日本への「依存」から「相互依存関係」に発展:タイのライフサイエンス(下)

2022年06月02日

ナレス・ダムロンチャイ(Dr. Nares Damrongchai)

ナレス・ダムロンチャイ(Dr. Nares Damrongchai):
バイオ産業アドバイザー

1995年 東京工業大学 生命理工学部 博士課程修了。2005年英国ケンブリッジ大学Master of Philosophy(工学部経営工学)修了。
1995年 タイ国立科学技術開発庁(NSTDA)研究員。APEC技術予測センター センター長、タイ国ライフサイエンス中心(TCELS)所長などを経て2021年、Genepeutic Bio社 最高経営責任者(CEO)に就任。

参考:ワクチンや新規モダリティの医薬品開発に脚光:タイのライフサイエンス(中)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が蔓延した2020年から2022年初頭までの間、実はタイがライフサイエンス分野において活発な動きを見せている。このレビューは新しいCOVID-19ワクチンの開発から現地バイオベチャーによる新規モダリティの医薬品まで、タイの科学技術政策の変遷とライフサイエンスの現状を簡単にまとめる。今回はタイと日本の関係、特に両国の相互依存と協力によってライフサイエンス産業の発展について具体的な事例を取り上げながら紹介する。

タイと日本のライフサイエンス共同体形成

最近、日本とタイの首脳レベルの関係はと言えば、2021年11月、岸田文雄首相とプラユット・タイ王国首相が電話会談を行ったことでしょう。電話の内容は、プラユット首相は日本からタイに対するこれまでの200万回分以上のワクチン提供や酸素濃縮器の供与、コールド・チェーン整備支援を含む新型コロナ対策支援に対する謝意を表明した。

政府間の会談によれば両国が高い関心を有する諸分野として、タイが提唱するBCG経済モデル(バイオ・サーキュラー・グリーン)と日本のグリーン成長戦略のほか、ビジネス環境整備、連結性向上、メコン地域開発並びに新型コロナ対策を含む保健分野の連携が望ましいという。これらの分野における技術研究開発協力基本協定書の署名及びヘルスケア分野における協力覚書の署名を両者が歓迎した。それに「高専」を通じた産業人材育成支援も約束された。

政府レベルの協力もさることながら、現在推進されている大学や民間同士のライフサイエンスにおける日タイ関係をいくつかの事例を通して紹介したい。

• ワクチンと感染症

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対するワクチンの寄付からさかのぼること20年前、両国はデング熱ワクチンの研究開発にも協力してきた。2000年初期にマヒドン大学の研究者が開発したワクチンの種を当時、日本最大のワクチン/血液製剤メーカーであった熊本県の化学及血清療法研究所(化血研)が事実上、タイからの技術移転で契約共同開発という形で日本が開発・市販する権利を獲得した。

大阪大学ではデング熱を始めとする蚊媒介性のウイルス性疾患について、その場診断法開発にむけた研究を大阪・マヒドン感染症研究センターで展開している。臨床検体を用いた解析はマヒドン大学熱帯医学部と共同で推進しており、ウイルスと病態の重症化要因の関係性を解明している。 さらに、これらの共同研究を通じて、マヒドン大学熱帯医学部および日本での感染症研究者育成にも力を注いでいる。

さらに、前述の化血研のOBが立ち上げた「BioShoot」という新規設立されたバイオベンチャー企業は、自前の細胞の大量生産/培養技術をこれまでの10分の1のコストとスペースで可能とすることをタイで実証しようとしている。実現すれば、タイを拠点に現在限られた人々にしか提供できていない高度先進医療を世界中の人に提供ができるようなる。BioShootは2017年よりタイ政府・タイ国営企業・タイ王立企業との話合いを続けており、高価格のため世界的に品薄な日本脳炎ワクチンやA型肝炎ワクチンの開発/大量生産設備建設/、ワクチンコロナ対策を含めた多くの事業提案を行っている。

(左から)タイNational Vaccine Institute (NVI)の 所長Nakorn、タイ厚生省元高官Suvit、Bioshoot CEO横井、同CTO横手、International Director 林の各氏 (写真提供:Bioshoot)

• 天然物創薬

アジアが天然物創薬拠点になることを目標に、2018年に天然物創薬コンソーシアムが日本で提案・発足された。これは元々タイTCELSの提案によるもので、日本とタイ、のちに台湾も参加したアジア製薬団体連携会議(APAC会議)の中の創薬ワークンググループ内イニシアチブで推進されてきた。しかし天然物の多国間利用は京都議定書をはじめ国際規定や制約が多いことが周知の事実であった。このコンソーシアムを可能にしたのはワークンググループのメンバーが天然物の創薬活用を推進するガイドラインを合同作成して合意した、という必要条件がクリアされてはじめて実現できた。

このイニシアチブを当初から賛同、率先したのは武田薬品工業、エーザイ等日本の製薬企業と、タイマヒドン大学、チュラーロンコーン大学、バイオテク(NSTDA系国立研究センターの一つ)であり、ともに新規天然物創薬プロジェクトを次々と開始した。

全てのプロジェクトはローカル(タイ)の天然物のコンパウンド・ライブラリーでスクリーニングし、前臨床試験を行うものである。また、日本の製薬企業の協力によって事前に人材育成や技術移転(日本の製薬企業でのトレーニング)が必ず行われたものである。

天然物創薬コンソーシアムの仕組み、タイ国の場合 (提供:TCELS)

• 日本の大学発ベンチャーもタイへ

タイでは日本の大学発ベンチャーが研究開発の協力パートナーもしくは市場獲得のために模索中の企業がいくつかある。

認知症に立ち向かう島根県のベンチャー企業である「ERISA」が認知症の早期診断を機械学習によって行い、発症時期予測はニューラルネットワークを利用して実現している。タイ市場、東南アジア諸国連合(ASEAN)市場での展開可能性を探るために、パートナーあるいはライセンス先となるタイ企業を現在探す活動をしている。

また、いまこそ世界のベンチャー企業に成長したが、出発点が大学発ベンチャーで筑波大学・山海嘉之教授の研究成果で設立された「CYBERDYNE」もタイに進出している。

人・ロボット・情報系を融合複合した新領域「サイバニクス」を駆使し、医療用HALが医療機器となった現在、国際的なプラットフォーム展開している。その一環としていくつかバンコク周辺の病院で医療サービスを提供すると同時に、各政府機関やマヒドン大学をはじめ大学研究機関との共同開発案のやりとりを進めている。

このようにタイの医薬・医療の研究の歴史は官が主導する公衆衛生研究から始まり、その間に技術の導入もありアカデミック研究の成長にも繋がった。しかし上の事例でも明らかなように、現在日本とは一方的な依存よりも「相互依存」という関係に発展した。これまでタイが「医療の自立と健康の安全保障」という研究開発理念を守ってきた。ところが近年の経済発展と世界市場展開に向けてタイのライフサイエンスが新規産業の成長エンジンになることが期待されるようになった。

コロナ禍によって国際的な相互依存、特に日本との共同体を強調しながらライフサイエンス産業の発展による健康安全保障が再認識されるようになってきていると言っていいだろう。

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