2021年11月30日
松島大輔(まつしま だいすけ):
金沢大学融合研究域 教授・博士(経営学)
<略歴>
1973年金沢市生まれ。東京大学卒、米ハーバード大学大学院修了。通商産業省(現経済産業省)入省後、インド駐在、タイ王国政府顧問を経て、長崎大学教授、タイ工業省顧問、大阪府参与等を歴任。2020年4月より現職。この間、グローバル経済戦略立案や各種国家プロジェクト立ち上げ、日系企業の海外展開を通じた「破壊的イノベーション」支援を数多く手掛け、世界に伍するアントレプレナーの育成プログラムを開発し、後進世代の育成を展開中。
お互いコンクレーブは、11回にわたって日本とタイを中心とした産業クラスタ間連携から出発し、その後、ASEAN(東南アジア諸国連合)全域に拡大することになった。2014年8月26日ミャンマーの新首都ネピドー(Nay Pye Taw)で開催されたASEAN経済大臣会合のマージンで、日アセアン経済産業協力委員会(AEM-METI Economic and Industrial Cooperation Committee、「AMEICC」。)が主催する日ASEAN経済協力の一環として議論され、最終的にはASEAN経済大臣会合で「お互いプロジェクト」による "local to local" の連携を、タイのみならずASEAN全体で推進していくことが歓迎された。
その後インドネシア、カンボジア、ラオス、ミャンマーなどで個別のワークショップが行われ、ASEAN全体での取り組みが進められた。またこの延長上に、2017年2月にはミャンマーの古都マンダレー(Mandalay)において、第17回お互いフォーラムが開催され、日本とタイの連携を前提に、ミャンマーにおけるアグロビジネスに関するイノベーションの展開が議論され、マッチングが進められた。これを契機に、一部企業がマンダレーに進出し、日本とミャンマーの新たなビジネスが始まっている。
この背後には、従来の日系製造業企業の海外直接投資(FDI)による進出が、ASEAN全体の生産ネットワークをなし崩し的に事実上秩序形成としてデ・ファクト(de facto)で構築しつつあり、これらネットワークの強みをこうした災害だけではなく、常住坐臥(じょうじゅうざが)の日常から新たなイノベーションを生みだす機会として利用することを狙ったものであった。2000年代から広がり、また深化してきた日系製造業のASEANの生産ネットワークを、産業集積のある産業クラスタごと、日本とASEANの双方から斉一(せいいつ)的にアップデートするという戦略である。欧米が中心となる地域経済統合、EU(欧州連合)に代表される「上からの」、ルールを定めてから展開されるデ・ジュリ(de jure)な秩序形成に対抗し、ASEANを中核としたアジア経済統合を進めることが当時の日本の方針である。
しかし、現下の産業構造の激変、それをもたらしたindustrie4.0やDX(digital transformation=デジタルトランスフォーメーション)化の進展に代表される技術的なブレークスルーのなかで、新たな戦略変更を余儀なくされている。この戦略変更を前提にすると、コロナ後のアジア経済戦略は大きく変質していくだろう。これまでの製造業のアナログな世界を効率的に結びつける秩序とは異なる、垂直的な系列型取引関係を前提とした生産サプライチェーン(supply chain)から、水平的な横のつながりを重視するバリュー・ネットワーク(value network)への転換である。横のつながりが強調されることによって、国境を越えた産業クラスタ間連携を実現することが可能となる。
この文脈を先取りするかたちで、2015年9月第12回お互いフォーラムがバンコクで開催され、大きな転機となった。これが、お互いフォーラム第三期と規定してもよいだろう。まさに、時局の大激変のなかで、日系製造業が誇るモノづくり、その産業集積の強みを生かしつつ、いかに新たな「破壊的イノベーション」を生み続けるか、そのための舞台装置を日本とタイが連携して提供しようという試み、それが「お互いフォーラム」(下記、図参照)である。2015年6月にタイ王国政府から工業省傘下の公益法人の認定を得て登録、理事長にはプラモ―ト・ウィタヤスク(Pramote Wittayasuk)工業省副大臣閣下をお迎えした。ホームページで詳細を見ることができる(https://otagai.asia/ (外部リンク))
