかって時間をかけてコミュニケーションを取りながら指導した米国人ポスドクも、電子顕微鏡で世界トップの米国の某研究所でたいへん良いポジションが内定した。「よいポジションをもらった研究員を送り出すのは、子どもを送り出す親のようにうれしい気持ちです」
最初はほとんど会話ができない状態の日本人のチームメンバーにも、チーム内で英語を使ってコミュニケーションできるようになるなどのメリットがあるという。「日本の学生は慎重ですが、海外から来た人はピンときたアイデアをすぐに発表します。互いに刺激を受けて、シナジー効果が発揮されます」
「今はチームリーダーをやって本当によかったと思っています」と于さんは言う。
理研の五神真理事長が掲げる「2030年ビジョン」の中で、国際頭脳循環は、「国境なき頭脳(brain without borders)」と表現されている。面白い表現だ。于さん自身もまさにそのような「国境なき頭脳」の一例だ。
「理研は、私がこれ以上言うことはないくらい素晴らしい研究環境になっています。何と言っても自然科学の総合研究所としては日本のトップです。グローバル化に力を入れていて、開放的です。五神理事長は独創性や創成、国際頭脳循環を重視しています。並外れた能力を持つ若手研究者にチームリーダーとして独立して研究する機会を提供する『理研白眉制度』や、これをさらに拡充した『理研ECL(Early Career Leader)制度』、大学院生に給与を支給し、研究施設も提供し、ベテラン研究者が直接指導する『理研スチューデント・リサーチャー(RSR)制度』など、理研にしかない素晴らしいプログラムがあります。国内の他の大学や研究所では、外国からきたポスドクが自分で装置を操作するのに制限があるなど、まだ保守的なところがあるようですが、その点、理研の開放性と国際化は日本でも際立っていると思います」
「私が理研で所属するCEMS(創発物性科学研究センター)は、著名な理論研究者と実験研究者が大勢在籍し、理論と実験を連携させて共同研究を推進するという強みがあります。このような素晴らしい環境を活用して、より深い最先端研究を行うことで、将来的に自分の研究が持続社会に貢献できると夢見ています」
于チームリーダー(電子顕微鏡装置の前で)
現在、日本で国際頭脳循環の重要性が再認識されている背景に、日本の研究力の低下があるが、于さんは必ずしも悲観的には見ていない。
「日本の研究力が落ちていると言っても、世界的にはまだ上位です。研究者の総数が多いので、中国の論文数が急成長しているのは確かですが、研究を評価する際に大事なのは論文の数ではなくて、質です。将来的に、この人間社会で持続性に貢献できるような研究が大事です」
日本での研究活動に関心がある海外の研究者へのアドバイスを求めたのに対し、于さんは、基礎力の重要性を強調して次のように述べた。
「日本での研究は基礎を非常に重視しているので、基礎力をきちんと身に付けておいた方がよいと思います。これは研究者の基本です。基礎力がないと、やっている研究が本当に正しいかどうか、自分でも判断できなくなり、怖いことになります」
「今は少し変わったのですが、当時の私たちが学んだ中国の吉林大学は、日本と同じように基礎教育を重視していました。私は半導体物理を専攻していましたが、高等数学や量子力学などは全部必須科目で、当然合格ラインに達しないと卒業出来ません。大学でがんばって勉強したおかげで物理の基礎が身につき、十倉先生の強相関物理学という難しい分野にやって来たときにもそれほど違和感はありませんでした。私の主要分野の電子顕微鏡の世界でも、実験の力だけでなく、やはり物性物理をきちんと理解していないとよい研究ができません」
「日本では基礎をしっかりやった上で最先端の研究をするのがよいと思います。はやりの研究に反対するわけではありませんが、そればかり求めるなら他の国を選んだ方がよいかもしれませんし、一番はやっている研究をどうしても日本でやるというのであれば、あとでがっかりしないように事前にきちんとよく調べた方がよいと思います。いずれにせよ、しっかりと基礎力が身についていないと成功しませんし、途中で挫折するリスクがあります。きちんと基礎を学んで、時間をかけてしっかりと研究するという覚悟をもった方がよいと思います」
于さんは、日本に来たら、研究だけでなく、日本の文化や生活を楽しむ気持ちを持つことが大切だとも説く。
「日本のよいところは、私が言うまでもありません。たくさんのブランドを生み出した先進国ですし、社会的にも非常に安定していることはとても魅力的です。日本の美しい風土や環境もすばらしく、日本文化はブームになっています。日本に来る研究者には、研究だけでなく、日本の生活や文化を楽しんで欲しいと思います。うちのセンター長も、新しく来た研究者には、"Please enjoy your research at RIKEN, as well as Japanese culture." と必ず声をかけます」
「私が長年日本にいて、研究が順調に進んできたのは、もともと日本文化が好きで、この社会に溶け込もうとしたからだと思います。外国人だから、あるいは研究だけやればよいからと言って、日本の文化に関心を向けない、馴染む必要はないといった考えはやめた方がよいと思います。文化が分かることで、周りとコミュニケーションできるようになります」