新生お互いフォーラムを決定づけた第12回お互いフォーラムでは、17名の日系企業代表が、アクアノベーション(AQUANOVATION)、アグリノベーション(AGRINOVATION)及び、サプライノベーション(SUPPLINOVATION)の3つのイノベーション分野から登壇し、500名近くの参加者に向けて、「サムライ・プレゼンテーション」を行い、日本とタイの国教と領域を超えた課題解決を契機としたイノベーション創出を目指した。越境型オープン・イノベーション・プラットフォームの誕生である。事業継続計画(Business Continuity Plan:BCP)から相互産業補完のための産業クラスタ間連携、そして越境型オープン・イノベーション・プラットフォーム(Transnational Open Innovation Platform)への変遷を遂げていった。コペルニクス的展開である。
ヘンリー・チェスブロウ(Henry Chesbrough)の『オープン・イノベーション』(2003年)にある通り、オープン・イノベーションとは、組織の内外の流通と接触を通じたイノベーションである。米国シリコンバレーやインドのベンガルール、日本の大田区や東大阪の事例を待つまでもなく、産業クラスタとは地域内の連携を進める関係性が強調される。そこでの濃密なネットワークが新たなイノベーションを生み出すというわけである。その延長上に、お互いフォーラムが展開しているプラットフォームは、こうした地域の閉じた産業集積の強みを、さらに国境を越えて連携させるというアプローチである。そして、「お互い」の名前を関している理由は、特に前回解説した、両国間の相互補完体制をイノベーションの領域に拡大させ、新たな価値創造を目指すための関係者の集めること、そのプラットフォームを確立するためである。
実際に第13回以降、昨年開催された第19回までのお互いフォーラムでは、このような越境型イノベーションを加速するため、「サムライ・プレゼンテーション」を実施してきた。スタートアップスの投資ピッチ大会のようなイメージであるが、新たな業態の模索や、日泰双方からの事業再構築に向けた相互補完が提案されることで、大きなメリットを生んでいる。例えば、日本の介護産業などは、海外展開の可能性が高い分野の一つといえ、タイも高齢化に入っていく状況では、日本との連携にかなり期待してきた。しかし、なかなか日本の介護事業がそのまま展開できるという保証はない。さらに日本での限界、負の部分についてもきちんと検討しておく必要がある。実際、タイ側から見て大変興味を示した日本のビジネスや技術、ノウハウとしては、見守り介護のシステムであり、ご存じの方も多いと思うが、この分野では、簡単なように見えてシステムが複雑である。
また、日本の介護、特に公的セクターの考える介護は、寝たきりの老人をどう管理するかという視点が多く、被介護者の自立、生活の質の向上(Quality of Life:QoL)を目指すという観点には立ちにくい。これに対して、2016年福井・武生で開催された第13回お互いフォーラムで登場した、株式会社ほっとリハビリシステムズ社(http://hotreha.com/ (外部リンク))のシステムは秀逸である。同社の松井一人社長が強調しておられる通り、被介護者であるご老人について、リハビリテーションを通じて筋力をつけ、自律的な生活に導く仕組みである。筆者も一度、同社の介護施設を訪問したが、介護施設というよりもトレーニングジムの部分が強く印象に残る。ちょうど訪問した際に、施設内のコーヒースタンドでお茶をしていたところ、ここのマスターがなんと、この施設で寝たきり同然だった方が、リハビリテーションの結果、仕事できるまでに体力が回復されたのだという。自分一人でお手洗いに行けるようになるなど、高齢者にとっては死活問題である体力低下に対し、リハビリテーションによって日常を取り戻すというシステムを目の当たりにした。まさに目から鱗という印象で、タイの方々も大変関心を示している。「課題先進国」というが、課題があったからと言って、そのまま自然に「課題解決先進国」に昇華するわけではなく、日本のなかで、もう一段イノベーションを進めて行く必要があるだろう。その時に相対的な補助線を与えてくれるのがタイなどの他国の視線ではないだろうか。新興国との連携は本来、そのような意味で重要である。