「たとえば、中国の文化では食べ残すのが礼儀なのですが、日本では最後まできれいに食べることが正しいと知って衝撃を受けました。また、私は最初、ペットボトルのお茶を買うのは当たり前だと思っていましたが、ヨーロッパから来た友人や日本の方から、環境保護のためにお茶はなるべく自分で作った方がよいとも教わりました。このような日本のいいところをたくさん学びました。もちろん中国にもいいところがあります。自分の国のいいところを守りながら、日本のいいところもしっかりと学ぶことが大事だと思います」
理研でも研究者のジェンダーバランスの改善が課題となっている。
「確かに中国と比べても、一般的に日本の女性の社会進出には、研究だけでなく他の分野でもまだ大きなバリアがあるように思います。これは社会問題で、理研だけでどうにかなる問題ではありません。私の娘は医者なのですが、今まさに直面しているのは育児と仕事の両立です。研究者も同じで、かつて私も子どもの面倒をみながら、布団の中で論文を書いていた時期がありました。子どものお弁当も作らなければならず、寝る時間もあまりありませんでした。保育施設も物足りません。こうした問題は解決して欲しいと思います」
于さんに将来の見通しについて尋ねた。「将来については何とも言えないところがありますが、理研での研究はやりがいがあるので続けていきたいです。メインとしては、やはりスキルミオンが本当に使えるか使えないかという研究をもっと深掘りしていきたいです。理論と知見の両方からアプローチして、将来的に低消費電力デバイスへ応用できるよう努力したいです。将来的に人間社会に貢献できればうれしいです」
「研究には国際交流が重要です。理研では、コロナ禍でも国際人材のリクルートは止めませんでした。これからもなるべくたくさんの研究者とコミュニケーションを取りながら、海外の研究グループと共同研究を実施し、国際会議を開催するなど、理研の国際化にさらに貢献したいと思います」
「以前から中国等から仕事のオファーもあるのですが、私は100%ピュアな研究が好きな人間なので、理研で落ち着いて好きな研究ができる今は、まだこのまま続けたいという気持ちが強いです。中国は私の祖国なのでもちろん好きですし、中国が大きく成長することも嬉しいです。ただ、個人的な活動はやはり理研が合っていると思っています」と笑いながら于さんは応じた。
会議室でのインタビューを終えて、我々は于さんの研究室を訪れた。研究室内に整然と配置された電子顕微鏡装置やモニターなどについて、于さんは熱心に、生き生きと説明してくれた。科学の世界では、優れた頭脳と先端装置の出会いが新たな発見につながるということをあらためて実感した。
インタビューの中で、于さんは、日本では研究だけでなく、生活や文化も大いに楽しむべきだとの持論を繰り返した。日本への好意は我々にとっても嬉しいことだ。しかし、そうした彼女の好意は、必ずしも最初から自明だったわけでなく、異国である日本の良さを見つけよう、日本の社会にできるだけ溶け込もうとして彼女が積み重ねてきた前向きな努力に裏打ちされた気持ちではないかと思う。
日本で最先端の研究と国際人材育成に真摯に取り組む于さんにエールを送りたい。
インタビューは2023年7月25日、埼玉県和光市の理化学研究所にて実施
聞き手:樋口 義広 JST参事役(当時)
(編集:大家 俊夫 JST・SPAP編集長)
于チームリーダー(右)と樋口義広氏(于リーダーの研究室入り口で)
于 秀珍(Xiuzhen Yu):
理化学研究所 電子状態マイクロスコピー研究チーム・チームリーダー
理学博士
1990年中国・吉林大学大学院電子科学系半導体物理専攻 博士前期課程修了。2002年科学技術振興機構(JST)ERATO 十倉スピン超構造プロジェクト技術員、06年物質・材料研究機構(NIMS)ナノ計測センター先端電子顕微鏡グループ エンジニア、08年東北大学理学研究科物理学専攻、博士学位取得。NIMSとJSTでそれぞれ研究員を歴任した後、11年理化学研究所入所。基幹研究所強相関量子科学研究グループ特別研究員、創発物性科学研究センター(CEMS)強相関物理部門強相関物性研究グループ上級研究員を経て、17年電子状態マイクロスコピー研究チームのチームリーダーに就任(現職)
専門分野:磁性、超伝導、強相関系
主な受賞歴:日本顕微鏡学会和文誌賞、文部科学大臣表彰科学技術賞(研究)、理研栄峰賞(研究開発業績賞)、Nature Nanotechnology Prize、2023年度江崎玲於奈賞
<理研概略>
日本で唯一の自然科学の総合研究所として、物理学、工学、化学、数理・情報科学、計算科学、生物学、医科学などに及ぶ広い分野で研究を推進。1917年に財団法人として創設。戦後、株式会社科学研究所、特殊法人時代を経て、2003年文部科学省所轄の独立行政法人理化学研究所として再発足し、15年国立研究開発法人理化学研究所に。研究成果を社会に普及させるため、大学や企業との連携による共同研究、受託研究等を実施しているほか、知的財産等の産業界への技術移転を積極的に進めている。
理研ホームページ: https://www.riken.jp/
【国際頭脳循環の重要性と日本の取り組み】
国際頭脳循環の強化は、活力ある研究開発のための必須条件である。日本としても、グローバルな「知」の交流促進を図り、研究・イノベーション力を強化する必要があるが、そのためには、研究環境の国際化を進めるとともに、国際人材交流を推進し、国際的な頭脳循環のネットワークに日本がしっかり組み込まれていくことが重要である。
本特集では、関係者へのインタビューを通じて、卓越した研究成果を創出するための国際頭脳循環の促進に向けた日本の研究現場における取り組みの現状と課題を紹介するとともに、グローバル研究者を引きつけるための鍵となる日本の研究環境の魅力等を発信していく。